悪夢について考えます
「聖花によって見る悪夢……」
日が傾く前に家に戻った私は、部屋の中であの銀の箱を開けてつぶやいてしまう。
この美しい黒と青のお菓子。
味からすると、飴細工のような感覚だが、その飴の中に混ざった聖花が、私の悪夢の原因だったというのだから驚きだ。
食べると必ず悪夢を見るとなれば、ためらってしまう。
「でもこれで、公爵と交流が持てるのなら、やらない手はないわ」
悪口は聞こえなくなるし、アルベルトを遠ざける術も手に入れたのだけど、やはり味方……そこまでいかなくとも、公平に見てくれる人がいると嬉しい。
彼は比較的公平な人だと耳にした。時には公平すぎて、自分をひいきしてほしかった人には『冷たい』だのと言われているらしいが。
そんな彼との繋がりは、私にとって穏やかな学院生活を送るために必要だと思うのだ。
それに、王族に連なるスヴァルド公爵と懇意ともなれば、おおっぴらに悪口を言う人間は少なくなる。
悪口が聞こえないとはいえ、悪意は伝わるものだ。わずらわされたくないし、静かな生活を送りたい。
後ろ盾を使って避けるのはせこい手ではあるが、あと一年半ほどを穏やかな気持ちで過ごすのに、とても重要なことだ。
だから私は、夕食後にさっさと寝支度をすることにした。
「体調がお悪いのですか?」
心配そうに聞くのは、私の部屋付きであるカティだ。
「今日は乗馬もしてきたから疲れたみたい。気にしないで」
微笑んで言えば、カティもそれ以上は追求してこなかった。
そうして眠る前に、花の一部を食べる。
「あ、今日はすぐ眠らなさそう」
昨日みたいに、意識が突然途切れることはなかった。
やっぱり昨日は精神的にも疲れていたんだろう。
とはいえ眠るつもりで燭台の明かりはほとんど消していたし、暗い中で本を読んでも目を悪くするし、刺繍もできない。
とりあえず目を閉じて、今日会った公爵達のことを考えてみる。
「スヴァルド公爵……。そういえば今まで関わったことがなかったわね」
なにせ父が、娘の存在を忘れかけている我が家。父についてパーティーへ行くこともほとんどない。
あの父は、同伴者もなく堂々とあちこちのパーティーへ出かけているのだ。
一度だけ家令と叔父様にさんざんに騒がれて、ようやく私を同伴したことはある。けれどそれは、社交界へ出る令嬢達が、国王陛下に挨拶をするためのパーティーだ。
入場時に一緒に隣を歩いただけで、会話もなかった。
思えば、あれも叔父様に頼めないか食い下がればよかった……と後悔している。
父と一緒にいたせいで、なおさらに私も悪の伯爵家の娘、という印象が強く刻まれてしまったのだろうから。
「それにしても、アルベルトの家との関税や金銭関係が発端とはいえ、娘への婚約の申し出にうなずいたのが奇跡だわ……。娘なんていないと、言いかねない人だもの。いえ、先方が私の存在を思い出して、婚約という形で父の援助を引き出す方法を実行しただけ、かしら」
婚約当時、アルベルトの家はやや苦境にあった。突然大雨と地震が重なり、耕地が荒れたり、土砂崩れで人的被害も多かったのだ。
そこで援助の手を探したところ、たまたま父が欲しがっていたらしい商業ルートについて、関税を無くすという餌を持っていたので、婚約という形で契約を結ぶことができたのだ。
「私は……それでも……」
嬉しかったのだ。
自分の存在を重要だと思ってくれる人がいることが。
そして最初は私を尊重してくれたアルベルトに、希望を感じてしまった。
だからこそ許しがたい。
他の女になびいたことよりも、私をないがしろにし、必要ないものとして扱うことが。
もう、あの人とは話もしたくない。
「結婚……したくないわ」
つぶやいたところで、ふっと私の意識は途切れたようだ。
※※※
「お前はずっとミシェリアを恨んでいたんだろう」
そう言うのは、金茶の髪の青年アルベルトだ。
相対する私は両腕を兵士に取り押さえられて、どこかの建物の床に座らされている。
「そんなことしていない! 私はただ戦争を避けたくて逃げただけだわ!」
けれどアルベルトの側にいた青年が、見下すような視線を私に向けていた。
「何を言う。お前がミシェリアの情報を流したのだろう。彼女が元々住んでいた領地に、聖花が咲くことも。彼女が魔術の才能があることも……我々がそれを頼みにし、ウォーデン大公国の兵を押し返す計画だったことも」
「知らない、知らないわ!」
叫んだところで、ふいに後ろから踏みつけられる。
「……っ!」
痛みで息が止まった。
その瞬間、心の中に様々な『記憶』が荒れ狂う。
隣国との紛争の影が濃くなっていく母国。
そんな中、いじめられて自棄になっていた私が、学院から遠ざかれるのならそれでいいと、隣国への留学の話を受けたこと。
それが、荷物に忍ばされた密書を届けるための留学だったこと。
父が隣国に通じていたと知り、でも今さら自分にはどうにもできないから、隣国でかくまわれるまま暮らし……。
そうしていたら、あのアルベルトが大事にしていた少女が、特殊な魔術を使うことができ、『救国の乙女』と呼ばれるようになったことや、隣国の軍が押し返された一件を知った。
私は隣国の将軍に彼女のことを話した。
世話になっているから、という理由もあった。隣国での生活について後見してくれていたのは、その人だったから。
でもなにより、元婚約者のアルベルトがした仕打ちについて、その将軍が親身になって同意してくれたから……。
その情報を元に、隣国の将軍は彼女に暗殺者を差し向けたのだとか。
彼らはそれを、彼女への恨みを募らせた私が、個人的に差し向けた暗殺者だと思っているらしい。
私にそんな力なんてない。
むしろ私は、アルベルトがどんなにひどい人なのかを話したつもりだった。貴族令嬢が平民の妾候補を意識しているなんて思われたくないから、彼女については聞かれたから答えただけで。
すると頭上から、おそらく私を踏みつけている人物が言った。
「自供させる必要などない。証拠はそろっているんだ。捕えて王都へ連行し、見せしめにしてやればいい」
そうして優しい声でその人物は続けた。
「それで、君も安心するだろう? ミシェリア」
「見せしめなど、恐ろしいことはおやめくださいませ」
か細い女性の声が応じた。
忘れもしない、私から婚約者を堂々と奪って見せた、とんでもない召使いの声だ。
「では、永久に幽閉することにしよう」
結果言い渡された私の未来は、なんら改善されたように聞こえない代物で。
※※※
「ひぃっ!」
今日も私は飛び起きたのだった。