3.覚悟
保健室で三人と別れた俺は一直線にある場所へと向かっていた。それは校舎から離れた見晴らしのいい高台にある場所。そこは生徒が近寄ろうとはしない場所でもあった。
そこにあるのはマジックアカデミアを卒業した者の名前が刻まれた石碑。いや正確に言うならばマジックアカデミアを出身の者で、命を落とした者の名前が刻まれる慰霊碑。
俺を含めて来たことがない生徒が多いんじゃないかと思う。前までは、例え先輩であろうと、見ず知らずの人の墓になど興味がなかったし、今は……その石碑に刻まれている唯一の在校生だった奴の名前を見たくなかった。
どうせ誰もいないだろうと高を括っていた俺であったが、石碑の前にいる人を見て思わず立ち止まる。そこには石碑を見つめる青髪の小柄な女の子の姿があった。……そうだよな、こいつならいる可能性があったよな。
「マリア……」
俺が声をかけるとマリアはゆっくりとこちらに目を向けた。
「アルベール君……ここに来るなんて珍しいね」
「まぁな。……っていうか今日初めてここに来た」
「そうなんだ」
俺が近づいて行くとマリアは興味を失ったように俺から視線を外し、石碑に目をやる。俺もマリアの横に立ち石碑を見つめた。
「……マリアはよくここに来るのか?」
「うん……毎日顔を出しているかな」
声をかけた俺には目を向けずにマリアが答える。別に言い方や仕草は俺を非難している感じではないのだが、なんとなく居住まいが悪い。
「今日は何があったとか、色々彼に報告してるんだ」
そう言うとマリアは微笑みながら石碑に手を伸ばし『クロムウェル・シューマン』という文字を愛おしそうになぞった。
「……そうなのか」
俺は相槌を打つので精いっぱいであった。そんな俺にマリアが悪戯っぽく笑いかける。
「今日はアルベール君の事を報告したんだよ?」
「えっ?」
俺が目を丸くしながらマリアを見つめると、マリアは楽しそうにくすくすと笑った。
「クロムウェル君の親友は先輩相手に不甲斐ない試合をしていたよ、ってね」
「……見ていたのか」
マリアが静かに頷く。今日の戦いはなんとなくマリアには見て欲しくなかったな。あぁ、戦いにもなっていなかったがな。
俺はばつが悪い表情を浮かべながら頭をかいた。するとマリアが驚くべきことを口にする。
「……やっぱりクロムウェル君が相手じゃないと物足りない?」
「っ!?」
俺は思わずマリアの顔を凝視してしまった。誰にも言わずに隠してきた俺の心のうちを、マリアはいともたやすく暴いてみせた。……これには笑うしかないな。
マリアは別に大したこと言ったつもりはない、とでも言うように変わらず優しそうな顔で石碑を見ている。俺はなんとなく聞いてみたくなったことをマリアに尋ねてみた。
「……今日の試合、あいつが見ていたらなんていうかな?」
別に答えなんて求めていない。ただ俺が聞いてみたかっただけ。それでもマリアは笑いながら答えてくれた。
「そうだね……クロムウェル君ならこう言うと思うよ」
マリアがあいつのようにやる気がない表情を浮かべる。
「あほくさ」
その言い方が余りにもあいつにそっくりで、俺は思わず吹き出してしまった。当の本人も一緒になって笑っている。
「そっくりだったな」
「うん……だっていつもクロムウェル君のこと見ていたからね」
そうだった。マリアはクロムウェルに惚れているんだったな。あいつ、それを知ったら天国で血の涙を流しているだろうな。
風の音しか聞こえないこの場所で、俺達は黙ったまま慰霊碑を見つめていた。
「……アルベール君、私覚悟を決めたよ」
不意に口を開いたマリア。俺はその顔に目をやる。
「……覚悟?」
「私、強くなる」
静かな口調ではあったがその声には力があった。その瞳の奥にもゆるぎない炎が燃えている。俺はそんなマリアがえらく眩しく見えた。
「だから彼の親友であるアルベール君には、私の姿を見ててもらいたい」
マリアが俺の目をまっすぐに見つめる。その奇麗な瞳に俺は吸い込まれそうになった。……このまっすぐな瞳に俺は惚れたんだったな。
「……マリアがそう望むなら」
「……ありがとう。なら一緒に来てくれるかな?」
そう言うとマリアは最後にもう一度だけ石碑に視線を向け、学校の方へと歩いていく。俺は何も言わずにその後について行った。
*
俺はマリアを連れて保健室まで戻ってきた。中ではまだ三人が何かを話している。何の話をしているかは聞こえないが声の調子的に喧嘩しているわけではなく、話し合っているようだった。
俺が保健室に戻ってきたのはマリアがエルザ先輩に会いたいと言ったからだ。まだいるかは自信がなかったが、俺は特に理由を聞くことはせず、マリアをここまで連れてきた。
「声がするからまだいるな。入るぞ?」
「うん」
マリアが緊張した面持ちで頷く。俺はそれを確認するとゆっくりと扉を開けた。
俺が保健室に入った瞬間、三人が同時にこちらに目を向ける。少し驚いた様子であったが、一緒に入ってきたマリアを見て、フローラが少しだけ訝し気な表情を浮かべた。
「レックス……マリアと一緒にどうしたの?」
「いや、用があるのは俺じゃない。マリアの方だ」
俺がそう言うとフローラがますます怪訝な表情を深める。マリアは大きく息を吐くと目的の人物の前に立った。そして意を決したように口を開く。
「エルザ先輩、私と順位戦をしてください」
「「「…………はっ?」」」
俺も含めフローラとシンシアが間の抜けた声を上げた。エルザ先輩だけが無表情でマリアの顔を見つめている。
フローラが慌てて視線で俺に訴えかけてくるが、俺は必死に首を横に振った。俺自身マリアがこんなこと言うとはまったく予想していなかったし、エルザ先輩に会いたいといった時、俺はてっきり修行をつけてもらうためだとばかり思っていた。シンシアがあわあわしながら二人の顔を交互に見つめる。
「……その手の冗談は私は好かんのだが、本気か?」
エルザ先輩の声は刃のようであった。いや声だけじゃない、マリアを見る目も研ぎぬかれたナイフのように鋭い。だがマリアは少しも怯んでいる様子はなかった。
「本気です。……このお願い、聞いてもらえませんか?」
「…………」
少しの間、目を細めてマリアのことを睨んでいたエルザ先輩は、ふっと笑いながら小さく肩を竦める。
「私は順位戦を申し込まれて断ったことがないのだよ。そして。どんな相手だろうと手加減をしたことがない。それでもいいか?」
「……構いません」
マリアは一度もエルザ先輩から目をそらさないで答えた。いつも気弱なマリアしか見たことがなかったフローラとシンシアは困惑したような表情でマリアを見つめる。
「わかった。希望はいつだ?明日か明後日か?」
「……今からお願いします」
これにはさすがのエルザ先輩も驚いたようだった。こちらはそのエルザ先輩よりも三倍は驚いているけど。
「……理由を聞いてもいいか?」
「気持ちが切れる前に戦いたいんです」
エルザ先輩がマリアの目をじっと見つめる。そしてゆっくりと視線を外すと何も言わずに保健室の出口に向かった。
「エ、エルザ先輩っ!?まだ───」
「第三闘技場で待っている。準備ができたらすぐに来い」
慌てて声をかけるマリアを遮り、エルザ先輩は足早に保健室から出ていく。残された俺達は呆気にとられたような顔でマリアを見つめた。
「……言っちゃった」
「っ!?言っちゃったじゃないわよマリア!あなた分かっているの?」
フローラがものすごい剣幕で詰め寄る。後ろからシンシアも必死に声をかけた。
「エルザさんは戦いには真剣な方ですよ!?いくら私達が仲がいいからって手心を加えるような方ではありません!!」
「……だからエルザ先輩と戦いたかったんだ」
マリアが二人にきっぱりと言い切ると、その言い方があまりにもすがすがしく、二人は思わず絶句してしまう。
確かにマリアを含めた四人は普段いつも一緒にいるメンバーであるが、シンシアの言う通り、だからといって手を抜くとかは絶対にありえない。だからこそ彼女はこのマジックアカデミアで不動の第二席の座についているのだ。ちなみに第一席は空席となっている。それはエルザ先輩が辞退したためであり、エルザ先輩曰く「自分を倒せる者がその座につくべきだ」とのこと。果たしてそんな日が来るのだろうか。
俺はマリアにかけるべき言葉が見つからなかった。突然の対戦申込、しかも相手は学園ナンバーワンの相手。普通なら止めるべきなんだろうな。でも慰霊碑で見たマリアのことを思い出すとそれは許されない気がする。
俺はマリアに精一杯の笑顔を向けた。
「頑張れ」
「……うん。ありがとう」
「ちょ、ちょっと!?レックス!?」
マリアは力強く頷くと一人保健室から出ていく。慌てふためいているフローラとシンシアを無視して俺はその背中を見送った。これがマリアの言っていた覚悟か。ならば俺にはそれを見届ける義務がある。
「行くぞ、二人とも」
「えっ、えー!?」
「本当にあの二人戦うんですか!?」
俺が第三闘技場に向かおうとすると二人が戸惑いながらもついてきた。もうあのマリアを止めることなんてできない。止めることができる奴はもうこの世界にはいないんだから。
そう思うと、俺の心はちくりと痛んだ。





