12.昼間に会うのと夜中に会うのとでは印象がまるで違う
小屋に帰ってきた俺はいつものように夕飯を食べ、いつものようにアルカと戯れ、いつものように風呂に入ってベッドに横になった。
いやー結構な重労働だったけどスピード解決できてよかったぜ。……んまー改善するように頼まれてなんかねぇけど。
それでも前よりは確実に良くなっただろ。動物達だって喜んでたし、あいつらだって仕事にやりがい感じるようになってたしな。
現代っ子みたいにやる気のない奴らが、軍隊よろしくな感じになっちゃったのは気になるけど、必要経費だと思えばいいよなー、うん。
これでやっとギーに交渉できるぜ。流石に三日間の視察でボーとしているだけだと、引き抜きの件頼みづらいし、これだけやっておけばギーも文句は言わんだろ。
あー……やっぱ疲れてんなー……なんだかんだ言ってずっと身体を動かしっぱなしだったからな……もう瞼が限界だ……おやすみ……なさ……。
モー……。
ガバッ!
俺は布団から飛び起きた。えっなに?幻聴?今一瞬花子の鳴き声が聞こえたような気がしたけど……。
いや聞こえるわけ無いだろ。大分疲れてんな。俺が今いるのは家。花子がいるのはミートタウンの牛舎だ。寝ぼけんのもいい加減にしてくれ。
それに今頃花子は頑張って子供を……。
……あいつ、一人で大丈夫かなぁ……。
心細く無いだろうか。苦しんではいないだろうか。難産で命の危機に瀕してはないだろうか。
見に行った方が……。
いやないな。それはない。たかだか二、三日面倒を見ただけで情がうつるとか流石にない。いやそりゃ多少は情がうつってはいるけど、夜中に様子を見に行くほどではないな、うん。
俺は寝返りを打ち、再び目を閉じる。
……………………………………眠れない。
「あーもう!」
俺はヤケクソ気味に起き上がると、隣にかけてあった黒コートを羽織る。そしてそのまま転移しようとしたが、その前にアルカの様子を見ていくことにした。
ゆっくり音を立てずにアルカの部屋へと侵入する。幼女の部屋に入り込んだ黒コートの男とか、完全に新聞の見出しだが俺は父親なんで無問題。
俺はベッドの近くにある椅子に腰掛け、アルカの顔を覗き込んだ。
えっやだ……何この子可愛すぎる。天使のような寝顔だと思ってたけど、天使如きじゃうちのアルカには敵わないわ。天使見たことないけど。
アルカは規則正しく寝息を立てながらぐっすりと眠っていた。俺は静かに手を伸ばすと、アルカの身体を布団越しに優しく撫でる。
「アルカ……お父さん気になることがあるから少し家をあける。ごめんな」
当然、返事などあるはずがない。まぁ、寝ているからな。それでも一応言っておかないとなんか落ち着かん。
俺は満足するまでアルカを眺めてから転移の魔法陣を組み、ミートタウンへと移動した。
「……いってらっしゃい、パパ」
だから、そんなアルカの囁きは俺の耳には届かなかった。
✳︎
牛舎の近くに転移した俺は誰もいないことを確認すると、速やかに牛舎の中へと忍び込んだ。いや、別に悪いことしているわけじゃないんだけどなんとなく、な。それに他の牛が寝ているんだから、堂々と入るわけにはいかねぇだろ。
牛舎の中は照明魔道具によりほのかに明かりが灯ってはいるが、それでも慎重に歩かなければ躓きそうになるくらいには薄暗かった。
どの牛も就寝中のようで、いつもは牛の鳴き声でうるさい牛舎も、今は静寂に包まれている。
花子がいるのは一番奥だったな。俺は地図を頭に描きながら、手探りで牛舎の中をゆっくり進んでいく。
そして、無事に他の牛を起こすことなく花子のもとに辿り着いた俺はホッと息を吐こうとした。
「……思ったより遅かったですね」
叫び声を出さなかった俺を誰か褒めて欲しい。俺はビクッと盛大に身体を震わせると恐る恐る振り返った。……なんでお前がいるんだよ。
「お前……こんなところで」
俺は壁に寄りかかりながら三角座りをしているセリスに尋ねようとするが、セリスが人差し指を口に当て「しーっ」と言いながら手で招いてきたので、俺は渋々セリスの隣に座った。
「こんなところで何をしてるんだよ?」
先程聞けなかったことを声を潜めて尋ねる。まぁ、答えはおおよそ見当がついているが。
「クロ様が来ると思ったので、待機していました」
……やっぱりな。俺は心どころか行動まで読まれ始めているようだ。そもそもなんでこいつは俺の考えていることがわかるんだ?いや、もしかしたら当てずっぽうに言っている可能性も……。
「そんなのあなたの顔を見ればわかります」
あ、本物だわ。がっつり心読まれているわ。くそが。
俺は悔し紛れにセリスから視線を逸らし、花子の様子を見やる。
花子は足を折って横になってはいるが目はしっかりと開いていた。その目がなんとなく不安そうだったので、俺はしっかりと見つめ返してやる。出産の立ち会いなど人間相手ですら無いのに、牛相手ならなおさらどうしたらいいのかわからん。俺にできるのは見守ってやることだけだ。
しばらく無心で花子を見続けていた俺は隣にセリスがいるのをふと思い出す。
ちらりと横に目を向けると、セリスも黙って花子の事を見ていた。
…………なんか気まずい。
なんていうか、昼間とか結構沈黙とかあるんだぜ?そん時は全然なんとも思わなかったのに、なんか今はこの沈黙がむずむずする。
そもそもこいつはなんでここにいるんだ?セリスが花子に会ったのは今日が初めてだし、別段動物好きってわけでもない。牛の出産シーンが大好物な特殊な性癖もないだろうし……ないよね?
つーことは俺に付き合ってってことだよな。
こいつはそういうところがあるんだよな……。普段は冷たいくせに時々義理堅いってか、優しいってか、なんかよくわからない奴…………でも、そういう時は可愛いって思っちまう。
いかんいかん!俺は何を考えているんだ!
セリスが可愛い?トチ狂ってるにもほどがあるぞ。冷静になれ、俺。隣にいるやつは、研磨に研磨を重ねた鋭利な刃物を全身に携えている冷徹毒舌金髪悪魔だぞ。間違っても可愛いだなんて感情が沸くはずがない。
俺は誤魔化すようにセリスに話しかける。
「セリス、無理してここにいる必要ねぇぞ?」
「……別に無理なんてしていませんが?」
セリスの口調はいたって普通。別に強がっているということもない。
「今は俺の秘書の時間じゃない」
「まぁ……そうですね。勤務時間外になります」
正直、何時から何時までがセリスの秘書の時間かなんて決まってないけど、少なくともこんな夜遅くは秘書である必要などないはずだ。俺だって仕事としてここに来ているわけじゃねぇし。
「だったら俺に付き合わなくてもいいって話だ。仕事が終われば自由な時間はセリスのものだし……」
「その自由な時間をどう使っても私の自由ってことですよね?だったら私は自分の意思で自由な時間をここで過ごしたいと思います」
俺は唖然とした表情でセリスに目をやる。セリスは少しだけ頬を赤くして、勝ち誇った顔で俺の事を見ていた。
「……勝手にしろ」
「……勝手にします」
俺がにべもなく告げると、セリスもサバサバした感じで言い返してきた。
あーこういう所だよ。
俺に気を遣わせないようにわざと軽口で言ったり、恩着せがましくならないように高飛車な感じで言ってみたり。
本当にわかりにくいけど、確かにあるそのささやかな優しさが、俺にとっては狂おしいほど愛おし───。
あかーん!これ以上はあかーん!
これは仲良い女の子とキャンプに行った時に、夜二人で星空とか見たら変なテンションになっちゃうやつと同じや!良い雰囲気に呑まれて変な勘違いとかしちゃうパターンのやつだ!女の子とキャンプになんか行ったことねぇけどな!!
やべぇ……変なこと考えたせいでなんか急に意識しだしちまった。さっきまで気づかなかったけど、こいつの肩、俺に当たってるんだよな……どんだけ近くに座ってるんだよ!
なんか甘い良い匂いもするし、こいつ身体に蜂蜜でも塗りたくってんのか?
でもこの香り……なんだか心地よくて安心するなぁ……。
あっやべぇ……安心したらめちゃくちゃ眠くなってきた……。
いや!寝たらダメだろ!それだけはダメだろ!なんのために来たのかわからなくなるわ!
そうだ!俺は花子の出産を見届けに来たんだ!こんなところで……寝るわけに……いかな……………………………ぐぅ。
✳︎
セリスはひたすら花子の事を見つめていた。先程からずっと苦悶の表情を浮かべており、見ているだけで心が痛んでくる。
自分はまだ子供を産んだことがないからわからないが、それがどれだけ大変なことなのか花子が物語っているようであった。
ポスン……。
何かが上に乗ったのか肩に重みを感じる。不思議に思い目をやると、自分の肩になぜかクロが頭を乗せていた。
「ク、クロ様!?」
思わず顔を真っ赤にして声を上げてしまったセリスは、慌てて自分の口を抑え、周りの様子を伺う。花子はこちらに少し顔を向けたようではあったが、他の牛は起きてはいないようだった。セリスはほっと胸をなでおろし、相変わらず自分の肩に頭を置いているクロに目を向ける。
「……クロ様?」
今度は静かな声で呼びかけるも一切反応はなし。セリスが耳を近づけるとスースーと静かな寝息が聞こえた。
「……本当に寝てしまったんですか?」
セリスが恐る恐るクロのほっぺたを突っついてみる。クロは顔を顰めてむにゃむにゃと何かを呟くと、また寝息をたて始めた。そんなクロを見てセリスはくすりと笑う。
「……こうやって見ると、ただの男の子なんですけどね」
クロのあどけない寝顔からはあんな常識はずれの魔法が使えるようには到底見えなかった。こうしてみると本当にただの年相応の男の子。これがクロの素顔なのだろうか?
セリスはクロの顔をじっと見つめる。
なんだかずっと見ていると吸い込まれそうな感覚に陥いるようであった。いや、自分は実際に吸い込まれているのかもしれない。だってほら、自分の意思とは無関係に自分の顔が少しずつクロの顔に近づいていってしまうのだから。
これは不可抗力。勝手に身体が動いてしまうのだからどうしようもないこと。抗うことなどできるわけもない。
ボーっとする頭でそんな事を考えながら、セリスはクロの唇に自分の唇をゆっくりと近づけていき、そっと目を閉じた。
「……モー!!」
突然花子が鳴き声を上げたことで、心臓が飛び出るほど驚いたセリスは、反射的にクロを突き飛ばす。そのまま藁の山に叩きつけられたクロは寝ぼけ眼で起き上がった。
「な、何事だ?敵襲か?」
「キ、キスなんかしてませんよ!!」
「は?お前何言って……ってその顔どうした?」
わけのわからないことを口走っているセリスに顔を向けると、その顔は茹でタコのように真っ赤になっていた。クロは眉をひそめながらセリスの顔に手を伸ばす。
「熱でもあるんじゃねぇのか?」
「っ!?!?!?!?!?」
クロがセリスの額に手を添えると、セリスの頭から煙が吹き出し始めた。そして何も言わずにその手をはたくと、セリスは全力でクロに背を向ける。
「えっ?なんかごめんなさい……」
「い、いえ!ちょっと調子が変なだけですからき、気にしないでください!別に病気じゃありませんから!」
「そ、そうか?な、ならいいんだけど……」
明らかにいつもと態度が違うセリスを訝しく思いながらも、クロはここにいる理由を思い出し、慌てて花子に目を向けた。
「あっ!」
「えっ……まぁ!!」
クロの驚いた声に反応したセリスも花子に目を向け、口元を手で覆う。驚くべきことに花子の足元には既に新しい命が誕生していた。
「い、いつの間に……」
「ぜ、全然気がつきませんでした」
何とも言えない空気が二人を包み込む。夜中からずっと花子の側にいたというのに、一人は熟睡し、一人は呆けていたせいで決定的な瞬間を見逃した。心なしか花子も恨めしげにこちらを見ている。
赤ちゃん牛が必死に母親のお乳を吸っているのを見ながら、二人は顔を見合わせた。
「……無事花子も出産できたことだし、帰るか」
「……そうですね。帰りましょう」
二人は大きくため息を吐き、最後に微妙な表情を浮かべながら花子にお別れを告げると、転移魔法でこの場を後にした。





