それでもドレスを着るのは楽しいものです
その後、パーティーまでの数日は、出席者の名前と顔を覚える作業に費やした。
何せあまりパーティーに出なかった私だ。
それなりの人数の貴族に会ったことはあるものの、よほど印象的な人ではない限り覚えてはいない。
エルヴァスティ伯爵家の娘を家に招待したい貴族もいないので、忘れても何の問題もなかった。
学院に通う令嬢や子息の顔の方は、なんとか覚えているのだけど。
もっと面倒なのは、なまじ一度会ったことがあるせいで、相手はこちらの事をしっかりと覚えている可能性が高いことだ。
私が覚えていないと分かったら、また一悶着起こってしまうかもしれない。
事情を話したラース様に、出席者の、特に私が親交を深めるべき相手の特徴を聞いて、覚えるようにする。
そうして、ようやくパーティーの日を迎えた。
当日は学院を休んだ。準備に時間がかかるので、行き帰りに何か足止めされるようなことがあっては困るからだ。
朝はゆっくりと起きた。
カティに紅茶を持ってきてもらい、時間をかけて飲みながら目を覚ますというぜいたくを味わう。
茶葉はライント産の若葉だけを使ったもの。どこかオレンジのような爽やかさを感じる。
「ほんとうに、ぜいたくだわ……」
思えばエルヴァスティ伯爵家では、この茶葉は飲んだことがない。意外と質素な実父は、そこまで高級茶葉にこだわりがないらしく、家に常備されていなかったのだ。
目が覚めたら朝食だ。
その後は少しゆったりした時間を過ごす。その間に、召使いたちがパーティーへ行くための準備をしている。
遅めの昼食を食べたら、着替えのために入浴をする。
髪を乾かしながらお茶を飲む時間が、とても長い。だから学院に入っていては間に合わないのだ。
綺麗に乾いたら、いよいよドレスを着る。
レーディン伯爵が選んだドレスを身にまとう。飾りが多いのに軽いシフォンを多用しているせいか、それほど重くはなかった。
次は化粧。
でも自分の顔に沢山塗るのは推奨されない。ありのままが美しいというのが建前なのだ。過去に化粧品で色々と問題が起き、時の女王が激怒して以来、そういうことになっている。
そのため貴族女性は薄化粧で留める。
私はうっすらと真珠の粉をはたき、目元に薄く色を入れて、口紅を少しだけつける。これだけ。このささやかな化粧が今の主流だ。
諦めきれずに分厚くおしろいを塗ったり、目元にはっきりとした色を入れたりすることが許されるのは、三十代以上の女性だ。
髪にはコテを当ててカールを作る。
それをほぐして波を打つ流れを作り、その上で結い上げる。かつては成人したら髪をきっちりとまとめ上げるのが基本だったけれど、今はそういうこともない。
カティ達は花飾りを髪につけるために、上半分だけを結い上げることにしたらしい。
花飾りはドレスと同じバラの花。かといってあまり付けすぎるとゴテゴテしくなるので、小さなバラの花と真珠の髪飾りを配置していく。
それらが終わったら最後に装飾品を身につけた。
アクアマリンのネックレスは、ドレスの一部かのようにしっくりと馴染む。同じアクアマリンのイヤリングをつけると完成だ。
「大変お美しくおなりです、お嬢様」
「ありがとうカティ。イレイナ達もご苦労様でした」
礼を言うと、イレイナが微笑む。
「可愛らしいお嬢様お飾りつけることができて、とても嬉しかったです。公爵閣下はとても見栄えの良い方ですけれど、さすがにドレスを着てるわけにはいきませんから」
その言葉に思わず笑ってしまう。
最後の仕上げに、軽食を摘んでおく。
今日のパーティーは食事会はない。そして人と話すことを目的としていた場合、食べられる物が用意されていても、飲み物を口にするのが精一杯だろう。先に何か食べておかないと、お腹が鳴り出してしまう。それは恥ずかしい。
その軽食と一緒に、聖花菓子が出されていた。
大皿の上で、サンドイッチの周囲に配置されたバラ色の花びらのようなメレンゲは、花畑を見ているようで目にも楽しい。
「気持ちが華やぐかもしれないと、公爵閣下がおっしゃっておりました。どうぞご賞味くださいリネア様」
「華やぐ……」
楽しい気持ちになるということかしら。
どちらにせよ、この優しい配慮が嬉しい。食べる前から心の中が温かくなる。
私はメレンゲを一つつまみ上げた。
口の中に入れると、すっと雲を食べたように溶けていく。後に残るのは、ちょっと不思議な感覚だった。
パッと目の前に、花吹雪が散ったような感覚。
面白かったのと、驚きで、たしかに気分は変わる。ちょっと楽しい。
「なるほど華やぐ……ね」
こんな面白い聖花もあるらしい。初めてそれを知ったことも、面白くて気持ちが上向いたのだった。