幕間 ーー精霊の愛し子ーー
扉の開く音にロイドは顔を上げた。
いくつになっても可憐な少女のような最愛の妻、エマの姿に肩から力がぬける。
「エマ。アリサの様子は?」
「落ち着いてますわ。まだ、油断は出来ませんけど……」
エマは不安げに瞳を揺らした。
ハサム神父の診察によると、アリサは危機を脱したということだった。
「熱も下がったし、咳も出ていない。このまま快方に向かってくれたらいいが……」
「ええ……」
会話が途切れ、二人の視線は自然と下へーーベビーベッドの中で眠る赤ん坊に落ちる。
淡い金髪が緩やかに波打ち、愛くるしい顔を縁取っている、彼らの愛しい末娘。
ベルは不思議な光を発した後、深い眠りに落ちていた。
あの光はいったい何だったのか。
考え込むロイドの耳にエマのつぶやきが聞こえる。
「神父様のおっしゃっていたことは本当なのかしら……」
ハサム神父の言葉をロイドは思い返す。
「精霊の愛し子、とおっしゃっていたな……」
神父の言葉によると、アリサを救ったのはベルらしい。
より正確に言うと、ベルの願いによって精霊が力を貸したということだった。
ーー魔欠病を完治させるほどの力を持つ者は、滅多にいません。
ベルさんが精霊の愛し子と呼ばれる存在なのはほぼ間違いないでしょう。
そう断言されてロイドが尋ねたのは、ベルに問題はないのか、ということだった。
精霊は自然神イシュルの使いとされている。
神秘に触れて、幼いベルに負担はないのか。
なんらかの代償を求められてはいないのか。
おそらく大丈夫でしょう、と神父は言った。
ーー私は精霊教の信徒ではないため、それほど詳しくはありませんが、精霊はベルさんを守護していると思われます。危険はないでしょう。
その言葉にロイドとエマはほっと息を吐いたが、神父はしかし、と顔を曇らせた。
ーー精霊教に知られると、ベルさんを引き渡すように言われるでしょう。
それはロイド達には受け入れがたい未来だった。
ベルのことを考えたら、精霊との付き合いを学ぶためにも精霊教に預けた方がいいのかもしれない。
だが、ベルはまだ一歳にもならぬ赤ん坊だ。
手放すなんて、考えられない。
ロイドとエマはハサム神父に頼み込み、ベルのことは秘密にしてもらったのだった。
ーーこれでよかったのだろうか。
ロイドは眠るベルを見つめながら、自身に問いかける。
親のエゴで、この子に棘の道を歩かせることになってはいないだろうか。
「ベル……」
そっと呼びかける。
すると、ベルの目がぱちりと開いた。
朝露に濡れた若葉のような鮮やかな翠の瞳がロイドとエマを見上げ、ふにゃりと笑み崩れる。
「とーしゃま、かーしゃま」
その笑顔にロイドは胸がいっぱいになった。
ーーこの子は、私達の子供だ。
「起こしてしまったか。ごめんな、ベル」
抱き上げた体は、まだこんなにも小さい。
「……父様達が一緒だからな」
「あうー?」
不思議そうに見上げてくる可愛い娘に、ロイドは心の中で誓う。
ーーたとえ何が起ころうと、この小さな娘を自ら手放すことはしないと。
エマを見ると、彼女も同じ気持ちだというように頷いた。
それに力付けられ、ロイドは微笑みを浮かべる。
ーーベルがもう少し大きくなったら、兄上に頼んで精霊術士を雇うのもいいかもしれないな。
もちろん、ベルのことを隠してくれることが条件だが、精霊のことを教えてくれる相手は居た方がいいだろう。
これからのことを考えながら、ロイドはベルを優しく抱きしめる。
幼い我が子を少しでもより良い未来へと導けるようにと願いを込めて。
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