はじめましてお養父様お養母様
レーディン伯爵は、そのまま肩を震わせている。
しかし、どもったから恥ずかしがっているわけでもない。
やがてその目の端から、つぅーっと涙が伝って落ちた。
「……え?」
一体何が起きたの? 私何かいじめるようなことを言ったかしら?
混乱する私の前で、隣にいた伯爵夫人がそっとハンカチを出した。
「あらあらまぁまぁ。我慢できなくなったようですわ。カルヴァ様からあなたのことを聞いてから、ずっと気の毒がってて……悲しいお話が苦手な人なのよ。さ、涙をふいてくださいまし」
夫人からハンカチを渡されたレーディン伯爵は、鼻をすすりながら涙をふき、鼻をかんで私に向き直る。
「く、くだんの娘か、ようやく会えたな。カルヴァが忙しくしていたため、遅れたことを……ぐすっ……わびよう」
レーディン伯爵は、やや鼻声のままなのに、最初から言うつもりだったらしいセリフをそのまま告げた。
私の方は、どう応じていいのかわからない。
ぽかーんとしそうになって、慌てて口を閉じ、それからまだ首をかしげる。
ようするにレーディン伯爵は、涙の理由が私の事情を聞いて心底気の毒になったからだと奥方にバラされてしまったようだ。けれど予定していた通り、厳格そうな態度で私に応じようとしたのでは。
(なるほど。時間厳守が好きで、予定していた通りのことを実行したいタイプ……)
だけど涙もろい……というより、涙もろいところを隠したくてそうしているのかもしれない。
それなのに、つい涙してしまうほど私の状況が気の毒すぎたと。
(え、でも私、泣くほどだったかしら……)
さすがにそこまでではないだろうと思ったが。
「母親を幼い頃に亡くし、父には母ともどもかえりみられたこともなく、親子らしいいたわりの言葉一つかけられずに育った孤独な娘だと話してある。あとエルヴァスティ家の財産を目当てにした貴族との婚約はしていたが、すでに愛人候補を作って、贈り物一つもない名前ばかりの状態。……毎年誕生日には、寂しく暗い部屋の中、一人で母方の叔父がくれた贈り物だけを楽しみにすごしているのだとも話したか」
私の動揺を察したのか、カルヴァ様が説明した内容を教えてくれた。
あ……なんかとても可哀そうな気がしてきたわ。
内容は私が説明したことそのままなのだけど、おそろしく孤独で寂しそう……。
あ、なんか私の方まで落ち込みそう。
ほんの少し前までは、たしかにそんな状況の中で鬱屈を抱えていたのよね。
「びっくりしたわよね。この人がレーディン伯爵のケネス。私はマルグレーテ。この二人はあなたの妹になる子達よ」
伯爵夫人は、にこやかに口をはさんだ。レーディン伯爵の涙もろさに慣れっこらしく、さっさと娘達に自己紹介するよう促す。
子供二人は、伯爵夫人と同じように「まぁまぁお父様ったら」という視線を向けていたが、慌てて真面目な表情を作る。
まずは年上の子が、かわいらしくお辞儀した。
「ロレッタです」
「アイナです。初めましておねえさま」
小さい女の子の方は、ぺこんと頭を下げただけになったが、またそれが可愛らしい。
(妹……妹ができるんだ、私)
姉妹というものに、多少なりと憧れた時期もあった。
そのためにはあの父が再婚しなければならないのだが、とても再婚などしそうにないので諦めたのだったか。
(そもそも、私の母と結婚したこと自体が奇跡なのではないかしら)
今も独身のままだが、実父は母に操立てしているようではない。少しだけ男色を疑ったこともあるぐらいだ。
ちょっと嬉しい。
と同時に、不安になる。
自分の義妹となったのだ。この子達がいじめられたらどうしよう。
「まずは場所を移してくれ、兄上」
カルヴァ様の言葉に、私は応接間に通されることになった。
一方のまだ幼い義妹達は、現れた家庭教師に連れられて、別の部屋へ連れて行かれたようだ。大人の話に付き合うには早すぎるのと、幼すぎてじっと待ち続けるのは難しいと判断されたんだろう。
通されたのは、この片眼鏡の伯爵の家とは思えない、クリーム色の壁に可愛らしい猫の絵ばかりかけられた応接間だ。
家具類は白とピンク色で、こう、落ち着かない……。
(え、待って、レーディン伯爵は可愛いもの好き?)
困惑が深まるものの、顔に出すわけにはいかない。ありがたくも自分の養父母になってくれた人なのだ。
(そう、きっとこれぐらい可愛い物が好きだから、女の子ならまぁ……って感じで養女の話を受けてくれたのよ。それに伯爵の心には乙女な部分があって、だから涙もろいのではないのかしら)
自分を説得する言葉を脳内で連ねていた私だったが、それをカルヴァ様がぶちこわした。
「もう少し落ち着いた部屋があったように思うんだが? 兄上」
「この人が、リネアさんを迎えた時には、ここで絶対にお茶をするべきだと言うんですのよ、カルヴァ様。そもそも、養女にすると決めてからこの部屋を改装したぐらいで……」
おほほほと笑うのは、伯爵夫人だ。
「なぜお止めにならなかったのですか、姉上」
「止めたんですのよ? それで、真っ白な壁で手を打ったのですけれど、カーテンをまぁ素敵な淡いバラ色にされて、家具もいつのまにかバラ色の物を注文していましてね。うちの娘達が喜んでしまったものですから、そこは許容いたしました。飽きたらまた改装したらいいことですしね」
壁は白ですから、家具とカーテンを戻せばいいのですもの。
伯爵夫人はおうように微笑み、レーディン伯爵自身は少しむっとしていた。
「年若い娘が緊張せずに話すには、多少の配慮が必要だろう」
どうやらこの可愛い部屋は、レーディン伯爵の配慮のたまものだったらしい。
申し訳ないやら、私のイメージは一体どうなっているのやらで、とりあえず笑みを浮かべてみせることにした。
どう反応していいのかわからない……。
「なるほど……」
カルヴァ様は納得するしかなかったようだ。
そして私は、案内されたティーテーブルの椅子に座りながら思う。
(とりあえず、印象は悪くないらしいのだもの)
そこさえ問題なければいいのだ。
5/25書籍発売予定です!