かくれた不安
「僕でかまわないよ。一応養女になる君を預かる形をとっているけど、僕の頼みでそうしてもらっているだけだからね。普通になんでも買っていいんだよ。ドレスも仕立て屋を呼んでおいたから、明日には来ると思うよ」
アシェル様は、赤茶色の瞳を細めて微笑む。
「あ、ありがとうございます。その、いつかお返しいたします」
いつになったらそうできるか、はわからないけど。
カルヴァ様のお兄様……だったかしら。レーディン伯爵家の養女としてもらっても、政治の道具には使えない養女だ。
何かあったら神殿行きの私が、資産を作れるのか自信がない。
(やっぱり問題が起きたり、この一件が終わったら、自分で仕事を持った方がいいのかしら……)
色々と考えると、そうした方がいいのかも……という気がする。
次いで、私は自分のこの考え方に苦笑いする。
以前の私だったら、仕事をするなんてことも考えなかった。
女性で、領地の事業について手伝う貴婦人がいないわけでもないから、仕事について忌避感はなかったけれど、自分が生きて行くために仕事を持つなんて考え方を、今までしたことがなかった。
貴族令嬢としての知識しかない身で、市井で生きるのは難しいとわかっていたから。
「費用については気にしなくていいよ。僕が手配するものに関しては、僕が好きでやっていることだから気にしないで。これも協力費の中に入っていると思ってほしいな」
「協力費といいましても、高価な花菓子を沢山いただいているわけですし……」
花菓子は太らないからと気にせず食べてしまっているけど、あれ一つでドレス一つ分はお金が飛んでいくのだ。
ほんの数分で無くなってしまうものに、一日だけだったとしても、少なくとも五時間は身に着けるドレスと同等というのは、やはり高い。
「君には被験者になってもらっているんだ。薬の開発に協力してもらっているとでも考えてもらえばいいのかな?」
「薬ですか」
「そう、僕も作りたい菓子があってね。色々と効果を調べるにしても、作用が強く出る人間がいるとありがたいんだ。普通の人では、美味しい物を食べただけ……になってしまうからね」
それならまだ納得できそうだ。どんな副作用が出るかわからないものを口にするのなら……。
「今のところ、使った聖花の通りの効果が出ているみたいだよ。しかも君はやっぱり、影響が強く出るタイプみたいだね。同じものを食べても、うちの家令なんかはちょっと『スッとした気がする……かもしれない』と言っていた程度だったし」
比較対象として、他の人も花菓子を食べていたらしい。けど、家令が……。
私は公爵家の家令の、白いピンとした口ひげと、綺麗に撫でつけた白髪頭を思い出す。
もしかするとラース様、使用人で花菓子を試すことが多いのかしら? だとしたら、この公爵家に勤めていると、かなりの率で花菓子を口にできるのかもしれない。
「これからも色々と食べてもらいたいし、他にも協力してもらいたいことが出て来るだろうから気にしないで……という言い方も、ふわっとしていてわかりにくいかな」
ラース様は少し考えて、付け足す。
「花菓子を食べる以外にも、協力してほしいことはあるんだ。今は日常生活で必要なものは、家にいた時と同じように頼んで。そして、他のことでも手を貸してくれた時には、報酬という形で君に渡そうと思う」
それからラース様は苦笑いする。
「あとね、スキルを持つ限り、養女に入った家から捨てられることはないし、君は丁重に扱われるはずだ。特にカルヴァ大神官補佐は、約束した以上は君を見捨てない。それだけ知っていてくれたらいいよ」
そう言ったラース様にお礼を伝えて、私は自分の部屋に戻ることにした。
廊下へ出て歩き始めたところで、先ほどまでラース様の後ろに立って、ずっと黙っていたアシェル様が出てくる。
どこかへ出かけるのかとおもいきや、彼は私に追いついてきた。
「君が本当に知りたいのは、アレではないのだろう?」
「えっ……?」
目をまたたいて私は足を止め、横に並んだアシェル様を見上げる。
紫の瞳と目が合う。
「ラースには事情があって、おいそれと誰かを身内にできない。だから大神官補佐に話が回った。ただそれだけで、仲介が終わったら手を離すというわけではない。安心するといい」
「…………」
私はどう答えていいのかわからなかった。
ぼうぜんとしていると、アシェル様はさっさと立ち去る。
でもその後ろ姿に、優しさを感じる。
「私の……知りたかったこと」
アシェル様に言われて初めてわかった。
私を助けてくれるラース様が、なぜ自分自身で私の後見についてくださらなかったのか。私は、疑問すら考えないようにしていたことを。
もしお菓子のこと以外では交流する気はないのだとしたら、ラース様のやさしさは、あくまで利用価値のある人間だからということで。一時的なものであっても、身内に迎えるほどのものではない、と思われているなんて考えたくなかった。
それぐらい、頼る者のない私は追い詰められていたから。
かといって、ラース様に依存している自分をさらけ出して、嫌われたくはなかった。
そんな私の気持ちを、アシェル様は見通していたのだ。
「ありがとうございます」
もう見えなくなった背中にそう告げ、私は部屋に戻り――。
なぜかまる一日眠り続けていた。