2.勇気
翌朝、火の始末やテントの回収などいつものように周辺を片付け、俺達は出発した。
「何してるの、レックス!置いてっちゃうわよ!」
フローラが元気よく先頭を進んでいく。昨日までの憂いを帯びた表情はすっかりなりを潜めていた。
「フローラさん、元気になったみたいですね。よかった」
横を歩いているシンシアがホッとしたように笑いながら、俺に目を向けてくる。やっぱりフローラはああやって笑っている方が似合ってるよ。昨日俺と話したことは無駄じゃなかったってことだ。
大分、斜面も緩やかになってきた。そろそろ頂上も近いだろう。
そんな事を考えながら木をかき分け進んでいた俺達の前に、それは突然現れた。
山の地形に沿って建てられた建物は全てが白。全てが同じ形。無秩序は一切許さない。中央に鎮座した巨大な神殿から左右に、街自体が完全にシンメトリーに広がっていた。
その芸術的でありながら荘厳な街の佇まいに、俺は思わず息を呑む。
「……すごいな」
エルザ先輩がツーっと汗を垂らしながら呟いた。俺も全く同じ感想だ。こんなに凄まじい光景を前に陳腐な言葉だとは思うけど、それ以外の言葉が頭に浮かんでこない。
「と、とりあえず行ってみましょうか」
完全に気圧されているフローラの言葉に俺達は頷くと、エルサレンの町に向かって歩き出した。
エルサレンに入った俺達は、キョロキョロと周りを見渡しながら街中を進んでいく。ひどく静かだ。人がいないわけではない。街と同じように白装束を来た人達が普通に街を歩いている、というのにほとんど音がない。道端で世間話をするご婦人も、大声で客寄せする八百屋も、迷子になって泣き喚く子供もいない。誰もが決められたレールを進むが如く、生活しているようだった。
「……なんか怖い街ですね」
「そうね……ここの人には感情がないみたい」
シンシアが不安そうな顔でそっとフローラに身体を寄せる。フローラも周囲を警戒するように目を細めた。
何となく気になったから、そこら辺を歩いている人に声をかけてみる。
「すいません、この街っていつもこんな感じなんですか?」
俺が声をかけると、白装束を着た女の人は俺達に目を向け、頭を下げた。
「外の世界の皆様、ようこそいらっしゃいました。この街は聖都・エルサレン。神がおわす天に最も近い街でございます。ここで貴方方は偉大なる勇者アベルのご加護を受けられるやもしれません。街の中心にある大神殿へとお進みください」
「あっ、ご丁寧にどうも」
なんか知らないけど、いろいろ説明してくれた。でも、俺の問いかけには一切答えてない。
「それよりも、この街は」
「外の世界の人に声をかけられたら、今の話をお伝えするのが規則なので。それでは私はこの辺で失礼いたします」
終始、無表情だった白装束の女性はささっと頭を下げると、足早に俺達から離れていった。なるほど、この街の人とは会話なんて出来ないんだな。決められた状況で決められた事を話す。動物と話している方がまだ色んな反応が見られるってもんだ。
「規則ねぇ……エルザ先輩みたいな人がたくさんいますね」
「ほざけ。確かに規則は重んじるものだが、私はこんなにつまらなさそうに生きてはいない」
「そりゃそうだ」
アベルさんとはまた違った自由人、それがエルザ・グリンウェルという人だ。ここの人達みたいに規則に縛られているわけではない。
少し戸惑いながらも、シンシアが俺達に顔を向けてくる。
「とりあえず大神殿に向かってみませんか?」
「そうだな……俺たちの目的は勇者の試練だしな。どうせ、そういう大事な事は大神殿で行うんだろ」
「なら、行きましょう」
気を取り直して、俺達は街の中を歩いていく。お店だってあるのに声が全然聞こえない。客が商品を指さして、店員が手のひらを出して、その上にお金を置く。商人が唖然としそうな商売風景。マリアの親父さんがみたら発狂しそうだな。
活気のない繁華街を抜けたところで、大神殿の入り口までたどり着く。目の前で見るとやっぱり迫力が違うな。建物の白さが太陽の光を反射して光輝いているみたいだ。柱一本一本が大人五人分くらいの太さはあるぞ。
大理石で出来た階段を上っていくと、巨人も楽々入れそうな大きさの両扉が、ギギギッと音を立てながら一人でに開いた。
扉の先には立っていたのは神官衣装を身にまとった、それなりの年齢の男が一人。驚く俺達を見ながらその男は両腕を開いた。
「勇者の卵達よ、よくぞ参った。私はこの街をまとめる大神官、リーストと申す」
突然の事に戸惑いながらも、自己紹介を返そうとした俺達をリーストさんが手で遮る。
「君達の素性は城から報告が来ている。名乗る必要はない」
城から連絡……魔道具か転移魔法か?とにかく、こちらの事情がわかっているなら話は早い。
「リーストさん、俺達は」
「ふむ……話を聞きたいのは山々だが、玄関口で、というのもあまりいいものではないだろう。中へと案内しよう」
そう告げると、リーストさんは俺達に背を向け、歩き始めた。俺達は互いに目配せをし、頷きあうとその後ろについていく。
建物の中は少し薄暗い。窓の代わりにはめられている美しいステンドグラスが僅かに光を差し込ませているだけだった。その光景があまりに神秘的で、違う世界に迷い込んだような錯覚に陥る。
「歴史ある建物だ。内装が時代遅れなのには、目を瞑ってほしい」
「いえ……とても素晴らしいと、そう思います」
「我が国の王女にそう言っていただけると、嬉しく思える」
リーストさんがシンシアに笑みを向けた。この人は街の人とは違う。中身が空っぽじゃない。
少しの間リーストさんに続き、通路を進んで行くと、かなりの広さの部屋に出た。
「ここは大聖堂。偉大なる勇者アルトリウスに祈りを捧げる場」
無数に置かれた長椅子。そして、最奥には信者達を見下ろすかのように置かれた巨大な彫像。
今は礼拝の時間ではないのか、人はまばらだった。それでも取り憑かれたように、皆が手を組み、目を固く閉じながら必死に祈りを捧げている。その様は何というか……不気味だった。
リーストはそのど真ん中の道を何の躊躇もなく歩いていく。
「あれ……レックスに似てない?」
フローラが彫像を見ながら、声を潜めて尋ねてくる。言われてみれば顔の輪郭とか似ている気がしないでもない。だけど、近づいてみてわかった。確かに顔の作りは俺に近いものがあったが、目が違う。あの若干気怠そうな感じはあいつにそっくりだ。
リーストさんは彫像の置かれている祭壇の上に乗ると、こちらに振り返った。
「さて……色々話さなければいけないことがあるが、まずは皆が気になっているこの像について話をしよう」
リーストさんは俺達の顔を順々に見ながら、後ろにある像に目を向ける。
「察しのいい者なら気づいていると思うが、この像は勇者アルトリウスである」
勇者アルトリウス。どんな教科書にも一度は登場するほどの有名人。歴史の授業はこの男の人物史と言っても過言じゃない。
「知っての通り、彼は歴代でも群を抜いた力の持ち主であった。煌めくような金色の髪に、女性を魅了する整った顔立ち。彼の死後二百年は経とうとしているが、そんな彼に憧れる者は少なくない」
どこぞのアイドルの紹介文みたいだな。ここにいる信者は女性が多いみたいだし、女性ファンには困らないってところか。
「魔法陣の実力もずば抜けていたという。彼が火を起こせば辺りは荒野と化し、水を呼び出せば全てを洗い流した。彼に対抗できたのは唯一無二の親友、大賢者マーリンをおいて他にはいない」
うちの校長はやっぱりすごい人だったんだな。普段は生徒とスキンシップを図る好々爺にしか見えないんだけど。伝説と称えられるだけの事はある。
「剣の腕でも彼に比肩する者はいない。彼にしか扱うことができないとされる伝説の剣を振るい、数多の魔族共を駆逐してきた」
「伝説の剣?」
エルザ先輩が興味深そうに声をあげた。リーストさんはちらりとエルザ先輩に目をやる。
「伝承では勇者の髪と同じ金色に輝く美しい剣らしい。私も実物は見たことがないが、その剣は大地を砕き、海を割り、空を断った、とされている」
「それはすごいですね……」
純粋な心の持ち主であるシンシアが素直に驚いていた。多少は誇張されているだろうが、すごい剣だったんだろう。
「そんな超人という言葉も生易しいような男の魂が、ここエルサレンには宿っている」
「勇者の魂が……」
フローラの呟きに、リーストさんが首を縦に振る。なんていうか、話がぶっ飛んでいてイマイチピンとこない。でも、なんとなくこの建物自体に力を感じる。聖なる力というべきか……俺達を包み込むような暖かい力を。
「フローラ・ブルゴーニュ、レックス・アルベール」
大聖堂内を眺めていた俺は、突然名前を呼ばれ、慌ててリーストさんの方を向いた。
「君達二人は王が認めし、勇者の力を授かりうる者。この霊峰・アルマヤの厳しい道のりを乗り越えし者。勇者の試練に挑むに相応しい者達だ」
「はい」
「……はい」
隣でフローラが返事をしたので俺も一応それに倣っておく。こういう雰囲気は苦手だ。
「これから二人にはこの先に行ってもらう」
リーストさんが少し横にずれ、像が乗っている台座を指し示した。よく見れば台座には扉がついている。
「これより先は勇者の素養がある者しか通れない。付き添いの二人はこちらでお待ちいただく形になるが、構わないか?」
リーストさんが視線を向けると、シンシアもエルザ先輩も無言で頷いた。それを見てリーストさんも頷くと、俺とフローラに視線を戻す。
「勇者の試練……数多くの勇者の素養を持つ者が挑んだが、帰ってきた者は少ない。何が待ち受けるかは想像もつかない上、命の保証は一切ない」
「命……」
フローラがゴクリと唾を飲み込んだ。
「中には無限の迷宮が広がり、勇者の声が聞けない者は一生出てくることはできない。そして、無事に終着点に辿り着いたとしても、そこには己の中に潜む最大の敵が待ち受けている」
迷路にゴール地点にはボスってわけね。試練としてはお決まりな感じだな。
「そんな危険な場所に足を踏み入れる覚悟はあるか?」
リーストさんが俺達に鋭い目を向けてくる。覚悟、か……正直勇者になんてなりたいとは思わない。期待されるだけされて、失敗すれば罵倒される。上手くいっても勇者だから、と言って片付けられるのがオチだ。なった所で戦いの道具として利用されるだけなのは目に見えている。
でも。だからこそ、そんな重荷をフローラには背負わせるわけにはいかないわな。
俺が隣に目を向けると、フローラは真剣な目で俺を見ていた。俺はそんなフローラに小さく頷きかける。
「「あります」」
俺達が同時に答えると、リーストさんは満足そうな笑みを浮かべた。そのままゆっくりと祭壇から下がると、俺達に頭を下げる。
「目に見えぬ苦難に立ち向かう勇気、それこそが勇者に最も必要な資質。未来の勇者よ、我々はこの地で二人の成功を祈っている」
俺達は階段を上がり、祭壇の上に立つ。そして、手を伸ばし、扉の取っ手を掴むと、俺はフローラに目を向けた。
「……行きましょう」
覚悟を決めた声。俺は何も言わずに扉を開けると、その中へと入っていった。