ならず者たちを操った人物は
私はわき目もふらずに走った。
この辺りからなら、スヴァルド公爵家の位置はわかる。
ただ、とても遠い。
広い敷地を持つ館が多い場所だ。建国期からの臣下達が、王宮の側に館を建てたので、必然的にそうなっている。
なので延々と続く煉瓦や石積みの塀の横を進み続けるが、なかなかたどりつけずに息が切れる。
「あのならず者達が、私から百歩以内に近づけないように」
範囲を広げたけど、果たしてこれで効果があるのか不安だわ。
このスキルにも、不安があるのよね……。
不安が的中する前に、誰か普通の貴族が道を通りがかってくれないかしら。そうしたら、助けを求めることもできるのに。
そう思いながら歩いていたら、目の前に黒塗りの馬車が現れる。
馬車は対象外にしていた。だから近づくのは当然なのだ。
ならず者達の仲間が出て来るかもしれない、と私は身構えた。
開いた扉からは、予想外の人物が姿を現した。
「おお、これはリネア嬢ではありませんか」
「…………な」
なぜ、と私は心の中でつぶやく。
馬車から降りて来たのは、どこかで見たような金茶の髪の色あい。そして灰青の瞳の――アルベルトの……父親だ。
「そのような身なりでどうなさったのですかな? 何やらお困りの様子ですが」
歩いて来る彼を見て、私は(しまった)と思う。
スキルは使えない。
さきほどのならず者達が『スキル持ちかもしれない』と騒いでも、あれこれと理由をつけて『気のせいだ』と押し切ることはできる。
でも貴族であるこの人、ヘルクヴィスト伯爵はだめだ。
彼の発言力は、そのあたりのならず者達とは違う。
彼が貴族や神殿に話せば、それは事実として伝わり、私がどんなに嘘をついても、誰かの力を借りて隠蔽しようとしても、消せるものではなくなる。
「いいえ、どなたかとお間違いでは?」
私はとっさに『身元をいつわる』ことを選択した。
「そうでしょうか? その美しい艶のある髪も、美しい立ち姿も、私の知っている令嬢そのものですが?」
完全に私がリネアだとわかっているヘルクヴィスト伯爵は、そう追及してくる。
というか……。
(こんな時でさえ、私の髪の色を美しく表現できないのね……)
ほとんどの人間が、この微妙な髪色を美辞麗句で飾ることができないのだ。ただ美しいと言えばいいものではない。
悪い色ではないとか、花や飾りが引き立つとは言われても、黒とは違う、でも茶色でもない、ミルクティー色というには黒味が強い色では、難しいのはわかっているのだけど。
なんだか笑いたくなってしまう。
(叔父様だけよね)
チョコレートにミルクを足したような甘い髪色、なんて可愛い表現をしてくださったのは。
だからこそ、アルベルトの父ヘルクヴィスト伯爵には、呆れしか感じない。
「お嬢様はもっと美しい髪色をしていらっしゃいます。私のような沼のような色の髪ではございません」
私ですら悪口しか思い浮かばないのだから、もうどうしようもないわね。
ちなみに『沼のような色』と言ったのは、どこかの令嬢が学院で言った悪口だったわね。
頑なに認めない私に、ヘルクヴィスト伯爵は焦れてきたようだ。
「……突然病気で学院に来なくなったと思い調べてみれば、呪いがかかったというわけのわからない話が聞こえて、心配していたのですよ。あなたのお父上は、どうもあなたの価値をよくわかっていらっしゃらないようですので」
私の機嫌が少し下がる。
父が私のことを顧みらないのは元からだから、論じる必要すらないことね。
でもヘルクヴィスト伯爵が感じている私の価値というのは、エルヴァスティ伯爵家をゆくゆくは手に入れられるとか、借金をするのに息子が婚約していると有利だとか、そういう価値でしょうに。
なんだかよさそうに語るところが、腹が立つわ。
「もしかして、我が息子のことでお怒りになって、学院を欠席し、わざと自分の価値をおとしめるような真似をしていらっしゃる?」
ヘルクヴィスト伯爵は悲しそうな表情を見せた。
「確かに、我が息子が召使いに気持ちを移したのは、責められるべきことです。でもこのままではよくありませんよ、リネア嬢。学院へ行かないままとなれば、卒業できない令嬢ということになってしまう。その時不名誉をこうむるのはあなたです」
……そこを気にするのなら、伯爵がすべきは、息子と召使いを別れさせることではないのかしら?
そうはせず、だけど私には気にしている方がおかしい、だから学院へ戻れというのはどういうことでしょうね。
そもそも、私が望んで学院を欠席しているわけではないけれど。
あと、ヘルクヴィスト伯爵が何を気にして私を追いかけたのかがわかったわ。
子供の婚約者が、学院も卒業できない粗悪品では困るからなのね。
だからどうしても、私を学院に通わせようとした。
そのためにならず者を使ったのでしょう。
ヘルクヴィスト伯爵の乗っていた馬車は、さきほど通せんぼをした馬車と同じものだから、あのならず者は彼が雇った者達。
召使いを脅したりしたのは……。あの別邸に娘を置いていてはいけないと、父に思わせたかったとのかもしれない。
一度は通いの召使い達全員を脅して、その目的を達成できるかに思えた。
けれど父は私の場所を動かさない。
だから……召使いを家の側で襲ったりした?
私のことをしつこく追って来たのは、もしかして捕まえて、直接『伯爵家令嬢リネア』を脅そうと思ってのこと?
なんにせよ、この人からどうにか逃げなくては。