どうにかエレナ嬢から離れましょう
「あ、あら、リネア様。ごきげんよう」
突然私が現れたせいで、エレナ嬢は動揺したらしい。
慌てた様子で当り障りのない返事をした。
正直、今まで彼女と話した中で、一番普通の返事だったんじゃないかしら? 遠くから私が来るのがわかれば、もっと別な言葉を口にしたんだと思うけど、心の準備をしていなかったものね。
「ところでそちらはラース様の従者ではございませんか?」
私は先に指摘する。
「あ、えっと、そ、そうだけど」
ふいを突かれて一瞬慌てたエレナ嬢だったが、すぐに意地悪な自分を取り戻したようだ。
「リネア様、ラース様がいると聞いたとかいいつつ、従者と待ち合わせでもしてたのかしら?」
うふふと笑うが、私の方は(そう来ましたか)という感覚しかない。
それを困惑していると考えたのか、エレナ嬢は私を攻撃してくる。
「ラース様を騙すだけではなく、その従者にも手をつけようとするなんて。どれだけ欲深いのかしら。いくらエルヴァスティの名前を捨てたとはいえ、父親とそう変わりはないようね?」
父親と同じ強欲な人間だと言われたようで、少しカチンとくる。
が、ノインの完全に冷め切った表情と、面倒そうな視線に気づかないエレナ嬢を見て、なんだか少し冷静になった。
「それとも本命は従者だったのかしら? 学園内の、人目が届かない場所なら誰にも気づかれにくいものね? 町中ではどこの貴族の従者や使用人が目撃するかわからないし、屋敷内で密会しても同じことでしょうし」
うふふふと笑い、エレナ嬢は続けた。
「その後は駆け落ちでもなさるのかしら? 平民になるなんて、まぁ勇気があること」
それを聞いた私は、(えええ、そんなの嫌だわ)と思った瞬間に、するっと言ってしまう。
「エレナ様は、愛する人を路頭に迷わせたいという願望をお持ちなのですか?」
「……は?」
エレナ嬢は理解できずに、目をまたたく。
あら、ノインもいぶかしげな表情をしているわね?
「私はレーディン伯爵様のご厚意で、養女にしていただいた身。そうでなくとも、貴族令嬢が勝手に家を飛び出しても、個人的な資産もない状態では貧しい民と同然の状態にしかなりません」
平民のように生活をすることも、働く方法もわからないのでは、一人で生きていくことなど不可能だもの。
「それに駆け落ちに付き合わされたら、ノイン自身も仕事を失うわけです。貯蓄があるとしても、どんな問題が後々起こるかもわからないですし、貴族の家を飛び出したのですから、同じ職に就くわけにもいかず……二人で路頭に迷うのは必然ですよね?」
当然そうなると思うのだ、私は。
「そんないばらの道へ、愛する人を引きずり込む趣味はないので」
「え……あ……」
エレナ嬢は言葉を失っている。
後ろにいる令嬢達も目を丸くして、ぽかーんと口をあけていた。お行儀が悪いですよ?
ノインはなぜか笑いをこらえるように、口元がふるふるとしている。目が完全に笑っていた。そんなに面白いことを言ったかしら?
「そ、ま、ま、まぁそんな駆け落ちだなんて、たとえ話ですし、あなたにそんな勇気はないわよねぇ?」
真っ先に建て直したのはエレナ嬢だった。意外としぶとい。
「自分に侍らせようと思っているのでしょう?」
そう言うけれど、従者に顔のいい男を選んで侍らせて喜んでいるのはエレナ嬢では? 普通の家の令嬢は、男を側仕えとして置こうなどとは考えない。
万が一にも間違いが起きては困るので、親から渋い表情で諭されるはず。
あと、婚約の時に問題になる可能性もあるわね。政略結婚であれば子供の父親は自分でなければ困る、と考えるでしょう。
そもそも問題があるのでは。
「ノインが忠誠を誓っているのはラース様です。私はノインの雇い主ではありませんから、そんなことは命じられません」
お客様として礼を尽くしてくれているだけなので、ノインもそんな命令をされたら迷惑なはず。
私の回答に鼻白んだエレナ嬢に、追い打ちをかける人物が現れた。
「ここにいたのか、レーディン伯爵令嬢。スヴァルド公爵閣下が待っている」
黒髪に高い上背。黒の騎士服とマントを見に付けたその人は、ラース様の騎士アシェル様だ。
ブレンダ嬢と一緒にやってきたようだ。
よそ行きの言葉遣いのアシェル様は久しぶりで、なんだか違和感がすごいわね。
ブレンダ嬢は、ラース様よりも先にアシェル様を見つけたようだ。緊急性があるからと、アシェル様を連れて来ることにしたのだろう。
私は感謝を込めて、微笑みをブレンダ嬢に向ける。
ブレンダ嬢も小さくうなずきを返してくれた。
けれどその時、なにかいいことを思いついたように、エレナ嬢が表情を明るくした。
「まぁ、ラース様のところの騎士ではないの」
エレナ嬢は笑みをアシェル様に向ける。
「ちょうどいいわ。ラース様のところへ伺いたいと思っていたの。案内していただけないかしら?」
にこやかにそう頼んだエレナ嬢。
(何をしたいのかと思ったら……。私よりも自分が優先されることを見せつけたいの?)
そうまで対抗してくることこそ不可解だ。
しかしアシェル様は、綺麗に全てを無視した。
「さ、早く」
何も聞いていなかったかのように、私を急かす。
まさか。自分の言葉をエレナ嬢が無視したからって、やり返してる?
疑いのまなざしを向けると、アシェル様は「心外な」と言わんばかりに無表情だ。
(これは、ただ面倒だと思っただけなのかも……)
相手にするだけ無駄だとか、そんなことを考えていそうだわ。
そしてエレナ嬢の顔がだんだんと怖くなっていく。
「なによ……騎士の分際で、王家の血を引く公爵家に逆らえるとでも思っているの?」
低い声でそういったエレナ嬢は、アシェル様を睨みつけている。
「従いなさいよ。臣従している家の居候など、放っておけと言っているのよ?」
「これは同じ公爵家の、しかも当主の命令だが?」
振り返ったアシェル様は、意にも介していない。冷たい目でエレナ嬢を見返している。
「今ここにいる公爵家の人間は私だけよ!」
「しかし俺にスヴァルド公爵閣下の元へいるように命じたのは、お前が仕えている王家だが?」
アシェル様の容赦ない言い方に悔しさが募ったのか、エレナ嬢の顔が赤黒くなっていく。そして吐き捨てるように言った。
「アルタージェン? フォルシアン? どっちにしろ滅ぼされた国の人間のくせに。どうやって王家に取り入ったのかしらね?」
エレナ嬢にとっては腹いせの言葉なのだろう。それを言うのだから、王家の命令だというアシェル様に抵抗できないと悟ってのことだと思うけど。
(アシェル様、他国の方だったの?)
彼については出自もふくめて良くは知らない。ただただラース様が信頼していて、昔から知っている相手で、私に手を差し伸べてくれる方だから信じていた。
他国出身というのだけが少し気になる。
いえ、それは悪いことではないのだ。
(それもこれも、隣国と通じて国を侵略させようとしてみたり、ちゃっかり自分は他国の人間になって罪を逃れている父の未来を知ったせいよね。アシェル様のせいではないわ)
冷静にそう思いながらも、少しだけ心が揺れたのは、私の弱さかもしれない。
「その辺りは王家に話をしてもらおう」
アシェル様はにべもなく切り捨てた。
王家が決めたことなんだから、王家と話せばいいだろう。王家に近い公爵家の娘だと威張るのなら、それぐらいできるだろう? という言外の含みを感じる。
アシェル様は短い言葉しか口にしていないのに。
一方のエレナ嬢は、なぜか薄笑いを口元に浮かべていた。
なんだか危険な感じがして、思わずエレナ嬢に何か言わなくてはと思った私は、ハッと気づく。
私……昔はこんな行動をしようとも思わなかった。
そもそも話したところで、エレナ嬢が自分の話を理解してくれるとは思いもしなかったのだ。むしろ違う言語を話す、別の国の人のように考えていて、話しても無駄だと諦めきっていたのに。
(いつのまにか、前向きになってたんだ)
そんなことに気づいた後で、エレナ嬢には何も言うまいと、考え直した。
彼女は私が何を言ったところで、理解したいとは思わないだろう。以前の私同様に、私が自分の言葉を理解する生き物だとは思っていない節がある。
余計に怒らせて、アシェル様に迷惑をかけてはいけない。
「それでは失礼しますね」
エレナ嬢が何も言わないのをいいことに、私はノインに手招きし、急いでアシェル様とともに立ち去った。
エレナ嬢が何も言わなかったことの方が、ちょっと不気味だと感じながら。