18.助けてもらったら「ありがとう」
工場の外に出たシンシアは大きく深呼吸をする。森のさわやかな空気が澱んでしまった自分の肺を浄化してくれるような気がした。気分が落ち着いたシンシアは振り返り、自分が出てきた工場を見やる。
恐ろしい施設だった。魔族を殺すために特化した兵器製造、実験に利用されるだけの魔物達、自分が今まで生きてきた平穏な世界とはまた違う。平和の裏側にある闇というものをこの目にしたのだ。
「清濁併せ持つものが王というもの……」
オリバーがよく言っている言葉を、何とはなしに口に出してみる。奇麗ごとだけでは世の中は回らない。それはわかっているのだが、今のシンシアには受け入れるための心の準備も、王としての器も足りていなかった。
だが、こういう世界があるということが知れただけでも、ここに来た価値はある。オリバーに同行するように言われたときは、貴重なマーリンとの修行を休んでまで自分が行く必要はあるのか、と疑問に思っていたが、やはり父は正しかったようだ。
「古代兵器……確か世界に害を及ぼす危険性があるとして、禁忌の力とされるものでしたね」
古代兵器は古い遺跡などに隠されている、とマジックアカデミアでは教わった。そして、古代兵器が一つあるだけで戦況が傾く程強大な力を持つとも。そんな古代兵器を作り出すアーティファクト、頼もしさよりも恐ろしさの方が先立ってしまう。強力無比な破壊の兵器を用いてでも魔族を滅ぼすことが人間にとって最善なのか、今のシンシアにはわからなかった。
特に意味もなく工場の周りを歩く。今はあの魔族に死を運ぶ兵器を作る不気味な箱の中にいなければ、どこにいてもよかった。とにかく生を実感したい。あの施設に充満していたのは濃密な死の気配だけであった。
森のにおいを楽しみながら何も考えずに歩いていたシンシアの耳に、突然誰かの声が届く。
「グ、グリズリー!?」
それは少年の声のようであった。咄嗟に声のした方に目を向けると、巨大な熊のような魔物と、子供が二人。一人がもう一人の子を庇う様に立っていた。
反射的にイヤリングを外すと、シンシアは魔物と子供たちの方に駆け出す。そして、風属性の中級魔法を唱えると、容赦なく魔物に向かって放った。
「“風切り刃”!!」
風で出来た鋭利な刃。およそ中級魔法とは思えないほどの威力でグリズリーに襲い掛かる。まともに魔法を食らったグリズリーは木をなぎ倒しながら、森の奥へと吹き飛ばされていった。
シンシアは子供たちの所まで行くと、ホッと息を吐きながらイヤリングを付けなおす。
「魔力制御装置抜きの魔法陣構築にも慣れてきましたね。校長先生との修行の賜物です」
しばらくグリズリーが飛んでいった方を警戒したが、戻ってくる気配はない。これで大丈夫だろう、と判断したシンシアは二人の子供に向き直った。
赤い髪をした少年は後ろにいる茶髪の少女を守るようにして、こちらに鋭い視線を向けている。それに対して茶髪の少女はその大きな目でシンシアのことを興味深そうに見つめていた。
その二人の子供の頭には、角のようなものが見え隠れしている。
「あなた達は……魔族?」
シンシアが話しかけると、少年はビクッと身体を震わし、こちらを睨みつけながら後ずさりをした。シンシアはもう一度、極力優しい口調で少年に尋ねかける。
「二人は魔族なのですか?」
「うるさいっ!!人間めっ!!俺達に話しかけるな!!」
明確な拒絶。自分は魔族の敵である人間なのだから仕方がないことなのだが、ショックは隠せない。今にも襲い掛かって来そうな少年を見てシンシアは困り果てていた。いくら魔族だからといって、子供を相手したくないというのがシンシアの本音。
どうしようかと迷っていたシンシアに救いの手を差し伸べたのは意外な人物であった。
「ダメだよ、隊長!!助けてもらったんだから、ちゃんとお礼をしないと!!」
「ア、アルカ!?」
少年に守られていたはずの少女が、少年の背中から前に出てくるとこちらに笑顔を向けてくる。
「助けてくれてありがとう、お姉さん!!アルカはアルカだよ!!後ろにいるのは隊長のロニ君!!」
「……どういたしまして。私はシンシア・クレイモアと申します」
若干面食らったシンシアであったが、丁寧にあいさつをされたのであれば、丁寧に返すのが王族のたしなみ。スカートの端をつまみながら、優雅なお辞儀を決めた。
「お、おいアルカ!!離れろ!!そいつは人間だぞ!?何をされるかわからないんだぞ!?」
アルカの予想外の行動に呆気に取られていたロニが我を取り戻し、慌ててアルカに話しかける。だが、アルカは暢気に振り返ると、ロニにも笑顔を向けた。
「大丈夫だよ、隊長!!シンシアお姉さんはいい人そうだし、それに……」
アルカがちらりとシンシアの耳元に視線を向ける。
「その耳についているのを外さないと、力いっぱい戦えないんだよね?」
「なっ……!?」
「はぁ?何を言ってるんだ、お前?」
咄嗟に自分の耳に手を伸ばすシンシア。そんな彼女を見て、アルカはニコニコと笑っている。一人、意味が分かっていないロニだけが怪訝な顔で首を傾げていた。
「それを耳に付け直したってことは、アルカ達と戦うつもりはないってことだと思うの!!そうだよね?シンシアお姉ちゃん?」
「…………」
シンシアは答えない。ただの一度、イヤリングを外したところを見ただけで全てを看破した。目の前に立つ少女がグリズリーなんて目じゃないほどに恐ろしい。
「と、とにかく逃げるぞ!!」
「ロ、ロニ君!?腕を引っ張らないでー!!」
赤毛の少年に腕を引かれて、戸惑いながら森の奥へと消えていく謎の少女。彼女はシンシアと目が合うと、最後にもう一度だけ笑顔を向けた。
「またね、シンシアお姉ちゃん。バイバイ」
人間に対して一切の恐怖心がない声色。むしろ親愛すら感じる。
シンシアはその場に佇んだまま、人間に友好的だった不思議な少女が消えた方角を、何も言わずにずっと見つめていた。
*
「はぁ……はぁ……アルカ!!お手柄だぞ!!」
「ほえ?なにがなの?」
必死に村へと駆け戻る最中、ロニが嬉しそうに話しかけてきた。
「あそこは人間達が悪だくみをしている施設に違いない!!」
「人間達が……?」
「そうだっ!!明日からはあそこに張り付いて情報を得るぞ!!人間達が企んでいることが分かれば、俺達は未然にそれを防げばいい!!そうすれば俺達はヒーローだ!!」
思わぬ収穫に舞い上がるロニとは対照的に、アルカの表情は晴れない。
「ロニ君……それはやめた方がいいと思うの」
「はぁ?なんでだよ?」
「人間さん達はとても恐ろしいってパパ……誰かが言ってたの。だから不用意に関わったらいけないって」
それはアルカがマリアを連れてきた事に対するクロの言葉であった。今回はマリアだったからよかったものの、悪意に満ちた人間であればアルカの純真な心を利用する可能性もある。それを防ぐために、クロはアルカに釘を刺したのだ。
「だからこそだろ!?人間達があそこで何をしているのかちゃんと調べないと!!アルカだって、気になるだろ!?」
「……それは……」
アルカは思わず口籠った。あれだけ立派な施設、気にならないと言えば嘘になる。
「ようはバレなきゃいいんだよ!!明日っから潜入任務の開始だ!!」
「……わかった」
アルカは気乗りしないものの、自分が断ればロニは一人で行くと思い、難しい顔をしながら頷いたのであった。





