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閑話 ~ミシェリアへの誘い2~

 けれど救いは、同じ年に学院へ通うようになったアルベルトが、ミシェリアを見つけてくれたことだ。


「ずっと会いたかったミシェリア」


 アルベルトはミシェリアのことだけを好きだったと言ってくれた。


「あの暗い、何を考えているのかわからない女と、婚約なんてしたくなかった。でも君はいなくなってしまって、うちの家もあまり状況が良くなかったものだから、エルヴァスティ伯爵家の提案を受け入れるしかなかったんだ」


 アルベルトはそんなふうに、リネアとの婚約のことを語った。

 そして今でも愛しているという言葉に、ミシェリアは喜んだ。これで辛く苦しい生活から逃れることができる。もう掃除をし続けなくてもいい。


 だけどアルベルトは、一向にミシェリアを救い出してくれる様子がない。先々のことを尋ねてみても曖昧にはぐらかすばかり。


 次第に貴族令嬢は子息たちの噂話も耳に入ってくる。

 アルベルトは、ミシェリアのことを平民の恋人として囲い続けるつもりらしいと言うものだった。


「今度は愛人として、一生を送ることになるのかしら……」


 一時はそれで不安になった。

 けれどアルベルトと付き合うようになってからも続いている、他の召使いたちからのいじめに耐え続ける中、それでも仕方ないと思うようになった。

 何よりアルベルトか、とても申し訳なさそうにミシェリアに言ったのだ。


「恥ずかしいことだけれど、我が家の財政状況も君の家とそう変わりなかったんだ。エルヴァスティ伯爵家の逆鱗に触れたら、いつでも難癖をつけられて、立ち行かないようにされてしまう。父や母を路頭に迷わせないためには、言うこと聞くしかない」


 その話を聞いてミシェリアは、自分が没落した時のことを思い出し仕方のないことだと諦めた。

 そして諦めた分だけ、自分の幸せを邪魔するリネアへの恨みは募った。

 

「まさか、養女になるだなんて」


 そんな日常に青天の霹靂が起こった。

 憎々しいリネアが、エルヴァスティ伯爵家を出て、他家の養女になったというのだ。

 だからアルベルトとの婚約は取り消しになったと本人は言っているらしいが、到底信じられない。


 アルベルトはまだ婚約した状態のままだと言ってた。

 ミシェリアとしても、彼女があんなにも結婚したがったはずのアルベルトを、そんな簡単に諦めるだろうかと疑問に思っていた。


「アルベルト様も、そのまま婚約をなかったことにしてしまえば良いのに」


 ため息をつき、ミシェリアは水を一杯に入れた桶を持ち上げる。

 あかぎれのでき始めた手に、桶の取っ手が食い込む。以前はささくれひとつない手だったのに。


「今じゃ絹の手袋なんて、身に付けられないわね」


 あちこち引っかかってしまって、かぎ裂きを作ってしまいそうだ。

 想像してもう一度ため息をついたところで、ふいに近くから声をかけられる。


「運ぶだけなら手伝いましょうか?」


 男性の声だ。一体誰だろうと振り返ってみると、ミシェリアからほんの十数歩離れたところにふわりとした金髪の青年が立っていた。薄い緑色の上着にはほとんど装飾がなく、縁取りも黒の糸。

 どこかの家の従者に見える。


「あなたは……?」


 金髪の青年は、にこやかに答えた。


「名乗らず失礼しました、レイルズと言います。仕えている家の用事で通りかかったのですが、大変そうなのでつい声をかけてしまいました。いつもこの時間に水汲みを?」


「大体は。交代制なんですけど、もたもたしている間にやることになってしまって」


 苦笑いしてみせれば、仲間に作業を押し付けられても黙ってやる健気な人間に見えるだろう。ミシェリアはそんな計算をしつつ受け答えをする。


「あなたの細い腕では厳しいでしょう。私もいつもここに来られるわけではありませんが、手伝わせてください」


「それは嬉しいですけれど、どうして?」


 ここまでの会話で彼の意図は十分に察していたけれど、ミシェリアはそれを言わせようとする。

 レイルズは素直に答えた。


「あなたが気になって……」


 少しはにかんだレイルズは、なんだか可愛らしい雰囲気になる。とても容姿が整った人なのに。

 レイルズは続けて言った。


「不誠実な方に恋をしていらっしゃると思って、心配だったのです」


「不誠実……」


「あなたという愛する人がいるのに、いつまでたってもあなたと結婚することもない。……以前別の主に仕えていた時、その主がずっとそのことで悩んでいました。あなたを見ているとそのことを思い出します」


 レイルズの言葉が、ミシェリアの心に突き刺さる。


「でもあの方は貴族で、私は平民です」


 彼の言葉を振り切るように、ミシェリアはそう言った。

 自分たちの間には越えられない壁ができてしまった。それでも自分を愛してくれるというだけで、本当なら満足しなければいけない。


 しかしレイルズは言う。


「でもあなたは、元は貴族令嬢のはず。そういう方なら、どうにか他の貴族の家の養女にする手配をして、あなたを正妻にすることだってできるのでは?」


「……」


 ミシェリアは何も言えなくなる。

 何度も同じことを考えた。婉曲的にアルベルトにその提案をしたこともある。でも彼の反応は薄かった。


「日陰の身に置かれていても、その方のことが恋しいのですね」


 諦めたような声音に、ミシェリアは妙な焦りを感じる。

 だからミシェリアは、別のことを口走ってしまった。


「リネアさえいなければ……」


「リネア?」


「……エルヴァスティ伯爵家の令嬢だった人よ。今は別の家の養子になったようだけど、またあくどいことを考えているのでしょう。私の生家を没落させた時みたいに」


「今でもその令嬢のことを、恨んでいるのですね」


「もちろんよ。私がこんな不安定な立場になる原因を作ったのは、あの女ですもの」


「まさかとは思いますが、その令嬢はこの学院に通っているのですか?」


 ミシェリアはうなずく。


「毎日のように見かけていたら、辛いでしょうに」


 レイルズは同情したようにそう言って、表情を曇らせた。

 彼の同情が心地よくて、ミシェリアは次々に不満を口にしてしまう。


「私が婚約していたアルベルト様が欲しくて、私の家を潰した人なのよ。今もまだ、彼女に好意なんてかけらもないアルベルトをがんじがらめにしているの。おかげでアルベルトは私を選ぶことができないんだわ」


「あなたの片思い相手は、その令嬢に囚われているのですね」


「助けてあげたいし、解放されたならアルベルトも私と結婚してくれるかもしれないのに」


 そう言ってから、自分に片思いをしているレイルズには嫌な言葉だっただろうと思い直す。


「ごめんなさい。私の気持ちばかり話してしまって」


 レイルズは首を横に振った。


「いいえ、こうして話をしたかったのは私ですから。それにちょっとずるいことを考えてしまいましたし」


「ずるいこと?」


 聞き返すと、レイルズは苦笑いしてミシェリアに答えた。


「もし私が、そのリネアという令嬢への復讐を手伝ったら、あなたから一度だけでも口付けをしていただけるのではないかと」


 ミシェリアは目を見開く。


「私は恋の想い出にその口づけさえいただければいいのです。どうですか?」


 問われたミシェリアは、しばらく呆然としてその場に立ち尽くしてしまった。

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