家の方がずいぶんマシなのだけど
……正直、家も心からくつろげる場所ではない。
煉瓦の館は、多少蔦が放置されているせいで暗い印象を受けるものの、申し訳程度の狭い庭がある、王都では一般的な貴族の館だ。
だが、内側は静まりかえっていて陰気な感じがする。
父がにぎやかなのを嫌うので、召使い達はいつも息をひそめるように働いているせいだ。
その父は、私が早く学院から戻ったところで心配してくれることはない。
不思議なことに、間違いなく父エルヴァスティ伯爵の息女のはずなのに、私はあの人から親らしい愛情を感じたことはないのだ。
あまりに父が冷たいから、一時期は『血のつながらない拾い子』という噂を信じそうになったこともあるぐらいよ。
母方の叔父様が、母に顔がそっくりだと言ってくれるし、瞳の色が父と同じ緑だから、今では嘘だと認識しているけど。
「お母さまにも元から無関心だったらしいから……そのせいかしら」
幼少のうちに亡くなってしまった母と、折り合いが悪かったせい、というぐらいしか私には思い当たらない。
それでも、周り中が敵みたいな学院にいるよりは、よほど落ち着く。
自室に入ると、掃除をしていた召使い達が慌てて出て行く。
本当なら私が帰る前に済ませるはずだったのだろうけど、早々に私が来てしまったので、さぞ驚いたことだろう。
それを横目に、私より先回りしていた別の召使い達が着替えの手伝いをしてくれる。
締め付けのゆるい部屋着にしてほっとしたところで、壮年の家令と中年の執事がやってきた。
「ヨアキム様からのお誕生日プレゼントでございます」
「叔父様から……ありがとう」
執事の方から差し出された、両掌に乗る大きさの銀色の箱を受け取った。
ヨアキム叔父様は母の弟にあたる人だ。母の忘れ形見になってしまった私のことを、気にかけてくれている貴重な人。
一方で、明日の誕生日のプレゼントは他にはなかったなと思う。父親は、おそらく例年通りなのだろう。そう考えながら家令に視線を向けると、家令は視線をそらした。
「明日はやはりパーティーは行わないと旦那様がご決定されました」
「わかったわ」
うなずくと、家令は執事を連れてそそくさと退室していく。
私に冷たくしているのは父なのだけど、それを伝える役目の家令は、私に対して後ろめたい気持ちになるようだ。
私は飲み物を用意させたうえで、召使い達も部屋から退室させた。
誰もいなくなった部屋の中、ふっと息をつく。
「誕生日を祝われることなんて、どうせ期待していないのだけど。あんなに後ろめたそうにされる方が気が重いわね」
きっと家令や執事は、自分の子供には優しい父親なのだろう。
私の父親がそうではないことはとっくに諦めている。なので逆に、それが当然のように振る舞ってくれた方が、気が楽だ。
……私が幸せな家庭には生まれなかったことを、そんな態度からでも思い知らされるのは好きではない。
もう一度ため息をつき、私は銀の箱をそっと開けてみる。
「……まぁ」
中には大輪のダリアのような形の、硬質な花があった。
青紫のような色の花弁は五枚で、闇の影が射したように中心部は黒い。けれどそれが夜空のような美しさを花に与えている。そして鉱石のような質感だ。
でもこれは花ではない。
「聖花菓子……」
聖花、というものを使って作られた菓子だ。この光沢からすると、飴と聖花を混ぜて作ったのではないだろうか。
不思議な植物である聖花は、菓子の材料に混ぜ合わせると、元の花とよく似た姿へ戻ろうとする。
そんな聖花は、普通の植物ではない。
深山幽谷に生えたり、満月の時でなくては姿を現さないものもある。種を植えて育てられるものではなく、どこに生えるのかはわからないのだ。
しかも魔法の媒介となるため、質の良いものはまず魔術師ギルドが回収してしまうか、神殿が買い取る。
欠けがあったり、崩れてしまったものだけが、高価なお菓子の材料として売られるのだ。
特に貴族達は、聖花菓子の美しさを好んで、競って買う。
まぁたまに……聖花菓子を食べた子供が魔術の才能を発揮することがあるので、それを目的として、子供に買い与えることの方が多いらしいけれど。
しかし私が今まで見たことのある聖花は、どれも赤や黄色や白の、明るい色ばかりだったので、なおさら驚いた。
「きっと、人気のない花色だからお菓子に回されたのね」
でも綺麗だ。
私はこの高価なお菓子が大好きだ。すぅっと溶けていくような甘さと、後に残る感覚がとても心地よくて。
「明日は、この花をこっそり食べて、一人で祝いましょうか。でもまずは一つだけ……」
味見をしよう。
そう思って私は、花弁を一つ折り取る。
口に運んで……そのまま意識を失うように眠ってしまった。