8.田舎の伝承はバカにできない
翌日早朝、俺はセリスの代わりに朝食を届けてくれたマキにアルカを託し、足早にアイアンブラッドへと移動した。
昨日、小屋に帰るとすぐにアルカをベッドに運び、しばらく待っていたが、ボーウィッドはやって来なかったので、約束通り、早朝に迎えに来たのだった。
さて、うちのダメ秘書は元気してるかな……とか、考えてたらボーウィッドの家の前で必死に頭を下げている金髪が一人。
「昨日は大変ご迷惑をおかけいたしました。なんとお詫びをしたらいいか……」
「……気にするな……アニーも喜んでいた……」
「……初めてお酒も飲みましたし……とても楽しかったですよ……」
こいつ……まさか、ボーウィッドのうちに酒を持って行って、アニーさんを交えて二次会したのか。
二人に顔向けできない、とばかりに頭を下げるセリスにバレないよう、俺はこっそりボーウィッド達の隣に移動した。二人が俺に声をかけようとしたが、人差し指を唇に当て、それを止める。
「本当に申し訳ありません……」
「……頭を下げるだけじゃ……誠意は伝わらないぞ……」
おっ、頑張って低音出したらボーウィッドに聞こえなくもないな。喋り方はそっくりだろ。
「私が昨日した事を考えると、返す言葉もございません」
ぷぷっ、こいつ気づいてないでやんの。やばっ、面白すぎて声震えそう。ボーウィッド夫妻が微妙な表情を浮かべてるけど、もう少しだけからかわせてくれ。
「私ができることならなんでもいたしますので」
ん?今、なんでもって言った?
「……昨日はかなり兄弟にも迷惑をかけていたようだが……?」
「クロ様にですか……?そ、それは良くないことですね、はい」
今のセリスの反応から鑑みるに、俺に迷惑をかけた事は全く気にしていない模様。これはいけませんねぇ。
「……俺たちの事はいいから兄弟にもっと優しくしてやれ……」
「……ボーウィッド達がそう言うのであれば善処しますが」
セリスが頭を下げたまま、どうも腑に落ちない様子で答えた。善処するって言って善処した奴なんて見たことねぇぞ。こいつ、どんだけ俺に優しくしたくねぇんだよ。
「……セリスはもっと兄弟に気を使うべきだ……言葉は辛辣だし、扱いはひどいし、口うるさいし、態度が冷たいし、すぐに怒るし」
「そ、そこまで言わなくてもっ!!」
セリスが慌てて顔を上げる。
あっ……。
二人で見つめ合う事数秒。一瞬にしてセリスの瞳から光が消え失せる。やべぇよやべぇよ。
俺は咄嗟にボーウィッドの後ろへと隠れた。
「どういうことで、後は任せたぞ、兄弟!」
「……クロ様?」
地獄の帝王も真っ青になるような声色。全身から冷や汗が吹き出す。
「ひぃっ!き、気づかないお前が悪いんだろ!それに迷惑をかけた事は本当だ!」
「あなたにそこまで迷惑をかけた覚えはありません」
……まぁ、確かに、昨日に関しては腕を組まれていただけだが。いや、ここでそれを認めるわけにはいかない。認めてしまえば、さっき好き放題言った罰が下される。俺の息子を引きちぎる幻想だけは、見たくないんじゃ!
「いーや!迷惑かけてたね!」
「具体的には?」
「…………」
「…………」
「うっせー!バーカ!かけてたって言ったら、かけてたんだよ!」
言っていることが最早小学生レベル。
涙目になりながらバーカ、バーカと叫んでいる俺を見かねたボーウィッドが静かに口を開いた。
「……セリスはさっき何でもするって言ったよな……だったら兄弟を許してやってくれ……」
「なっ……!?」
ボーウィッドの言葉に、セリスが大きく目を見開く。兄弟……お前ってやつは。
セリスは少しだけ俺を不満そうに見ていたが、諦めたように息を吐くと、纏っていた剣呑な雰囲気を消した。
「ボーウィッドが言うのであれば、仕方ないですね。先ほどの事は綺麗さっぱり忘れることにします」
助かった。まじ助かった俺。本当に兄弟は漢気に溢れていやがる。女だったら確実に惚れてるぞ?
「ゴブ太さん達にも迷惑をかけたので、少し挨拶に行ってきてもいいですか?」
「おう、俺はここで待ってるわ」
「そうですか。……アニーさん、ボーウィッド、本当に昨日は申し訳ありませんでした」
最後に深々と頭を下げると、セリスは《ブラックバー》の方へと歩いて行った。俺はセリスの背中が見えなくなったところで、ボーウィッド達に向き直り、頭下げる。
「俺の秘書が迷惑かけたな、申し訳ない」
それを見て、ボーウィッド夫妻は顔を見合わせると、俺の方に向き直り苦笑いを浮かべた。
「……最初からそういう態度なら、セリスも怒らなかったというのに……」
「こういうのはなかなか素直になれねぇんだよ」
「……指揮官様とセリス様は似た者同士という事ですね……」
いやいやアニーさんや、それは聞き捨てならんでしょうが。俺とセリスが似ている?冗談にしてもタチが悪いでござる。
「……昨日はセリス様とフレデリカ様と、三人で色々お話しさせていただきましたが……お二人とも指揮官様の話ばかりでしたよ……?」
「……あの二人が集まれば、俺の悪口が湯水の如く溢れるでしょうね」
「……ふふっ……そういうことにしておきますね……」
アニーさんが意味ありげな笑みを浮かべる。なんだかアニーさんにからかわれているような……くっ、これ以上はドツボにハマる予感がするぜ!
「そういえば、フレデリカは帰ったのか?」
俺が無理矢理話題を変えると、二人が少し困ったような顔になった。えっなに?フレデリカのやつなんかしでかしたの?
「……フレデリカは完全にダウンしている……あいつは相当お酒に弱いみたいだ……」
「……今は客間のベッドで寝ています……かなりひどい顔をしているので、見ないであげてください……」
フレデリカぇ……。今度飲み会をやるときは、フレデリカのやつはアルカと同じノンアルコールカクテルで決まりだな。
あの引っ込み思案なフレデリカが見れなくなるのは残念だけど。
✳︎
三バカの所からセリスが戻って来たところで早速、魔王城へと向かう。普段は小屋から歩いて行くけど、今日は面倒臭いから魔王の部屋の前で転移してやった。
「おーす、フェル。入るぞー」
ノックもそこそこに部屋に入ったところで、俺は言葉を失う。後ろからついて来たセリスも、似たような反応だった。
なんか、魔王様が青いレオタードを着て、音楽に合わせて足を上下に動かしてんだけど。こいつ、マジで何してんの?
「あっ、二人とも意外と早かったね!」
痴態を見られたというのに、フェルは涼しい顔で指を鳴らすと、いつもの魔王ルックに戻った。えっ、ちょっと待って。えらい自然体だけど、さっきのは魔族の中では普通な感じなの?セリスは口をポカンと開けているけど?
「さて、早速説明に入りたいんだけど、いいかな?」
これは何事もなかったかのように進むパターンのやつか。俺はそれとなくセリスと視線を交わらせる。藪蛇になりそうなので、さっきのは見なかったことにする、というのが二人の共通認識のようだ。
「まぁ、そうは言っても対して説明する事はないんだよね。昨日話した通り、二人には人間界に偵察に行ってもらうんだけど、その場所っていうのは『勇者の地』なんだ」
「『勇者の地』、ですか……」
セリスがフェルの言葉を反芻する。初めて聞いた街って顔はしてねぇな。
「そこがいつもと様子が違うんだ。多分行ってみればすぐわかると思う」
「本当にすぐわかるのか?」
「セリスは微妙だけど、クロなら絶対にわかるよ」
まぁ、俺の方が人間界に精通しているからな。いや、つーか俺人間だし。今一瞬、忘れかけてたわ。危ねぇ危ねぇ。
「二人の任務はそこの様子を探ること。何か企んでいるのであれば、その詳細を調査してくることって感じかな」
「わかりました」
セリスがコクリと頷く。わかりやすい任務ではあるな。だが、俺は一つだけ確認しておかなければならないことがある。
「……それは今の『勇者の地』って事でいいんだよな?どっかの寂れた村じゃなくて」
「えっ?」
俺の言葉に、セリスは不思議そうな顔で反応したが、フェルはスッとその目を細めた。やっぱりフェルは知っていやがったか。
「……まさか、クロがその事を知っているとは思わなかった。殆どの人間は知らないはずなのに」
「まっ、成り行きで知ったんだよ」
「ちょ、ちょっと!お二人が話していることがさっぱりわからないのですが?」
セリスが慌てたように俺とフェルの顔を交互に見る。そりゃ、わからねぇよな。魔族のくせに知っているフェルの方が異常なわけだし。
「セリスは『勇者の地』について何を知っているのかな?」
「『勇者の地』ですか?人間の世界で最も優れた者が、王より任命され勇者となり、その者の出身の村や町が『勇者の地』として国から様々な恩恵が与えられる、と……」
フェルの問いかけに、セリスが教科書通りの答えを返す。うん、世間一般に知られている『勇者の地』に関しては満点解答だな。
「その認識で間違いねぇよ。詳しくは知らねぇけど、税の軽減や支援金なんかが国からもらえるらしい。だから、俺達人間の中に勇者になろうと頑張るやつがたくさんいるのさ。勇者になりさえすれば、一代で財を成すことができるからな」
『勇者の地』になれば、一躍豊かな町や村になる。それだけ、人間の世界では勇者か重要視されてるってことだ。
「クロの言う通りだね。だから、『勇者の地』っていうのは決まった場所をささない。何故なら、勇者が変われば当然、その『勇者の地』の場所も変わってしまうからね」
「……それはわかりました。ならば、今代の勇者の出身地がそれにあたるのではないのですか?」
「実は、『勇者の地』には、今代の勇者の出身地という概念という意味以外に、特定の場所を指す意味もあるんだよ」
「特定の場所を?」
セリスが目を向けてきたので、俺は頷いて答える。
「なに、大したことじゃねぇよ。初代の勇者様の生まれた場所がそう呼ばれてるってだけだ。大昔の話だし、そこに住んでる奴しか知らねぇようなド田舎の伝承だよ」
「そうだね。昔はそんなことなかったけど、今ではオカルトの類になってるからね」
「そうなんですか……初めて知りました」
「あんまり知る必要もなかったんだけどね、クロが余計なこと聞くから」
うっせぇな。人間の身としては気になったんだよ。まぁ、人間達が何か企てる場として、今をときめく街か、廃れた村のどっちを選ぶかなんて考えるまでもねぇけどな。
「とにかくそういうことだから、《アーティクル》に行ったことは?」
「あるから問題ねぇよ。転移で一発だ」
俺がこともなげに答えると、フェルが笑みを浮かべる。
「それはいいね。どれくらいかかりそう?」
「まぁ、調べるべきところの目星はついてるから、三日ってところかな?」
「それなら闘技大会にも間に合いそうだね。クロには是非初めての闘技大会を見学してもらいたいから」
あぁ、死んでも間に合わせるぜ。俺にとって、っていうかあの子にとって重要なイベントだからな。
「じゃあ、後は任せたよ。くれぐれも二人が魔族だってバレないように注意すること」
「わかりました」
「へいへい……って俺は人間じゃボケ!」
俺はツッコミをいれつつ踵を返すと、フェルが後ろから声をかけてきた。
「あぁ、そういえば二人とも」
「ん?」
「なんでしょうか?」
俺達が振り返ると、フェルが嬉しそうな顔で洋服ダンスに頭を突っ込んでいる。えっ、なにしてんのあいつ。
「二人ともエアロビクスに興味ないかな?身体を動かすのって、すごい気持ちがいいんだよ!二人用のエアロビ衣装もあるし!」
たくさんの衣装が入っている中から目当ての物を見つけ出したフェルは、二つのレオタードを掴み、二人に向き直る。
「ほらっ!!いいでしょ?」
だが、意気揚々と振り返った先には、既に二人の姿はなかった。





