触れられた手首
残るはコンラード殿下だが。
「私は納得はしていない。父親はどうあれ、評判の悪さは自分自身の行いのせいもあるはずだ」
言外に誤解を解こうとしなかったとか、努力が足りなかったと言いたいのかもしれないけれど。
努力だけでどうにかなるものではなかったのだ。
十六年間、私も完全に鬱々としていただけではなかった。でも反論したいけれど、王子相手にそんなことを言って話をややこしくするわけにもいかない。
「申し訳ございません……」
とりあえず謝ってじっと黙り込む私の肩に、ラース様が手を置く。
「君が悪いわけでありません。努力だけではどうにもならないことは、世の中にたくさんあります。恵まれた人は、少しの努力で叶えられることが多いせいで、他人もそうだと思ってしまうものなのです」
「おい……」
まるで喧嘩を売っているようなラース様の言葉に、私はうなずくこともできず、コンラード王子の方は馬鹿にされたと分かったのか眉を吊り上げた。
「本当のことだから怒っているのかい? 相変わらずだね君は。少し気持ちが落ち着くようなお菓子を届けてあげようかな?」
続いてクヴァシルがそう言うと、コンラード殿下も慌てて席を立った。
「いらないからなクヴァシル! もう二度と送ってくるな」
捨て台詞を口にして、コンラード殿下はさっさと部屋からいなくなる。
「助かりましたクヴァシル。ありがとう」
ラース様に礼を言われたクヴァシルは、二ッと口の端を上げる。
「王族に全力で疑われたら、さすがに一人だけでは荷が重いだろうからね。それに、彼女は僕にとっても貴重な実験相手だからね。さて」
クヴァシルも立ち上がる。
「僕は先に行くよ。じゃあ」
そうして彼は、先に部屋を出て行ってしまった。
「これで今日の用事は終わったようなものですね。お疲れ様リネア」
「私の方こそご迷惑をおかけしました。ほとんどラース様に説明して頂いてしまって……。それにしても王子殿下は、クヴァシルが苦手なのですか?」
一連の様子からすると、二人の力関係はクヴァシルの方が上のようだった。
ラース様が苦笑いした。
「コンラード殿下は、あの通りの気の強さでクヴァシルにも突っかかって行って、上手くクヴァシルの実験に利用されてね。何かあるたび協力させられて以来、苦手にしているみたいだ」
「お菓子のせいなんですね」
クヴァシルのお菓子には私も迷惑をかけられたので、少しだけコンラード殿下に同情した。
それにしても私、食欲に正直でよかった。
じゃなかったら、ラース様と近しくなれなかっただろうし、私に反感を持っているコンラード殿下を抑える手段なんて手に入れられなかった。
ラース様がいるからこそ、クヴァシルが手を貸してくれて、こうしてどんなに王子が疑おうとも、守ってもらえる。
お菓子って素晴らしい!
ラース様に声をかけられるまで、そんなことを考えていた。
「安心してくれたかな?」
そのせいでうっかり答えてしまう。
「はい、お菓子って最強ですね! ……あ!」
言ってしまってから、おかしなことを口にしたと気づいたけれど、もう遅い。
慌てる私を見て、ラース様は声を立てて笑った。
「あの、違うんです! ラース様にあえて、こうして近しく話をさせていただけるようになって幸運だったな、と。そのきっかけが聖花菓子だったので、お菓子って素晴らしいなと思ったわけで」
私は慌てて言い直す。
「聖花菓子は幸運ばかりをもたらすわけではないのですよ……。でも、そう思っていただけるのなら、研究しがいがありましたね。もっとあなたに素晴らしいと思って頂けるような菓子が作れるといいのですが」
やや苦笑いするようなラース様の表情に、ふと思う。
彼は、聖花の不思議に魅せられて研究を始めたわけではないのだと。ラース様が聖花を研究するのは、もしかすると……不幸が原因だったのかもしれない。
「でも、私は感謝しています。何があっても、この御恩は一生忘れません。このパーティも、もう少し積極的になってみたいと思います」
ブレンダ嬢やトリシア様達と会話していたおかげで、王妃殿下も私のことを改めて見直してくれた。他の貴族も、私への見方を変えてくれた人がいるかもしれない。
全てを拒否するのではなく、人脈を作ることを決めたのだから、いつまでもラース様におんぶにだっこをされていてはいけないのだ。
――自分の足で歩かなくては。
そう思って、ラース様の先に立って歩き出そうとしたら。
ふいに、手首を掴まれた。
掴んだのはラース様だ。彼にとっては無意識の行動だったみたいだ。驚いたように自分の手を見ている。
「すみません。あなたがよろけてしまいそうに見えて。少し疲れていたみたいですね」
手が離される。
消えてゆく温かさに、私はなぜか寂しさを感じる。
「気にしないでください。さ、会場へ戻りましょう」
私はそう促して、もう一度歩き始めたけれど。
心細さを感じた瞬間に繋がれた手に、支えてくれる人がいるのだと思い出し、心が少し温かくなっていた。