21.子供に平気で手を上げられる奴に碌な奴はいない
ロニの案内で森を進んでいるうちに、すっかり辺りは夕焼けに照らされていた。洞窟を出てから元気のないロニの頭にゼハードは手を乗せる。
「……大丈夫か?」
「……平気だ」
明らかに無理しているのは見え見えだ。だが、ゼハートはそれ以上何も言わなかった。
「この先だ」
ロニが静かな声で告げる。ゼハード達の間に緊張感が広まった。極力気配を消しつつ、全員が木の陰に隠れて、様子を探る。
「あれが人間達のいる建物か……確かに複数の人間が建物の前に集まっているな」
「え?」
ゼハードの言葉に驚いたロニが工場へと目を向けた。ゼハードの言う通り、工場の前に十数人の人間が立っている。ロニとアルカが工場内で見かけた人間は殆どそこにいた。
「どうした?何か不思議なことがあるのか?」
「いや、いつもは建物の中にいるのに……」
少なくとも自分が潜入していた時はずっと施設内で同じ事を繰り返していた。なにより、責任者であるアイソンの姿も見えない。
「ふむ、他の者が中にいるのではないか?」
「この中にいた人間は大体外にいるぞ」
「そうなのか?」
ロニの話を聞いて、ゼハードは口元に手を当て、黙りこくった。
「どうしたの?ゼハード」
急に話さなくなったゼハードを不思議に思い、ロニが首を傾げる。
ゼハードは判断出来ずにいた。
ロニの話が本当であれば、これはイレギュラーな状況。普通でない時は必ず何かがある。このまま攻め込むのが正しい事なのか。
だが、対象が一まとまりなのはこっちにとっては好都合。魔法陣が得意な自分達であれば、範囲魔法で確実に殲滅し尽くすことができる。
これをチャンスと見るか、否か。
しばらく熟考していたゼハードは意を決したように顔を上げる。
「敵が一箇所にいるのであれば、吹き飛ばすだけ。各自、魔法陣を組成しながらこのまま突っ込むぞ」
「「「おう!」」」
ゼハードの言葉に威勢良く返事をすると、メフィスト達は一斉に工場目掛けて駆け出した。
流石は魔法陣の腕が高い、と知られるメフィスト。作り出す魔法陣は全てが質の高いものであった。
工場の前にいた人間達がこちらに気づく。だが、もう既にこちらの魔法陣は完成していた。このまま撃ち込めば、確実に葬り去ることができる。
シュッ!!
そう思った矢先、真上から鉄網のようなものが投げ込まれた。
「な、なんだ!?……っ!?」
被さってきたその網を慌てて払いのけようとしたゼハードだったが、それに触った瞬間、全身の力が抜けていく。へなへなとその場に膝をつきながら周りを見ると、他の者達も自分と同様であった。
鉄とは違う。夜を思わせるほど黒いその鉱石は、明らかに禍々しい気配を漂わせていた。
「ふむ……釣りが好きなのだが、投網漁も悪くないもんだな」
立っていられないほどの脱力感に苛まれる自分達の耳に、そんな軽口が聞こえてくる。ゼハードは地面に這いつくばりながら、なんとかそちらに目を向けると、冷たい目をした白衣を着た男がこちらを見下ろしていた。
「なにも、研究者全員を駆り出すことなかったんじゃないですか?」
「んー?みんなに釣りの素晴らしさを教えてやりたかったのだよ」
隣に立つ研究者の男がほとほと呆れたように言うと、アイソンは小さく笑いながら両手を広げる。
「小さな労力でこんなにも大きな成果を上げることができたのだからな」
「……確かに、今回はアイソンさんのお陰で楽できましたね」
「今回も?だろう」
アイソンは楽しげな口調で言うと、網にとらわれているゼハード達に近づいていった。そして、悔しげにこちらを見上げているメフィストを見て、ニヤリと笑みを浮かべる。
「いやぁ、魔族相手に使ってみたのは初めてだが、中々の性能ではないか」
「……こ、この網は……なんだ……?」
「おや?まだ喋る余力はあるようだな。これはいい実験結果が得られそうだ」
身体の自由が効かないなか、なんとか声を出したゼハードに、アイソンは興味深げな視線を向けた。そして、白衣のポケットから黒い鉱石を取り出すと、見せびらかせるようにポンポンと上に投げる。
「このデモニウムは魔族の魔力を吸収する効果があってな。その網はこの鉱石で出来ているのだ」
「魔力を吸収……?」
「そうだ。だが、その様子を見る限り、魔力だけじゃなく、生命力も吸い取っているみたいだな。実に面白い」
満足そうに頷くと、ゼハードの隣にいるロニに気づいたアイソンは、嬉しそうに笑いかけた。
「これはこれは!釣り餌君じゃないか!!君には感謝してるよ」
「な……なに……?」
ロニが懸命に顔を上げる。
「君が我々から聞いた話を仲間に話したおかげで、こうやってノコノコ現れてくれたわけだからね。探す手間が省けたというものだよ」
「な……なん……だと……?」
「うーん?もう一人の子供はいないのか。そっちは少しは頭が回るみたいだね」
この時初めて、ロニは自分が敵の手のひらで踊らされていたことを理解した。自分の安易な正義感のせいで仲間を危機に招いた、その事実がロニの心を切り刻む。
「さて……釣果は上々。子供を一人逃したが、誤差の範囲だろう。さっさと片付けて研究に戻るとしよう」
アイソンは高笑いをしながらゼハード達に背を向け、ボウガンを持っている同胞達の方へと歩いていった。そして、魔族を始末するよう指示するため、ゆっくりと手を挙げる。
その瞬間、人間達とメフィスト達の間に転移魔法陣が浮かび上がった。
そこから現れた少女を見て、ロニは目を大きく見開く。
「ア……ルカ……?」
ロニの声に反応したアルカは、網にとらわれているメフィスト達をちらりと見ると、すぐにアイソンの方に顔を向けた。当のアイソンはアルカの姿を見て、薄い笑みを浮かべる。
「少しは頭が回ると言ったが、そんなことはなかったみたいだな。わざわざ自分から来てくれるとは」
「…………」
アルカは何も答えず、その場で膝を折ると、両手をつき、自分の頭を地面に押し付けた。それを見たアイソンが訝しげな目でアルカを見つめる。
「……なんの真似だ?」
「パパから教わったの。本当に謝る時はこうやってするって」
アルカは頭を上げずに答えた。
「……アルカの仲間が迷惑かけてごめんなさい。このまま大人しく帰るので、許してください」
その言葉を聞いたゼハード達に戸惑いの色が広がる。目の前にいる少女は自分達のためにこんな所まで来たのだ。仲間などではない、と吐き捨てた自分達のために。
アルカ自身、ロニ達と別れた後、一人途方に暮れていた。だが、認められなかったとしても、彼らは村で一緒に過ごしてきた紛れも無い仲間なのだ。見捨てる事などできるわけもない。
アイソンは自分の前で真剣に頭を下げるアルカをつまらなさそうに見つめた。
「何を言ってるんだ、お前は?」
「……このままだと、人間さんと仲悪くなっちゃう。それはとても大変なことなの」
政治の世界がよくわからないアルカでも、人間と争い事を起こす事がどれほど危険な事かは本能的に理解している。なんとしてでも、今回の騒動は丸く収めなければならない。
「なるほどな……そこに転がっている愚か者達よりはマシだということか」
アイソンは納得したように頷くと、ゆっくりとアルカに近づいていく。そして、徐にアルカの頭を蹴り抜いた。
「うっ……!!」
受け身も取れずにアルカは転がっていく。そんなアルカを、アイソンが蔑むような目で見つめた。
「短絡的な思考としか言いようがないな。今更謝ったところで遅いに決まっているだろう。いや、そもそも謝罪など何の意味もない。人間と魔族なのだぞ?このまま戦争に発展するに決まっている。……おまけに」
アルカは何も言わずに立ち上がると、よろよろとアイソンに近づき、再び頭を下げる。目の前で土下座をするアルカに、アイソンは冷たい視線をぶつけた。
「私は子供が大嫌いなのだ」
容赦なく振るわれる暴力。幾度となく蹴り飛ばされようとも、アルカは諦めない。またすぐに立ち上がり、アイソンの近くまで寄ると、頭を下げ続けた。
そんなアルカを見て、ロニの心に怒りが芽生える。
あんなにも健気に頭を下げるアルカに対して何の躊躇もなく攻撃を加えるアイソンに対する怒り。それを見ても何の感情もわかない周りの研究者への怒り。そして、何もできずにアルカの頑張りを見ているだけの自分に対する怒り。
ロニは血が出るほど、地面に爪を突き刺すと、渾身の力で網から抜け出した。そして、ボロボロになりながらも謝罪しているアルカの前に立ち、アイソンを睨みつける。
「……だ、れ……?」
目の上が腫れてしまっているせいで良く見えないアルカが尋ねると、ロニは振り返り精一杯の笑顔を向けた。
「やっぱりアルカは俺達の仲間だ!!こんなに俺達のために頑張っているのに仲間じゃないなんて、俺は認めない!!」
「ロニ君……!!」
目から涙がこぼれるアルカに優しく頷きかけると、ロニは目の前にいる敵に目を向ける。アイソンはデモニウムで出来た網を見て、顔を顰めていた。
「一度捕らえたのに抜け出されるとは……改良の余地があるな」
「おい、お前!!これ以上アルカに指一本でも触れてみろ!!俺が許さ」
ロニが言い終わる前に、アイソンは腰から伸縮自在の警棒を取り出すと、ロニの顔面を殴りつける。
「ぐはっ!!」
「ロ、ロニ君っ!!」
盛大に鼻血をまき散らしながら吹き飛ばされるロニを見て、アルカは叫び声をあげた。アイソンはそのままアルカの身体にも警棒を叩きつける。
「がっ……!!」
ロニの所まで殴り飛ばされたアルカは、そのままぐったりと地面に倒れ込んだ。アイソンは寄り添うようにして倒れる二人を見て不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「これだから子供は嫌いなんだ。うるさくて、生意気で、現実が分かっていない。相手をしても疲れるだけだな」
アイソンは後ろを向くと、控えていた研究者達に向けてクイっと顎を動かした。それを見た彼らは一斉に持っていたボウガンを構える。
「……あの二人を殺せ」
静かに告げられた命令。研究者達は一斉にボウガンから矢を放った。
「―――”火炎放射器”」
だが、その矢は二人に届く前に、すべて燃やし尽くされる。どよめく研究者達。アイソンも含め、この場にいる全ての者の視線が、魔法が放たれた方に向けられた。
「……流石に限界ですね」
ビロードのような声。だが、同時に絶対零度の冷たさも感じる。
皆の視線が集まる先には金髪の美しい悪魔が無表情で立っていた。





