私の新生活はじまります
その時の気持ちを、自分でもどう説明していいのかわからない。
ふわふわと、雲の上に座っているような気分だった。
実際に座っているのは、ラース様の家のソファなのだけど。
同時に、横に座り続けているラース様のことを意識してしまう。
先ほどまでのように、恐ろしいとは思わない。まるで、差し出された温石のような感じだ。
熱くなりすぎていそうで、触ってやけどをしたくないという気持ちと、触れてその暖かさを感じたいという気持ちで揺れ動くような、そんな感覚。
自分でも、わけがわからない表現ね……。
とにかくそれくらい、私にとっては衝撃的なことだったのだ。
貴族男性に、守ると言ってもらえたことは。
(そういえば、アルベルトにはそれを期待して……すぐに諦めたのだったわね)
私に愛想良くしていた時だって、そんなことは言わなかった。
きっと、周囲を文字通り蹴落として財を成した伯爵家の娘など、適当に機嫌を取っておけばいいと思われていたのだ。
ミシェリアが現れなくとも、愛する人は別に作るつもりだったに違いない。
でもこんなふわふわな気持ちで、証文に文字を書くわけにはいかないわ。
私はお茶のお代わりをもらい、飲んで気持ちを落ち着けた。
それから私は人生で初めて、証文に署名をした。
文面を考えたのはラース様だ。すらすらと息を吐くように、ラース様が文面を書き記し、あっという間に署名をしてしまう。
そこには『スキル』という文字は書かれていない。
ただ私との約束を守るということのみ。
だからこそ私は思う。
(ラース様は、私を信じてくれている……)
私が約束の内容を変えても、彼は粛々と受け入れなければならない。その覚悟があると、あいまいな言葉によって示しているのだ。
これだけでも感謝で一杯になるのだけど、ラース様は早々に私の父に手紙を送った。
内容としては、こうだ。
『神殿へ行こうと外へ出て迷ってしまったリネア嬢を保護した。聞けば呪いを受けたそうで、共に神官と話をした上で、友人として気の毒な彼女の呪いを解く援助をしたいと思っている……』と。
ものすごく都合がいい話だけど、大丈夫かしら……。
不安にはなったが、ラース様は「心配ないよ」と微笑むばかり。
ちなみに私は、そのままラース様の家にごやっかいになることになった。
公爵家に滞在することについても、
『魔法による呪いなので、知人の魔術士に引き合わせて、時間をかけて改善をしようと考えている。そのため、我が家に逗留してもらうことにした。もちろん学院にも通わせるので、心配しないでほしい』
という文面を、ラース様が父に送った。
「腐っても公爵家だからね。君の父上も、僕の招きであれば断らないだろう」
「ええ。いつも通りなら、特に問題はないかと。ただ心配なのは、私をなにかに利用する予定だった時のことです。そのために、ラース様が私を連れ去ったと主張して、ご迷惑をおかけするのでは……」
私に興味がなく、常時存在を忘れている父だけど、投げようと思った石を誰かに取られたら、何をするかわからない。
正確にどうするのかまでは、まったく推測もできないけど……。なにせほとんど関わらずに来た人だから、冷血漢だということぐらいしかわからないのだ。
「その時には、また別の策を考えるよ。色々手はあるからね。もし直接話したいということなら、明日にでも僕が出向こう」
微笑むラース様だったが、一体他に何の手を打つおつもりだろう……と私は首をかしげる。
「でも大丈夫ですか? 国を侵略させようとしてる人ですし、話し合いの席で父がラース様に危害でも加えたらと心配で……」
「僕を簡単に始末することはできないから、心配しなくていいよ」
一応、別邸の方にもラース様が事情を説明する使いを出してくれた。これでカティも安心してくれるはず。
――と思ったら、カティが戻ってきたラース様の使いと一緒にやって来た。
「お嬢様のお着換えですとか、必要かと思いまして……」
カティは大きな鞄にありったけ私の衣服を詰めて持ってきてくれたのだ。
「眠ったはずのお嬢様がお出かけになっていたと聞いて、とても驚きましたが、ご無事でなによりでした」
しかもほっとした表情でそう言ってくれる。
「心配かけて申し訳なかったわカティ」
「いいえ、ご無事でしたらそれでいいのです」
優しい笑みを見せてくれるカティに、私は心がやすらぐ。本当にカティがいてくれてよかった。
「それでお嬢様。お召し替えはこちらの召使いがされますよね? でしたら私は、戻りますので……」
カティが一礼して公爵家を後にしようとした時だった。
「お嬢様、もしお家の召使いを側に置きたいようでしたら、よろしいですよ。その準備もしてきているようですし」
大きな鞄二つを、他の召使いに部屋へ運ぶよう指示していた公爵家の家政長が、そう言い出す。
見れば、カティは小ぶりの鞄を持っていた。召使いの部屋は狭くて、それほど沢山の私物を持っているわけではない。だからカティの荷物は、それで十分に収まるだろうと思えた。
「それならカティ、お願いできる? こちらに滞在中、私の小間使いとして働いてもらいたいの」
「は……はい、お嬢様!」
カティは嬉しそうに返事をしてくれた。
おかげでその日、カティがいることで、他所の家に滞在していても恐ろしいほど緊張しなくて済んだので、本当に助かった。
そして翌日。
「話は終わったよ」
昼頃、一度出かけたラース様が戻ってきて、午後のお茶をしていた私にそう報告してくれた。
詳しい話をするために、結局父のところへ行ったらしい。
「お手数をおかけいたしましたラース様。それで……」
「うん、無事に君を引き取ることになった」
……ん? 引き取る?