1.上の空の奴は、なぜか変なものを食べても気がつかない
陽の光も届かない薄暗い地下室。
誰も好んで近寄ろうとはしないこの場に、青年が一人、歓喜に打ち震えていた。
「やったぞ……ついにやった……」
その青年の言葉に反応する者はいない。なぜなら、周りには散乱した本と、言葉を交わせない小動物しかいないのだから。
「これであいつの物は全て僕の物になる……」
だが、青年はそんなこと気にしない。元々、誰かに話しかけているわけではないのだ。ただ喜びを感じるがあまり、口から言葉が自然と飛び出しているだけ。
「やっと……やっとあの人も、僕の事を見てくれるようになる……」
想像するだけでみるみる顔に笑みが広がっていく。
青年のそれは、もはや歓喜などではなく、狂気に近しいものに変わっていた。
*
いつもの朝食、俺はセリスの入れてくれたコーヒーを飲みながら、さりげなくアルカに話しかける。
「あー……アルカ?最近どうだ?」
さりげなくってなんだっけ?こんな違和感バリバリだったっけ?
「最近どう?」
アルカがクリクリお目目を俺の方に向けながら、首を傾げた。そんな反応になるよな。アルカは悪くない、アルカは可愛い。
「魔法陣の練習は励んでいるかい?」
いつも通りに話そうと思えば思うほど、普段とはかけ離れていく不思議。これで一つ論文書けんじゃねぇか?書かねぇけど。
「うーん……よくわからないけど、昨日もパパとお稽古したから、アルカの魔法陣の事はパパの方がよく分かってるんじゃないの?」
おっしゃる通りです。ちゃんと毎日手合わせしているから、アルカの実力は把握しています。そして、アルカはグングンその力を伸ばしております。
いやー、まじでメフィストってすげぇわ。上級魔法なら単体、中級魔法以下なら複数の魔法陣をノータイムで組成出来るようになったからな。
まだ試してないけど、そろそろ基本属性の最上級魔法くらいなら撃てるんじゃないか?身体強化は相変わらず、中級より上はできないみたいだけどな。
なんか、別に慢心王になっても問題ない気がしてきた。そこら辺の魔物じゃ、例えアルカが油断してたって、もう足元にも及ばないだろ。アルカが傷つく可能性がないなら、今のままでいいか?
いやいや、やはり慢心は良くない。戦う時に相手を見下すような人にはなって欲しくないからな。
俺はわざとらしく咳払いをすると、アルカの方に向き直る。
「そういえば、近々魔族の闘技大会があるんだが、アルカも出てみないか?」
「闘技大会?」
アルカがパンにジャムを塗りたくっていた手を止めて、俺の方を見つめた。
「魔族達の……そうだな、力比べってところかな?アルカもお父さんと訓練してきてだいぶ強くなっただろ?」
「へー……力比べかぁ……」
おっ、アルカの瞳がキラキラと輝いていやがる。これは好感触だな。
「それに闘技大会にはいろんな魔族が出るからな。中には手強い相手もいるかもだぞ?」
「手強い相手っ!?」
なんかめちゃくちゃ食いついてきたんだけど。どこぞの戦闘民族か、この子は。
「出る!アルカも闘技大会に出たい!」
「お、おう、そうか。なら、闘技大会までお父さんと修行だな!」
「やったー!!」
アルカは嬉しそうにパンを頬張った。……戦いに代わる楽しい事を見つけてやらないとまずいかもしれない。このままだとアルカがバトルジャンキーになってしまう。
ま、まぁ、この闘技大会で色々教わることになるだろうから大丈夫だろ!今は闘技大会までの間、のほほ〜んとアルカに修行をつければいいな。
あの後、すぐにアーティクルで起きている事をフェルに報告しに行ったら「ご苦労様!何かあったら声かけるから、闘技大会まではゆっくり身体を休めていてよ!」って、あっさり休暇を申しつけられたんだよ。
またなんか面倒臭そうな依頼が来ると思ったのに、結構な肩透かしを食らったな。
そんなこんなで久々に休みをいただき、アルカと何をしようか考えていると、アルカがセリスに笑顔を向ける。
「ママも闘技大会出るの?」
「…………」
「ママ?」
「えっ?あっ、はい。このイチゴジャムは美味しいですね」
慌てて答えたセリスに、俺とアルカは顔を見合わせた。イチゴジャムの話はしてないし、そもそもお前がパンに塗っているのはマスタードだぞ?
なんかアーティクルの街から帰ってきてからというもの、セリスの様子がすこぶるおかしい。心ここに在らずというか、しょっちゅうぼーっとしていて、今みたいに会話をろくに聞いていない。
考えられる原因は、フローラさんだよな。
なんか二人で話してたみたいだし。フローラさんがセリスに何かしら言った可能性が高いんだけど……。
そもそも、フローラさんとは全然親しくないから、俺の事で知っていることなんて、たかが知れてんだよなぁ。
そうなると、フローラさんが余計な事を言ったっていう線は薄くなるんだけど。なら、原因はなんだって話になる。
俺はコーンスープに口をつけながら、前に座っているセリスを観察した。
焦点の合わない目でひたすらパンを口に運んでいる。お前、辛いの苦手じゃなかったか?シャレになってない量のマスタードだぞ?
それでもセリスはノーリアクションでパンを食べていた。
こりゃ、だいぶ重症だぞ。





