帰り際には気が抜けそうになったりも
多少打ちのめされつつも、私はこの日の授業を終えた。
終了を告げられて、ほっとする。
一人きりにはならなかったが、初めてのことだったせいか、なんだか気疲れしたような……。
「今日はお付き合いいただきありがとうございました、リネア様」
ブレンダ嬢にそう言われて、私の方が戸惑ってしまう。
「いいえこちらこそ。何か不手際でもしていなかったでしょうか。おかしなところがあったら言ってくださいね」
正直どうしたらいいのかわからないので、そんな風に言うしかない。
女性の友達……のような関係の人との会話というのが、正直よくわからなかったから。一般的な顔だけ知っている相手への対応を続けていたけれど、それでよかったのかしら。
するとブレンダ嬢は目を見開き、数秒してふふっと笑う。
「ああ本当に、話してみないとわからないものですわね。こんな純粋そうな方だなんて」
そう言われたものの、何がなにやら全く見当がつかない。
純粋?
どこが?
一般的な上辺の対応をしただけのつもりだったのだけど……。
内心首をかしげつつも、何もわからないという顔をするのも対外的によろしくないだろうと、私は微笑んで誤魔化すことにした。
令嬢は微笑みが命。これで全てを誤魔化せと教えてくれた家庭教師には、今でも感謝している。
だいたいこれで何とかなるのだから。
「この後はご予定があると聞きました。私も早々に帰る予定ですので、一緒にエントランスまで参りましょうね」
「はい」
私に友人ができたことを喧伝するためもあるのだろうけど、ブレンダ嬢は一緒に教室を出て廊下を進む。
「きっとお金で買ったのよ」
歩いていると、そんな言葉が聞こえた。
言われるだろうと予想していた物だが、一体誰が言ったのかと思えば、白金の髪を巻いたオーグレン公爵令嬢達の方からだった。
「婚約者をお金で買った人ですもの。友人も、友人を得るために家名を変えるようなわがままも、全てお金で解決したのでしょうね。父親は相当あの娘に甘いんじゃなくて?」
私の足が止まった。
頭の中が真っ白になった後で、めらめらと燃える気持ちが湧き上がる。
買う買わないという単語は別にいい。今までもさんざん言われて来たし、慣れてしまっていた。
けれど父親が娘に甘いだなんて言葉は、どうしても無視できなかった。
(本当に娘に甘い父親というのは……)
「本当に娘に甘い父親というのは、令嬢だというのに侍女ではなく、見目麗しい従者をいつも側に侍らすのを許可するとか、従者に加えたい人間を見つけて強請る娘のために、他所の家に圧力をかけてでも願いを叶えるような親のことを言うのではないかしら」
つい思いが口を突いて出てしまう。
ただしオーグレン公爵令嬢に向かっては言わない。あくまで話す相手は、ブレンダ嬢だ。
私はそのままもう一度足を動かして立ち去ろうとする。
ブレンダ嬢は少しあっけにとられた表情をしていたが、口の端を上げたので、不愉快ではなかったようだ。
「そういうお家もございますね。もっとすごいお話も耳にしたことがありますが」
しかも話題を続けてくれる。
なので自然な会話の流れのように、私はブレンダ嬢に尋ねた。
「どんなお話ですか? もし秘密ではないなら、教えていただけると嬉しいです」
「従者に色目を使った召使いを鞭打ちにして、冬の空の下へ放り出した……ぐらいではよくある話かもしれませんね。家庭教師が従者と仲が良かったことに嫉妬して、身ぐるみはいで森に捨てたというお話しですわ」
え、それはなんだか、先日読んだ救国の乙女の話の、悪役みたいな行動では。
本当にやる人がいるのかと、私は身震いした。
「何て怖い……」
つぶやいた私の背中に視線が突き刺さる……。
気になってちらりと見れば、オーグレン公爵令嬢が憎々し気な恐ろしい表情で私を見ていた。
内心では(あなたそれを本当に実行なさったのね)とつぶやいてしまう。
自分の所業を大っぴらに話されて、激怒しているのだろう。
でも彼女は何も言えまい。
私に突っかかれば、今の話題が自分のことだと認めることになるからだ。
そして取り巻きの数名が、そんなオーグレン公爵令嬢から視線をそらしていた。おそらく従者を取り上げられたりした経験があるのだろう。
「内部から瓦解することはあるんでしょうか……」
ぽそりとつぶやけば、ブレンダ嬢も小声で返してくれる。
「お父上の権力の問題がありますから、そう簡単には。敵を射るためには、まず壁となっている者を転ばせなければならないでしょう」
でも、とブレンダ嬢は微笑んだ。
「それが必要とあれば、ラース様がすでに考えて下さっているでしょう」
なるほど、と私はうなずく。
同時にブレンダ嬢のラース様への信頼がうかがえて……。
(そんな人に手を貸してもらえているんだわ、私)
そう思うと、改めて心強く思えるのだった。