10.複雑な乙女心
「おはようアルカ……と、セリスも来たのか…………」
「ボーおじさん!おはよう!」
「おはようございます、ボーウィッド」
アルカを待っていたのか、入り口に立っていたボーウィッドが少し驚いた様子でセリスに目を向けた。
「ということは兄弟もいるのか……?」
「いえ、クロ様は仕事でいません。私は休みをいただいたので、アルカと一緒にお邪魔させていただきました」
「そうか……兄弟は相変わらず忙しそうだな……」
ボーウィッドが笑いながら少し寂しそうに言った。クロが惜しまれている事がなんとなく嬉しかったセリスの口角が少し上がる。
「魔王軍の指揮官ですから……今はデリシアのミートタウンで暴れていると思います」
「そうか……兄弟は計画のために頑張っているんだな……」
「計画?」
セリスが首を傾げると、ボーウィッドが少し顔を逸らしながら咳払いをした。その仕草にセリスは僅かに不信感を覚える。
「……兄弟には何かを変える力があるから……きっと皆から重宝されているのだな……」
「そうですね……それに関しては同意します」
セリスはアイアンブラッドの街に目を向けた。初めてここに来た時はゴーストタウンと思えるほど無音であったのに、今は少しだけ話し声が聞こえる。
「クロ様には不思議な魅力がありますから、みんな触発されてしまうんですね」
セリスが嬉しそうに笑いかけると、ボーウィッドが意外そうな表情を浮かべた。
「……セリスは兄弟がいないと……素直になるんだな」
「なっ……!?」
途端に顔が真っ赤になるセリス。ボーウィッドは静かに笑うと、アルカの方に顔を向けた。
「さぁ……工場に案内しようか……少し武器作りを手伝ってみるか……?」
「本当!?アルカ武器作ってみたい!!」
アルカがはしゃぎながら工場へと走っていく。ボーウィッドは優しそうな笑みを向けながらその後ろについていった。
ボーウィッドに言われた事にまだ動揺していたセリスだったが、悪いのは全部クロだ、と決めつけて心の平静を保つと、工場の中に入っていった。
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結局、一日中アイアンブラッドを堪能していた二人が小屋に戻って来たのは、日が落ち始めた頃だった。セリスはいつものように夕飯を取りに行く、と言ってアルカと別れ、城の厨房へとやって来た。
「やーやー!セリス様!ご苦労様でーす!」
そんなセリスに城の女中であるマキが元気よく声をかける。セリスはマキに軽く挨拶すると、慣れた手つきで夕飯を作り始めた。
「はー……相変わらず惚れ惚れするような手際ですねぇ……」
マキがセリスの包丁さばきを見ながら感嘆の声を漏らした。セリスは少し照れたような笑みを浮かべる。
「そんなことないですよ。マキさんもずっとここでご飯を作っていればすぐに上手くなります」
「そんなもんですかねぇ……でもセリス様レベルになれる自分が全然想像できない……」
トントントン、と小気味いいリズムで野菜を刻んでいくセリスを見ながら、マキはため息をついた。
「それにしてもやっぱりセリス様はすごいですよね!料理も上手ですし、優しいですし、何より容姿端麗!最近また一段と綺麗になりましたよ!」
「ふふっ……そんなにおだてても何も出ませんよ?」
セリスの頬に赤みがさす。そんな反応もマキにとっては反則的な美しさであった。
「やっぱり恋をすると女は綺麗になるっていいますけど、本当のことだったんですね!」
「…………はい?」
先ほどまで春の日差しのように暖かなセリスの笑みが、氷のように冷たいものに変わった事にマキは気づいていない。
「やっぱり好きな人のためにご飯を作っているセリス様が一番輝いていますもん!いやー本当に指揮官様は幸せ者ですよね!でも、あの人って朴念仁だからなかなか───」
スパンッ
この場に似つかわしくない斬撃音が厨房内に響き渡る。おや?っと思ったマキがセリスの手元を覗き込み、ギョッとした表情を浮かべたまま絶句した。
「最近耳が遠くなってしまったかもしれません……マキさん、今何かおっしゃいました?」
柔らかな笑みを向けられたマキは無言でブンブンと頭を横に振る。
「そうですか……あら?なぜかまな板が真っ二つになっていますね。もう古くなっていたんでしょうか。マキさん?新しいまな板を持ってきてくれませんか?」
「…………はい」
マキは静かに頷くと、恐る恐るといった様子でセリスからまな板を受け取った。その切り口を見て思わず背筋が凍り付く。
軽々しくセリス様と指揮官様のことを話題にしてはいけない、マキは心の中で自分を戒めた。
*
クロが小屋に帰ってきたのはアルカもすっかり寝静まり、日を跨いだころであった。一応、帰ってくるまで小屋で待機していたセリスがクロに声をかける。
「お疲れ様です。随分遅かった……」
セリスはクロの姿を見て目を丸くした。まるで子供が泥んこ遊びをしたかのように身体中が泥だらけである。
「ど、どうしたんですか、その恰好!?」
「え?あー……ちょっと羽目を外しすぎたかな」
クロは照れ臭そうに自分の頬を掻いた。それだけで顔に付いた泥がボロボロと落ちていく。
「ま、まぁそれならいいです。それでオークの方は上手く行ったんですか?」
「お、おう!もちろんだろ!」
自信満々に答える割にはクロの目は左に右にと泳ぎまくっていた。セリスの心の中で昼間感じていた不安が膨らんでいく。
「そういえばセリス、休暇はどうだった?」
あからさまな話題の転換。もはやミートタウンで何かがあったことは明白。
「……アルカと一緒にアイアンブラッドに行ってきました。とても有意義なものでしたよ」
「そうか……それならもう一日」
「明日はクロ様について行きますから」
クロの言葉を遮るように、セリスは有無を言わさぬ口調で言い放った。
ミートタウンで何かがあったことはクロの態度を見れば明らかだった。セリスにはそれを自分の目で確かめる必要がある。
「それではおやすみなさい」
セリスはクロの言葉を待たずしてさっさと小屋を後にした。クロはセリスに伸ばしていた手をそっと下ろし、明日のことを考える。
「明日セリスがあいつらのことを見たらなんて言われるだろうな……」
泥だらけの自分の腕を見てため息を吐いた。
「……とりあえずシャワー浴びるか」
悩んだところで明日セリスは来てしまう。クロは気を取り直して黒いコートを脱ぎ捨てると、浴室へと入っていった。





