エレナ嬢の目的
「あら、でもあれは……」
ブレンダ嬢が足を止めたのは、一緒にいるのがラース様の従者ノインだったからだ。
なにやら話をしているようだが、ノインの顔に『面倒』の二文字が見える気がする。
「ラース様の従者がなぜ……。エレナ様に絡まれているのかしら」
私のつぶやきに、ブレンダ嬢はうなずく。
「そう考えてもおかしくない雰囲気ですね。なにか用事で来たのでしょうけれど……。従者の身では、さすがに公爵令嬢の話を断れないでしょうし。どうなさいます?」
ブレンダ嬢に、この後の行動について確認される。
エレナ嬢とその仲間が待ち構えているだけなら、このまま二人で立ち向かっただろう。けれどラース様の従者が絡んでいるとなると、ちょっとやっかいだ。
「ラース様にお知らせしていただけますか?」
呼ばれたのは私なので、私さえ行けばエレナ嬢は満足するだろう。そうして話を引き延ばしている間に、ラース様に来ていただくのが一番に思えた。
なにせ従者のノインについては、私に権限がない。だから上手く逃がせない可能性があるからだ。
「わかりました」
ブレンダ嬢は私の意図を察して、すぐにラース様を呼びに行ってくれた。
そして私は、まずエレナ嬢にしばらく話しかけず、隠れておくことにした。なにせ時間をかせぐのなら、彼女と話を『開始しない』のが一番だ。
案の定、
「まだなの!? あのあくどい女は!」
エレナ嬢は大変お怒りのようです。
「ちゃんと呼んだの!?」
「間違いなく召使いに届けるよう指示いたしました、エレナ様」
いつも一緒にいて公爵家のおこぼれを待っている子爵令嬢が、怯えた様子で答えていた。
ふむ……やっぱりエレナ嬢が命じて手紙を届けさせたのね。
「文字の違いを察して、偽の手紙だと思われたのではないの?」
「そんな……」
子爵令嬢は涙目だ。どうも彼女がラース様の文字を模写したらしい。
他の令嬢達も不安げに視線をやりとりしている。ややエレナ嬢に非難めいた目つきの人もいて、家のためにか、自分が有利になるようにと付き従っていても、エレナ嬢の命令が度々理不尽の度が過ぎているのかもしれない。
とはいえ、利益のために誰かを騙したり(主に私)他の誰かの迷惑になることをしたり(私とか)しているので、正直同情していいのかわからないけれど。
そんな中、ラース様の従者は冷めた表情をしている。
絡まれるのが初めてではない、とかかしら?
そんなノインに、エレナ嬢は近寄って言う。
「あのとんでもない女を、ラース様の側に置くのは感心しないわ。しかも、同じ館に住まわせていると聞いたのだけど?」
(あ、もう知ってしまったのね)
さすが公爵令嬢と言うべきか、耳が早い。いや、彼女の取り巻きがその話を聞きつけたのだとしたら、取り巻きの多さの勝利なのかもしれない。
「エルヴァスティ伯爵家がどれだけ評判の悪い家なのか、あの女と父親の悪辣さだって、貴族家の従者なら耳にしたことがあるでしょう? 追い出すべきだわ、今すぐにでも。そう思わない?」
この物言い自体は、いつも通りだなと思うけれど、ラース様の従者に同意を求めてどうしたいのかしら?
首をかしげていたら、続きが耳に入って、エレナ嬢の目的が知れる。
「あなたからそっと、ラース様に進言なさい。そうしたらきっとラース様はお考えを変えるでしょうし、あなたに感謝するでしょう。きっと待遇も良くなるわ」
どうやら私の悪口を、ラース様に吹き込ませようとしていたらしい。
ひいてはノインを自分の味方にして、私への攻撃道具にしたいのではないかしら。
しかしノインはじっと黙ったままだ。
「何とか言ったらどうなの?」
その態度にエレナ嬢は苛立った。けれどふっと表情を和らげる。
「そうよね、主に中元するのは怖いわよね? でも大丈夫。万が一にも叱責されるようなことがあれば、私の家に来たらいいわ。もっと良い待遇を用意しましてよ?」
誘いかけながら、エレナ嬢はノインに手を伸ばす。ノインの方は、やっぱり面倒そうな表情のままその手を避けた。
「申し訳ございません。貴婦人には用もなく触れてはならないと、教育されていますので」
「触れてはならない!?」
どういうこと!? とエレナ嬢は眉尻を吊り上げた。
そんなに怒るのは、いつもエレナ嬢は気に入った従者にそうして同情を引いたり、ささやかに誘惑をしては家へ勤め替えさせていたのだろう。そしてこの方法に自信があったに違いない。
しかしノインには通じなかったようだ。さらっと応じている。
「そう教育されておりますので、ご容赦ください」
「お給料が上がるのよ!? 何も思わないの!?」
エレナ嬢もこういった人物に会うのは初めてだったようだ。信じられないという表情をしていたが、続くノインの言葉に目を見開いた。
「ラース様こそが至上の主ですので。あの方以上の人を知りませんので、他に主を頂こうと思っておりません」
ぱっと聞くと、ラース様に心酔している従者の忠誠心からの言葉に思える。事実エレナ嬢の友人達の中には、感嘆の息をもらしている人もいた。
が、エレナ嬢はその真意を理解したようだ。
「私は……ラース様には及ばない程度の人間だと? この、王子殿下の婚約者候補として名前が上がるような私を!」
そんな風に言われることがないせいか、エレナ嬢はかっとなって手を振り上げた。
ノインの方は「仕方ないから片頬を差し出そうか」みたいにちょっと顔を傾ける。
これはだめだ。
私は慌ててエレナ嬢の方へ数歩進んだ。
「まぁ、これはエレナ様、ごきげんよう。ここにラース様がいらっしゃると聞いたのですが、ご存じありません?」
私はそう言って、慌てて手を降ろしたエレナ嬢を見たのだった。