おかえりなさい
エルヴァスティ伯爵についての問題が、決着したら……。
元々、私がラース様にご厄介になるのも、こうして養女にしていたくことも、エルヴァスティ伯爵の国家転覆のたくらみをくじくため。
レーディン伯爵夫妻にはそう説明しているはず。
でも、それが終わったら?
ラース様もカルヴァ様も、約束した以上は見捨てないと言われている。だから望めば令嬢として生活を続けられるのだろう。
でも、いくら他家の養女になったとはいえ、侵略を手引きしようとした人間の娘に求婚する図太い神経の人などいない。
貴族令嬢としての役に立たない私を、いつまでも養女にしておくのは、難しいのではないかしら。
レーディン伯爵は同情して、私を家においてくださるだろう。
でもその下の世代になった時はどうかしら。
実子である、あの可愛い姉妹が、いつまでも他所から来たいわくつきの義理の姉の面倒をみていては、彼女達の嫁入り先や、婿入りまで阻害しかねない。
私はそれが心配なのよ。
一番現実的なのは、私が神殿へ入ること。
(それをしたくないからこそ、後見をつけてもらった上で養女になったわけで……)
だから次点で、レーディン伯爵家の分家の方との結婚を世話してもらい、貴族の端くれの立場を保ちつつ……私が表舞台から去ることしかできないかしら。
それなら、ラース様のお菓子開発の手伝いをしていても、問題ないし、レーディン伯爵家の娘、というのは二人の姉妹だけという印象になる。
そういったことについて、レーディン伯爵がどこまでお考えなのかを知っておきたかったのだ。
「今回養女としていただいた理由については、ラース様やカルヴァ様よりお聞きになっていらっしゃると思います。私の証言が疑われないため、私の立場をエルヴァスティ伯爵家から遠くに置いて、味方を増やしてから……という方針のことも」
確認のための説明に、レーディン伯爵はうなずいてくれる。
「ただ無事に告発が終わってからは……。正直、反逆者の娘であることは誰もが知っているわけでるから、私がレーディン伯爵家にいることで、義理の妹になる彼女達のお嫁入りに影響するのではないかと心配しております」
私の考えを説明すると、カルヴァ様が言った。
「ある程度のことは、そなたのスキルのことがあれば帳消しにできるだろう。公表するのは、告発が終わった後の方がいいだろうが」
レーディン伯爵は片眼鏡の位置を指先で直しながら言った。
「そうだな。告発が終わって、君が父の不正を暴いたのだと印象づけたところで、スキルを持っていることも明かせば、かなり君の印象は改善するはずだ」
「でも、嫁入り先を探すのは難しいのではありませんか? そしてスキルを公表すると、なおさら難しくなりそうです」
スキルを持たない状態なら、格下の家に嫁入りをしても、告発をしたとはいっても外聞が悪いからだろうと納得されるだろう。
でもスキルを持っている場合、格下の家に嫁ぐのは……さすがに難しい。
するとなぜか、レーディン伯爵とカルヴァ様が目をまたたいた。
レーディン伯爵夫人が、ふふっと笑う。
(……? 私なにか変なことを言ったかしら?)
「それについては、あとで状況が変わった時に、それに沿って考えよう。心配はない。私の娘として責任を持って、将来についても考えて行こう」
「ありがとうございます」
一礼しつつ、リネアは首をかしげた。
(今はまだ、どうするかは決まっていないということ……かしら)
たしかに状況が定まらないと、どうとも言えないのかもしれない。
「そういえば、ね」
納得したリネアに、レーディン伯爵夫人がきらきらした目を向けて来る。
「スキルってどんな感じ? 見せてもらえるかもしれないって、とても期待していたの!」
「お前……」
レーディン伯爵が呆れた目を夫人に向けている。でも伯爵夫人はだってだってと言いながら両手を握りしめる。
「もうこの日が待ち遠しくって! 魔法はいくらか見た事がありますけれど、スキルはそうそうお目にかかれるものではありませんわ!」
夫人の言うことももっともだ。
「では、少しだけ……」
初対面であることだし、特に悪く思われてはいないものの、もっと良い印象を与えておきたい。
そんな風に考えた私は、念じる。
『クッキーはこの指先に触れられない』
「見ていてください。クッキーに触れなくなります」
そう言って、お茶と一緒に運ばれてきたクッキーのお皿に指先を伸ばす。
すると。
――ひょい。
人差し指を近づけると、クッキーが逃げる。
――ひょい。
おいかけるとさらに逃げて、ぶつかったクッキーをも押しやった。
四本指を近づけると。
――ずずずず。
沢山のクッキーが皿の片側へと寄って行く。誰も触れていないのに。
「すごい、すごいわ!」
伯爵夫人は立ち上がらんばかりに興奮し、レーディン伯爵はまじまじと片眼鏡の位置を直しつつ目を細めた。
「これは間違いなくスキル……」
初めてスキルを目の当たりにしたカルヴァ様も、「ほぅ」と感心したようにうなずいていた。
とりあえずこうして、初めての養父母との対面を終えることができたのだった。
帰りはそのまま、カルヴァ様に送っていただく。
そうしてスヴァルド公爵家へ到着すると、エントランスまでラース様が迎えに出てくれていた。
「おかえり、リネア」
そう言われた瞬間、私は妙に肩から力が抜けるのを感じる。
養父母に初めて会うのだから、緊張していたのは確かなのだけど……。こんなにほっとするのって、私がもうここを家のように考えてしまっているのかしら?
厚かましいと思われないようにしなくては、と思いつつ一礼する。
「ただいま戻りました、ラース様」
「どうですか? なかなか楽しい方々だったでしょう?」
「はい、とてもお優しい方々でした」
私の答えに、ラース様は満足そうに微笑んでくれる。
「では早々に食事にしようか」
言われて気づけば、たしかに夕食の時間だ。
私は急いで外出着から着替え、ラース様とアシェル様とともに、食卓につくことになった。
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