18.アルカの魅力は種族を超える
そんなわけで俺達は禁足地へとやってきた。愛する娘と恋人と一緒に外出……完璧なシチュエーションだと言ってもいいのに、どうしてこんなにも心が浮かないんだろう。
「はぁ……」
俺が大きくため息を吐くと、セリスが振り返り、苦笑いを向けてきた。
「魔王様の命令ですからね。諦めるしかないですよ」
「あいつの命令なんて知らん。俺はアルカが来たいって行ったから一緒に連れてきただけだ」
「それならいいじゃないですか。もっと楽しみましょう?ほら、こんなに景色もいいですよ」
セリスがその場に立ち止まり、大きく身体を伸ばしながら深呼吸をする。うーん、確かにセリスの言う通り奇麗な景色だ。緩い起伏がずっと続いている草原地帯、いや今は雪の化粧をしているから一面真っ白か。それでも奇麗なことには変わりない。
「春とか夏に来たかったな。シート敷いてお弁当食べれば気持ちよかっただろうに」
「そうですね。とても素敵だと思います」
俺はセリスの隣に並ぶと、少し先ではしゃいでいるアルカに目を向ける。俺達と一緒に出掛けられたのがそんなに嬉しいのか、鼻歌を歌いながらスキップをしていた。
「……色々終わったら、また三人でゆっくりピクニックにでも行くか?」
「それはいいですね。アルカもきっと喜びますよ」
なんだか心が安らぐ。なんのためにここに来たか忘れそうだよ。いっそのこと忘れちまった方がいいかもな。
「それにしてもここはとても静かですね。生き物の気配を感じません」
セリスがゆっくりとあたりを見渡す。
「そうだな。ここまで何もいないと本当にキングベヒーモスなんているのか……いや、逆に奴らの縄張りだからこそ他の魔物が近寄らないってことなのか?」
「何とも言えませんね。少なくともこの近くにはそんな気配は感じられません」
ここまで視界がいいと魔族じゃなくても何もいないことがわかる。こりゃ、キングベヒーモスを探すにはこの禁足地を歩き回ってみるしかねぇな。隠れられそうなところもないから不意打ちはないだろうし、そこまで危険じゃないだろ。
「アルカー!とりあえずこの辺りを―――」
俺がアルカに声をかけた瞬間、俺達を取り囲むように複数の転移魔法陣がこの場に浮かび上がる。俺は驚きながらも咄嗟にセリスの身体を掴み、アルカの近くまで飛んでいった。
「……パパ」
「あぁ」
さっきまでの無邪気なものではなく、集中力が研ぎ澄まされた声。アルカの中でスイッチが切り替わる。何が来てもいいように、俺も警戒心を最大限に高めた。
魔法陣は転移を知らせる光を放つと、自らを作り出した者をこの場に呼び寄せる。その姿を見て、俺は大きく目を見開いた。
筋骨隆々の体は紫色に染まっており、前足から伸びる爪は大地を傷つけるように鋭利に尖っている。その背中からは背筋に沿って一列に幾本もの棘が生えており、頭部には一際立派な角が一本、天を貫くように生えていた。体躯は四メートルを超えるくらいだろうか、得物を噛み殺すのに特化した牙の間からは唸り声とともによだれが流れ落ちている。
その者の名はベヒーモス。ドラゴンと並び、人間の世界にある冒険者ギルドによって高ランクモンスターに位置付けられている魔物。その凶暴さは熟練の冒険者でも命を落とす可能性があると言われている。
そんな危険な奴らが三十体、何の前触れもなく俺達の周りに現れた。なるほど、こりゃ禁足地だわ、ここ。
「……どうやらルシフェル様の記憶は正しかったみたいですね」
「……らしいな」
丸太のように太い尻尾を叩きつけ俺達を威嚇しているベヒーモスを見ながら、俺は表情をひきつらせた。まさかこんなに早くこいつらと遭遇することになるとは……やべぇ、全然考えてなかった。そもそもこいつらは魔物のくせに転移魔法を使えるってことだよな?と、なると他の魔法だって使える可能性大だ。そんな奴ら相手にアルカとセリスを守りながら俺は戦えるのか?
「パパ?この魔物さん達倒しちゃっていいの?」
訂正、セリスを守りながらこいつらを相手できるか、だ。そして、どうやらできそうだ。下手したら俺の出番はないかもしれない。なんたって魔物と某緑の勇者にはめっぽう辛辣なアルカさんがバーサクモードに入っているだもん。
アルカは薄い笑みを浮かべながら、魔力を一気に練り上げた。そのあまりの魔力量にベヒーモス達の間に緊張が走る。天使は天使でも破壊の天使だからね。魔王とスパーリングするような娘だから。
アルカが今にもベヒーモスの群れに突っ込んでいこうとした時、再び俺達の前に魔法陣が浮かび上がった。アルカはピタリと動きを止めると、目を細めて魔法陣を見つめる。
そこから現れたのはベヒーモスであってベヒーモスではない存在。姿形はベヒーモスとほとんど変わらない。違うのは体の色と、その圧倒的な威圧感。太陽を思わせるその金色の体から溢れ出るオーラは紛れもなく強者のもの。
「こいつは……想像以上だな」
たかが魔物だとちょっと甘く見ていたかもしれない。久しぶりに肌がひりついてるわ。
隣で息を呑んでいるセリスを庇う様に前に立つ。魔物に幻惑魔法の効果は薄いからな。セリスは完全に戦力外だ。
「ルシフェル様が言った事は本当だったの!この魔物さん、すごく強そう!」
……なんでうちの娘はこんなに嬉しそうなんでしょうか?
俺はこちらをじっと見ているキングベヒーモスにダメもとで話しかけてみた。
「あのー……すいません、不躾だとは思うんですが、あなたの頭に生えている角、いただくわけにはまいりませんでしょうか?」
「…………ギャオォォォォォォォ!!!!!」
う、うるせぇ!!鼓膜が破れる!!
大地が震えるほどの咆哮をあげると、キングベヒーモスは容赦なくこちらにとびかかってきた。俺達は慌てて地面をけり、後ろへと飛び退く。
「な、なんだよ!人がせっかく丁寧にお願いしたっていうのに!」
「そんなお願い聞き入れられるわけないでしょう!!」
なんでだよ!角なんて髪の毛みたいなもんだろ!また生えてくるって!
「わぁー!すごい素早いの!!」
アルカは空間魔法から『ラブリーソードちゃん一号』を取り出すと、着地と同時に最上級身体強化を発動し、キングベヒーモスへと向かって行った。
「アルカッ!!」
後を追おうとしたセリスの腕を掴む。セリスは余裕のない表情でこちらを向き、俺の顔を見た。
「クロ様!?」
「やばくなったら俺が助ける。悪いがあいつ相手に二人は守れそうにねぇ」
俺の真剣な声を聞いたセリスは口を堅く結び頷くと、不安げな様子でアルカの方に視線を向ける。
アルカの剣さばきは粗末なものだった。それこそエルザ先輩みたいにお手本ような剣術なんかじゃないし、レックスみたいに天性の勘があるわけでもない。言ってしまえば子供が拾った木の棒を振り回しているだけのもの。それでも最上級身体強化と、俺との日々の特訓のおかげで、キングベヒーモスの猛攻を何とか防いでいた。
「"集まれ!雷さん!"」
アルカが最上級魔法を発動する。空中に発生した複数の雷が、キングベヒーモスに集中して落ちた。が、それを魔法障壁で防がれてしまう。
この魔物、人間並みに魔法陣がうまいぞ。そんでもって魔力の精度が高い。雷属性はアルカの得意な魔法だ。その最上級魔法を防ぎきるのはかなり強固な魔法障壁だって事だ。
「きゃっ!!」
死角からの尻尾攻撃をまともに喰らい、アルカが地面を滑っていく。セリスが動きかけたが、すぐにキングベヒーモスの方へと飛んで行ったアルカを見て、グッと堪える。
キングベヒーモスはお返しとばかりに、向かってきたアルカに対して魔法を放った。空に現れた巨大な岩石群がアルカ目がけて、雨あられと降り注ぐ。アルカは"無重力状態"で縫うように岩を躱していくと、キングベヒーモスに『ラブリーソードちゃん1号』を思い切り投げつけた。しかも炎を纏わせるというおまけつきで。多分、最も有効な剣の使い方だ。
「えーい!!」
ギリギリで避けたキングベヒーモスの真下に転移したアルカの渾身のアッパーカットが炸裂する。あの巨体が浮かび上がるほどの威力、正直殴られたくないです。
「グッ、グオオオ!!」
完全に身構えてなかった一撃。キングベヒーモスはクルリと一回転して着地すると、両前脚を地面につけ全身に力を込めた。あの体勢はやべぇな。
「アルカ!突っ込んでくるぞ!気をつけろ!」
「わかったの!奥の手を使うよ!」
そう言うと、アルカは自分の身体にもう一つの魔法陣を組み込んだ。二種最上級身体強化……いつの間にできるようになってたんですか?まじでこの子の成長速度はどうなってんだよ。
地面を粉々に砕きながら猛スピードでキングベヒーモスが突進する。どれくらいやばいかって?地面を蹴ったとき、その衝撃で周りのベヒーモスが吹っ飛んだくらいだ。
そんなキングベヒーモスに正面から挑もうとするアルカ。誰だ!アルカにそんな漢気教えたやつは!
ドゴォッ!!
小さい身体で、振り落とされる前脚に拳を叩きつける。アルカの腕からは血が吹き出し、足元は完全に地面に陥没したけど、なんとか凌いだ。
流石にもう限界かと思って助けに入ろうとした俺はある事に気がつく。アルカの背後に魔法陣が三つ浮かび上がっていることに。それは火属性と雷属性、そして重力属性の最上級魔法だ、ということに。えっ、まさか奥の手って……。
「これがアルカの必殺技なの!"大・大・大爆発っ!"!!!」
合成魔法を組成した瞬間、転移魔法でアルカは後ろに避難した。
ズドドドォォォォン!!!
凄まじい爆音。立ち上る爆煙。直撃したわけでもないのに俺が本気で張った魔法障壁がビリビリ言ってやがる。どんな威力の魔法だよ。
煙が晴れていき、段々と視界が明瞭になっていく。見えてきたのは魔法障壁を張っているアルカと、体のいたるところから出血しているキングベヒーモス。そして、今の魔法に恐れをなしたのか、尻込みをするベヒーモス達だった。
俺から見ても完璧だった合成魔法を至近距離でモロに喰らってまだ立ってるのかあいつ。つーか、周りのベヒーモス達が傷一つついていないとは驚きだ。こいつらも魔法障壁で防いだ口か?
アルカは魔法障壁を解くと、追撃するでもなく、目の前で息を荒げている敵を不思議そうに見つめていた。キングベヒーモスの方はというと、ボロボロだっつーのに殺気をアルカにぶつけ続けている。
「……パパ」
しばらくキングベヒーモスの事を眺めていたアルカが不意に声をかけてきた。
「どうした?」
「キングベヒーモスさんの傷を治してあげて欲しいの」
「え?」
どういう事だ?なんで回復させるの?
隣でセリスも俺同様驚きを隠せない様子。俺達が戸惑っていると、いつものような明るい笑顔でアルカがこちらに振り返った。
「アルカは回復属性魔法が上手く使えないから、パパにお願いしたいの!」
「いや、まぁそれは知ってるけど……」
なぜかアルカは回復属性魔法だけ全くというほど使うことができない。本当は回復属性魔法を極めて欲しかった。そうすれば名実ともに天使となりうるのに。
と、今はそんな事どうでもいいんだ。とにかく理由を聞かないと。
俺もセリスも周りのベヒーモスに警戒しながらアルカの方に近づいた。特に襲いかかってくる気配はない。さっきの魔法を目の当たりにしたら下手な動きはできねぇわな。キングベヒーモスも俺達を睨みつけるだけで、その場から動こうとはしない。俺はそんな奴を見ながらアルカに尋ねる。
「治すのはいいが、なんでか聞いてもいいか?」
「……あのキングベヒーモスさんはアルカの魔法を見て、自分を守るんじゃなく、周りのベヒーモスに魔法障壁を張ったの!それだとフェアじゃないの!」
「……そういうことか」
だから周りのベヒーモス達は無事なんだな。自分達のリーダーが自分達を守ってくれたから。恐らく、キングベヒーモスが自分自身に魔法障壁を張ればそこまでのダメージを受けなかっただろ。魔物のくせに見所のある奴だ。
「確かにそれはフェアじゃねぇな」
「そうなの!だから、キングベヒーモスさんの傷を治して欲しいの!」
「わかったよ」
「……いいのですか?」
セリスがなんとも言えない顔を俺に向けてくる。
「アルカがこう言ったんだ、治してやらないわけにはいかねぇだろ」
「ですが……」
「大丈夫だって。治した途端暴れ出したら、今度は俺が相手になってやる」
「そうですか……わかりました。クロ様の判断に任せます」
たくっ……相変わらず心配性だな。まぁ、セリスの気持ちはわかる。娘がどんなに強いってわかってても心配しちまうのが親ってもんだもんな。
俺はポンポンとアルカの頭を優しく撫でると、ゆっくりとキングベヒーモスの方に歩いていく。自分達のリーダーが危ない、と感じとったベヒーモス達が慌てて臨戦態勢に入った。悪いけど今は邪魔なんだ。
「"立ちはだかるは零度の魔氷"」
俺が魔法を詠唱すると俺とベヒーモス達を隔てるように分厚い氷の壁がそりたった。まぁ、あいつらがその気になればこんな壁、数分も持たないだろうが十分だろ。
俺は再び歩き始めた。キングベヒーモスは一切動く事なく、それでもその鋭い視線を一瞬たりとも俺から外すことはない。これが王たるものの覚悟なのかな。魔物相手だけど、正直言って感心しちまうな。
俺はキングベヒーモスの目の前で立ち止まる。ここまで来てわかった。こいつは立っているのもやっとの状態だ。攻撃するどころか指一本動かすのだってままならないくらいに。そらそうだろ。あの爆発をまともに喰らって、五体満足なのが不思議なくらいだ。その頑丈さは流石はキングベヒーモスといったところか。
今の状態ならこいつの角を楽々取れそうだ。
俺はキングベヒーモスの頭部に腕を伸ばす。そして、触れるか触れないかのところで手を止めると、魔法陣を組成した。
「"癒しの波動"」
今のこいつから角なんて取ってみろ、確実に俺はアルカに嫌われちまうぞ?それはこの世界が崩壊することになっても避けなければならない事象。
自分の体から傷がなくなっていくのを、キングベヒーモスは困惑しながら見ていた。俺はベヒーモス達の前にたてた氷壁を消し去ると、キングベヒーモスに背を向け、アルカ達の方へと戻っていく。
……背中を向けた時に攻撃でもしてこようもんなら、そのまま討伐してやろうと思ったが、やっぱりこいつは襲ってこなかったな。
「パパ〜!!ありがとう!!」
アルカが俺の胸に飛び込んでくる。これだけであいつの傷を治した甲斐があったってもんだ。
「クロ様」
セリスがキングベヒーモスを目で指し示した。俺はアルカを抱きながらそちらに向く。
キングベヒーモスはジッとこちらを観察していた。その体からは先ほどまで放っていた殺気は感じられない。
しばらく動きを見せなかったキングベヒーモスだったが、緩慢な動きで自分の頭に手を伸ばすと、そこに生えている立派な角を折り、雪原に放り投げた。そして、転移魔法を発動し、この場から立ち去る。他のベヒーモス達もそれに倣う感じで、次々といなくなっていった。
残ったのは俺達三人と、その重さで少し雪に埋まったベヒーモスの王の角だけ。俺はそれを拾い上げ、空間魔法に収納した。
「……幻の魔物もアルカの優しさには敵わないって事だな」
「そうですね」
「ほへ?」
俺とセリスが柔和な笑みを浮かべる。当の本人はよくわかっていないのか、難しい顔をして何度も首を傾げていた。





