なぜ婚約破棄されないの?
王都の中を移動するだけなので、一時間も馬車を走らせれば、目的地に到着した。
目的地は、煉瓦の武骨な塀に囲まれた家だった。
門の前で止まった馬車から降りると、周辺の住民だろう。それほど裕福ではなさそうな衣服を着た人々が、こちらを伺っていた。
私は先に門の中へ入った家政長が、こわばった表情で振り返りつつ見ているので、三角屋根の家の中に入る。
(大きさは、いつだったか見た商人の家ぐらいかしら?)
台所や浴室に居室、食事をする部屋が一階にはあるが、あとは二つほど使用人が使う部屋があるだけ。
二階も部屋数は三つほど。残りは同じ階に、使用人用と思われる小さな部屋が三つある。
荷物の搬入を指示した家政長は、家具の配置が終わると私に紙を渡してきた。
まだ私と話ができないと思ってのことだろう。
中身には、簡潔に伝達事項が書かれていた。
・今日からここに住むこと。
・呪いについては旦那様が調べる。
・許しがあるまで家には戻ってはいけない。
・学院は病にかかったので休むことになっている。
・食事と掃除に関しては、通いで使用人が来る。
・衣装代などは伯爵家に支払いを回し、こまごまとしたものに必要な金銭は定期的に本宅から家令が届けに来る。まずは今月分を、カティに預けていること。
「わかったわ」
私がそう答えると、家政長は一礼して家を出て行った。
その背を見送り、扉が閉じ……。
この時になって私は気づいた。
「学院へ行かずに済むのはいいとしても、婚約は破棄にならないの?」
え、呪われたまま婚約をし続けていたら、アルベルトにこの話が伝わった時に、ますます私が恨まれるのでは? 面倒よ!
「ちょっと待って家政長! 婚約者にはこのことを伝達しないのかしら!?」
追いかけて、でも私は家政長の声が『なぜか』聞こえないことになっているので、どうしようかと思ったが。
「…………」
馬車に乗る直前に足を止めた家政長は、私の元へ戻り、私を追いかけて来たカティに何かを言う。
そしてカティが伝えてくれた。
「お嬢様が呪われていると知られるのは、伯爵家にとってよくないと……。そこで婚約を維持したまま、呪いを解く方法を探すとのことでした」
もっともな話ではあった。
婚約を解消して、その原因を調べられた時に、私が呪われたと知られれば家名に傷がつく。
(でもあれだけ黒い噂だらけで、誰もが嫌う伯爵家が家名を重んじるなんて)
私は内心で笑ってしまった。
でも、とりあえず父はこの伯爵家という家名が必要だということだ。それを壊しかけない要因である私を、人が出入りすることの多い本邸へ置かずに、ここへ隠すくらいには。
(では、病気だと偽ってずっとここに置いておかれる可能性もあるわね?)
婚約は、私の存在が必要なくなったら、解消されるのだろうか? それを待つのは嫌だわ。
でも幸いなことに、もう学院へは行かなくてもいい。おかげでミシェリアとの縁も切れる。
……ほっとした。
ただこれで問題が終わるわけではない。
私としては、呪われた娘として神殿へ預けるか、田舎に放置することを期待していたのだけど、そこまではいかなかったのだ。
このままでは、結局は療養と称して隣国へ連れて行かれて……あの夢をなぞるような事態になることも考えられる。
(やはり、平民になるしかないかも。令嬢としては死んだふりを装いましょう。そうしたら、婚約も自動的になくなるわ。そのために、この環境はなかなか悪くはない)
監視はいない。付き従っているのはカティだけ。
目を盗んで平民の生活を覚えて……あとは仕事だけど。スキルを使えば、何かができると思う。
ちょっと明るい兆しが見えてきた気がして、私は思わず口元をほころばせていた。
その日、昼食時から通いで雇われたという女性がやってきた。
「あらまぁお可愛らしいお嬢様で」
にこやかにそう言うものの、私の二倍の年齢だろう女性は、どうやら私のことをどこかの貴族の愛人だと思っているようだ。
私が昼食を食べている間、カティは彼女の話に付き合わされ、延々と探りを入れられていたらしい。
「とりあえず変えていただくように、本邸にお願いをしました。なので数日の間、何か聞かれてもご辛抱ください」
カティはすまなさそうに言って、私の前に水の入ったグラスを置いた。
「あとお食事の内容も……粗末なもので申し訳ありません……」
カティがずいぶん気にしてそう言った。
でも私にとっては豪華なごちそうよりも、今日の食事は美味しかったのだ。
茶色いパンは確かにいつもの白パンみたいに甘くはないし、干し肉を入れたスープも、サラダではなく野菜をいためたものにゆで卵が、今日のメニューだ。
かなり庶民的だったし、食べる前は少し緊張した。
でも平民になると決意したのだから、と思い切って食べてみたら……なんだか、味はそれほどではないのはわかるのに、とても美味しく感じてしまった。
きっとあの館から出られたからでしょうね。
「気にしないで。私はずっとこんな食事で大丈夫よ」
そう返事をすると、カティは「え!?」と言いたげな表情になった。
そんなこんなで引っ越し当日は終わり、私は簡素な天蓋もない寝台に横たわって息をつく。
壁も漆喰の簡素な白い壁。
部屋の広さも以前の半分くらいだろうか。
それでも、なんだか今日はのびのびと眠れる気がした。
こんなこと、ブロックスキルがなければ無理だったなとしみじみ思う。
「これで少しは平穏に生きていける……。お菓子をくれた叔父様、ありがとうございます。そしてお菓子を作ってくださったラース様も」
眠る前にと感謝を口にしつつ、私は明日、なんとかしてラース様に手紙を送らなければ、と考えていた。
もう学院にはいかない可能性が高い。
であれば、別な方法で接触しないと……お菓子をもらえないのだから。