1.停滞
俺達が勇者の試練を終え、聖都・エルサレンから帰ってきてから一ヶ月以上が過ぎていった。その間に色々な変化が起こったので、一つ一つ話したいと思う。
最初はマリアの帰還。唐突に学園から姿を消したマリアが、何事もなかったかのように突然マケドニアに帰ってきたんだ。しかも、学園を辞めて家業を継ぐことにしたらしい。何かしら心境の変化があったんだろうけど、フローラから聞いた話だから詳しいことはわからない。マリアが戻ってきてから会話はおろか、碌に会ってもいないからな。なんていうか……顔を合わせづらいんだ。
次は王女であるシンシア。彼女はエルサレンから戻ってから俺達と一緒にいる時間が激減した。授業中と昼休みぐらいで、それ以外の時間はマーリン様に修行をつけてもらっているんだって。勇者になったフローラを支えようと、必死に頑張ってるんだよな……いつまでもいじけてるどっかのバカと違ってな。
そのフローラも勇者の力を鍛える時間が多くなった。勇者特有の聖属性魔法は他に使える人がいないからってことで独学でやっているみたいだけど、剣術や他の魔法陣とかは国から指南役が派遣されていて、日々鍛えられているみたいだ。やっぱ、未来の勇者ってのは過大な期待を背負って生きていかなきゃいけないんだな。
そんなフローラが参加した、俺達一般市民には極秘のうちに行われた魔族との戦争はつい先日の話だ。結果は人間側の敗北。奇跡的に死んだ人はいないらしいけど、圧倒的な絶望を魔族に植え付けられたらしい。
その絶望を与えた張本人。最近になってよくその名前を耳にするようになった人物。
魔王軍指揮官。
そいつの正体が国から発表されたのは一週間ほど前の事だ。多くの人が困惑していたみたいだけど、俺は何も感じなかった。フローラから話を聞いた時から予想はしていたし、何より勇者でもなんでもない俺には、魔王軍指揮官が誰かなんて関係のない話だからだ。
そういえば、俺の話をしていなかったな。
俺は……何も変わらない。
なんの目的もなく、惰性で学園に通う毎日。最近では冒険者としての依頼もこなしていない。朝起きたら教室に行き、授業を受け、寮に戻ったらずっと部屋にこもってまた次の日教室へと向かう。やりたい事もなければ、なすべき事もない。そもそも、何をするにもやる気が起きない。
あいつが死んだと思っていた時もこんな感じだったな。あの時はどうやって立ち直ったんだっけ?……覚えてないな。
今はとにかく、全てがどうでもいい。
そんな魂の抜けた人形のような俺は今、エルザ先輩に連れられ、騎士団の訓練場へとやって来ていた。
国を守備する力を養うべく、木刀で打ち合い、切磋琢磨している騎士達を俺はぼーっと見つめていた。
「はーっ!!」
その中でも一際気合の入っている美少女が一人。高い位置で結っているポニーテールを激しく揺らしながら、向かって来た相手を容赦なく叩きのめしていた。
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
エルザ先輩は稽古相手に礼儀正しくお辞儀をすると、訓練用の簡易的な防具を外しながらこちらへと歩いてくる。
「どうだった?」
「凄かったですよ。相手の方はエルザ先輩よりも一回りぐらい大きい男だったのに圧倒していたじゃないですか」
「……そうか」
タオルで汗を拭いながら、浮かない表情でエルザ先輩は俺の隣に腰を下ろした。
「だがな、これでは全然足りない。もっともっと鍛錬しなければ、あの男と戦う資格すらないのだ……そう言われてしまった」
「言われた?」
「お前の親友にだ」
「なっ……!?」
驚く俺を見てエルザ先輩が苦笑いを浮かべる。ゆっくりと俺から視線を外すと、訓練を続ける騎士達に目を向けた。
「正確にはあの男の娘を名乗る魔族にだがな。このままじゃ相手にならない、と。まったく……子供というのは厳しい事をはっきりと言うのだな」
「ちょ、ちょっと待ってください。戦う資格?魔族の娘?何を言ってるのか全然わからないんですが?」
「そうだな……これはお前には、というよりは誰にも話していない事だ。そういう取り決めを交わしたのでな。……だが、奴の正体が明るみになった以上、その取り決めも無意味なものになってしまった」
取り決め……?一体エルザ先輩はなんの話をしているんだ?
エルザ先輩は静かに息を吐き出すと、表情を引き締め、俺に向き直った。
「レックス……私はな、お前の親友と戦ったんだ」
「えっ……?」
「いや、戦いではないなあれは。私は全力で挑んだというのに、奴は歯牙にもかけていなかった」
少し悲しそうに笑いながら、エルザ先輩が告げる。正直言って混乱しすぎて頭がどうにかなりそうだった。
「戦ったっていつですか?エルザ先輩があいつに会う機会なんて……!!」
「お前とフローラが勇者の試練を受けている時だ。王都が魔物暴走に見舞われている、と学園長から聞いた私は学園長と共に王都へと帰還しただろう?その時だ」
魔物暴走……そうか。確かあの時、魔王軍指揮官が人間に手を貸してくれたって話を聞いた。俺がいない時にあいつは王都に来ていたのか。
エルザ先輩は僅かに笑みを浮かべると、遠い目をしながら空を見上げた。
「強かったぞ、お前の親友は……恐ろしいほどにな」
「………………」
「お前はあの男を倒すのが目標なのだろ?今のままでそれが果たされるのか?」
「………………」
「私は立ち直ったぞ。一度は折れかけた心を奮起させた。……今度はお前の番じゃないのか、レックス?」
「…………俺は」
何かを言おうとして言葉が出てこなくて、俺は結局だんまりを決めこむ。あいつを倒すのが目標?そういやそんなことをほざいていた時期もあったな。現実がまるで見えていない子供の時代が。
だけど、俺は知っちまった。どこぞの勇者様が作った迷宮で思い知らされちまった。
俺はあいつに勝つことなんてできやしない。
全力で戦った。殺す気で剣を振るった。なのに、あいつには一太刀も届かなかった。俺の魔法はあいつの服にかすりもしなかった。……そんな相手に、どうやったら勝てるっていうんだ?
俺の表情が変わらないのを見て取ったエルザ先輩は諦めたように笑いながら首を左右に振る。
「……やはり、私ではお前の心を動かすことはできないようだ。後は本命に任せるとしよう」
そう言うと、エルザ先輩は徐に城の方へと視線を向けた。俺もつられるようにしてそちらに目を向け、そして大きく見開く。
訓練場から城へと入る道。その入り口に少し小柄な青髪の少女が立っていた。





