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1.運命

 コツコツコツ……。


 石造りの粗悪な通路を踵が弾く音が響き渡る。俺はその音で目を覚まし、グッと身体を起こして鉄格子の方へと目を向けた。

 足音は俺の牢屋の前でピタリと止まり、ジャラジャラと金属がこすれ合う音がすると、かちゃりと錠が開く音が鳴る。


「……何かあったんですか?」


 俺は牢屋の戸を開け、中に入ってきた騎士の男に声をかけた。ここに入ってから一週間以上経つが、この扉が開けられたのは初めてだ。食事は鉄格子の隙間から与えられ、便所も部屋の隅に用意してある。開ける必要のない扉を開けたということは、何かあるに違いない。ぶん殴ったあの豚が俺の処刑でも望んだか?


「レックス・アルベール」


 騎士の男が俺の目を見ながら名前を呼ぶ。少しだけ身構えた俺の耳に届いたのは意外な言葉だった。


「釈放だ」


「…………えっ?」


 大分間の抜けた声を出してしまったと思う。それぐらい驚いてしまった。

 まだ状況が上手く把握できていない俺を残して、騎士の男が引き返していこうとする。


「ちょ、ちょっと待ってください!釈放っていうのは……!?」


「そのままの意味だ。お前は罪を許されたので、もうここにいる必要はない」


 慌てて問いかけると、騎士の男が淡々とした口調で答えた。どういう事なんだ?あの傲慢で身勝手な男が、俺の事を許したっていうのか?そんな事があるわけがない。


「まさかシンシアが……?」


 頭によぎった事がそのまま口から溢れる。それを聞きとがめた騎士の男が、僅かに顔をしかめながらこちらへ振り返った。


「勘違いするな。確かに姫様はお前を助けようと、国王陛下に直談判しに行ってはいたが、娘の頼みだからといって簡単に聞き入れるオリバー王ではない。お前を釈放しろ、と命じたのはロバート様だ」


「ロバート大臣……」


 信じられない。あの男が何の見返りもなく自分を許すなど、到底考えられなかった。何かしらあるはずだ。俺を牢から出すことによって、あの男が利を得る何かが。

 その場で考え込み、牢から出ようとしない俺を、騎士の男はギロリと睨みつける。


「何をしている?こちらも忙しいのだ。さっさと檻からだろ」


「……ロバート大臣はどうして俺を許したんですか?」


 このまま馬鹿正直に檻から出てしまえば、ロバート大臣の罠にはまってしまうかもしれない。やるべき事が出来た今、慎重に行動しなければならない。

 懐疑的な視線を向ける俺を見て、騎士の男は静かにため息を吐いた。


「……お前の気持ちはわからんでもない。だが、事実だ。ロバート大臣は自らここへと赴き、無理矢理お前を解放しようとしたのだ」


「無理矢理?」


「数日前の事だったか……夜中に突然やってきた大臣は地下牢に押し入ろうとした。流石に大臣といえど、正規の手続きを踏まねば囚人を解放する事など出来ないので、我々は必死に止めたのだが、彼は『レックス・アルベールを解き放て』と叫びながら激しい抵抗をみせたのだ」


「…………」


 わけがわからない。何から何までロバートらしくない行動に思える。


「我々は釈放の手続きが終わり次第お前を牢から出す、と懸命に説得した結果、ロバート大臣は納得したのか、そのまま国の経営する養豚場へと向かっていった」


「養豚場?」


「なんでも、自分は豚だからあるべき場所に戻る、とのことらしい。……これ以上は質問するな。我々も理解が追いついていないのだ」


 騎士の男は俺から視線を外し会話を切った。理解できないのは俺も同じことだったが、これ以上彼を困らせても仕方がない。俺は黙って後ろに続き、地下牢を後にした。



 そのまま特に事務的な手続きもなく解放された俺は、少し頭を整理したかったので、まっすぐ学園に戻らず、少し街中を歩くことにした。


 ロバート大臣の乱心……これに関しては考えても仕方がない。あの男に何が起こったのかは知らないが、こうやって牢から出る事が出来たんだ、有難いと思うことにする。

 そんなことよりも、大事なのは俺がこれから何をしなければならないのか。やる事は決まってる、暴走している親友を俺の手で止めてやるんだよ。どんな理由で村を襲ったのかなんてわからない。ただ、あいつは魔族側について変わってしまったのは確かだ。でなければ、俺達の故郷に手をかけるわけがないからな。


 問題はどうやって魔族領へと行くか、だ。この前の戦争のせいで魔族領の監視が厳しくなっているはずだ。見つからずに行くのは不可能に近い。……いっそのこと正面突破をするのが簡単でいいか?監視の騎士達を撒くのも、今の俺なら容易にできる気がする。適当に魔族領で暴れていればあいつのことだ、すっ飛んでくるだろうよ。


 目的地もなく、惰性で街を歩いていた俺はふと違和感を感じた。


「なんだ?祭りでもあるのか?」


 初めはそう思った。街の人たちの様子がなんだかソワソワしているっていうか、浮き足立ってるっていうか、とにかくそんな感じだったから。だけど、すぐにそれは違うと直感する。

 そわそわしているのは事実だ。でも、決して表情は明るいものではない。街を包み込むこの雰囲気はあの時の……戦争が起こる前に似ている気がした。


「あの、すいません」


「あぁ?」


 とりあえず、その辺を歩いていたおじさんに話を聞いてみることにする。


「これから何かあるんですか?」


「なんだ、おめぇ知らねぇのか?」


 胡散臭げな目で見られてしまった。だが、こちとら今の今まで城の独房にいたんだ、知らなくても仕方がない。


「田舎の村から一週間もかけて王都に来たんです……だから、都会の事は全然わからなくて……」


「あー……そういうことか」


 おじさんは俺の格好を見てなんとなく納得したらしい。かなり薄汚れた服を着ているしな。


「王都はよぉ、今大変なんだ。……王都っていうか人間がって言った方がいいか」


「人間が大変、ですか……」


「あぁ。魔族のやつらが突然王都にやってきて、代表選とかいうわけのわからん事を吹っかけてきやがったんだ」


「代表選?」


「なんでも、人間と魔族の中から四人代表を選んで戦うらしい。これ以上お互いに被害を出さないように、っつーことらしいけど、どうもきな臭くていけねぇ。魔族の提案なんてなにかしら企みがあるに決まってんだよ」


 おじさんが憮然な面持ちで言い放つ。俺は鼓動が高まるのを止めることができなかった。


「その代表っていうのは決まったんですか?」


 極力平静を装いつつ聞いてみる。これはチャンスかもしれない。


「それがなぁ……前に魔族とやり合ったときに多くの奴らがその力を知っちまってさ。魔族どもと戦おうって気概のある奴が全然現れなくってよ。代表選は今日だっつーのになぁ」


「代表選は今日……」


「そうだよ。なのに三人しか決まってないって噂だ。しかも、名乗りを上げたのが、全員マジックアカデミアの学生だって聞くぜ?まったく……これは人間も終わりかもしれねぇな」


 おじさんが諦めたように息を吐いた。浮かない表情を浮かべるおじさんとは対照的に、俺の期気分は高揚していた。


「……いろいろと教えてくれてありがとうございました」


「ん?あぁ、気にすんな。おめぇもとんだ時期に王都に来ちまったな」


「いえ、助かりました」


 俺はお礼を言うと、そそくさと元来た道を戻っていく。足取りに迷いはない。運命なんてこれっぽっちも信じちゃいなかったが、これがそうだって言われたら何も言い返せないだろうな。

 目指すのはさっきまで俺が囚われていたメリッサ城。目的は決まっている、魔族との戦いに俺も参加するためだ。

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