4.悩んだときはとりあえず夜空を見上げる
翌日は朝からアイアンブラッドへ行く予定だったので、朝食をとり、アルカにハグをしてから家を出る。その時にセリスから手荷物を渡されたんだが、これがなんとお弁当。
朝から俺が出かけるということを知った女中さんが作ってくれたらしい。感謝するとともに、昨日の自分の世迷い言を恥じる俺。
生きていくには女性も必要です。はい。
「うーん……どうしようかな……」
俺は腕を組みながら頭を悩ませていた。今日俺がいるのは昨日とは違う工場。
流石に連日は仕事を離れることができない、とボーウィッドは今日はついてきていないが、気を利かせてくれたらしく、俺は全ての工場に顔パスで入れるようにしてくれていた。兄弟まじ兄弟。
だから今日はセリスと二人で工場見学。ちなみにここは三件目。
「どこも変わりませんね……」
昨日はイマイチピンときていなかったセリスも、三件見れば何が問題なのか嫌でもわかったのだろう。難しい顔をしながら無言で働くデュラハンを見ていた。
「本当にコミュニケーションをとりませんね。なぜでしょうか?」
ふむ、問題点はわかっても性質は理解できないか。まぁ仕方がないことだ。なぜコミュニケーションを取らないのか?コミュ障だからだ。
「この問題……解決することができるのでしょうか?私には解決策がまったく思いつきません」
「どうしたら解決っていうのははっきりしたんだけどな」
「デュラハン同士で会話をするようになる、ですか?」
セリスの言葉に俺が頷く。言うは易く行うは難し。黙々と働いているこのデュラハン達が、おしゃべりしている図が思い浮かばない。
さっきジャブ程度に俺が声をかけてみたが、誰一人として言葉を発さなかった。やはりボーウィッドのようにはいかないか。こりゃいよいよ手詰まり感が出てきたな。
その後も違う工場に顔を出し、複数のデュラハンに声をかけてみたが結果は変わらず、昨日とは打って変わってテンションだだ下がりのまま帰路に着いた。
次の日も、その次の日も諦めずにアイアンブラッドの工場に赴いては、デュラハン達に積極的に話しかける。少しでも話すことに抵抗がなくなれば、と小さな期待をよせるも、まるで効果はなし。
時間だけが無情にも過ぎていき、気がつけばボーウィッドから話を聞いてから二週間が経っていた。
✳︎
日はすっかり落ち、夜空には数多くの星が自らの存在を主張するかのように光瞬いている。
森の生態系は違う場所にいるのかと錯覚するほどにガラリと姿を変え、獰猛な夜行性のハンター達が獲物を求め、活発に動き回っていた。
そんな食物連鎖のドラマが繰り広げられている森に囲まれた巨大な城。その中庭にあるちっぽけな小屋のウッドデッキに、一人考え込んでいるクロの姿があった。
口数少なく夕食を終えると、ふらふらと小屋から出ていき、ウッドデッキの椅子に座ってから二時間。クロは指を組んで頭の後ろに回しながら夜空を見上げたまま、ほとんど動くことはなかった。
そんなクロを家の窓から心配そうに見つめる二つの視線。
「パパ……なんか苦しそう……」
アルカは悲痛な声を上げる。アルカにとってクロは自分を救ってくれた大切な人であり、そんなクロが苦しんでいるのは自分が苦しい以上に辛いことであった。
セリスは自分の膝の上にいるアルカにそっと腕を回す。
「うーん……あれは苦しんでいるというよりは悩んでいるんですよ」
「悩んでる?」
アルカが大きな目をセリスに向けると、セリスはゆっくりと頷いた。悩む、という事がまだよくわからないアルカはもう一度クロに目を向ける。確かにアルカの知っている「苦しい」とは少し違って見えた。
「でも可哀想だよ」
「……アルカは優しいのですね」
セリスが優しくアルカの髪を撫でる。するとアルカは口をすぼめながら首を横に振った。
「優しいのはパパだよ」
「クロ様が?…………そうかもしれないですね」
少し驚いたセリスだったが、それ以上にアルカの言ったことをすんなりと受け入れてしまった自分の方が驚きだった。おそらくクロと出会った日の自分であれば、間違いなく鼻であしらっていたに違いない。
でも……、とセリスはクロへと視線を向けた。
彼が悩んでいることはわかる。でも、そんなに必死に悩んでいる理由は魔王軍の指揮官だから、なんてつまらないモノでは決してないだろう。
新しく出来た自分の友人のため、彼は大好きな娘とのスキンシップを犠牲にしてまで、ああやって思い悩んでいるのだ。
それはとても歪なこと。なぜなら、彼と我々は敵同士。相入れることなどあり得ない。
だが、ボーウィッドにしても、今自分の腕の中にいるアルカにしても、彼はそんな事を気にする素振りは一切なかった。それがセリスには不思議で理解不能で、少し羨ましくもある。
「……不思議な人ですね、貴方のパパは」
「不思議?」
アルカがセリスの顔を見上げながら首を傾げるも、セリスは微笑んでいるだけ。
「ママの言っていることは難しくてわからないよ」
「ふふふっ……そうですか?」
セリスが柔らかく笑うと、なんとなくからかわれているような気分になり、アルカはぶーっと唇を尖らせた。
「そんな怒らないでください」
「怒ってないもーん」
セリスはプイッとそっぽを向いたアルカを抱き寄せ、スリスリと頬ずりをする。
「マ、ママ!ちょっとくすぐったいよ!」
「うふふ、アルカが可愛いのがいけないんですよ?」
セリスは更にアルカを抱きしめると、身体全体でアルカを堪能し始めた。アルカもイヤイヤとは言いながらも、満更でもなさそうな顔をしている。
しばらくじゃれ合っていた二人であったが、少し落ち着くと、示し合わせたようにクロに目を向けた。
「なんとかパパの力になりたいな」
「力に、ですか……」
困っている人がいれば力になりたい。アルカはそういう優しさを持つ子だということは、十二分に把握しているのだが、やはりセリスは心のどこかに引っかかりを感じる。
「それは何故ですか?」
そう思うと、思わずアルカに尋ねていた。なぜアルカはクロの、人間であるクロの力になりたいと思うのだろうか。親の敵と言っても過言ではない相手だというのに。
アルカはセリスの顔を見つめ、なんの迷いもなく答えを口にする。
「なんでって、パパが大好きだから」
いたってシンプルで、それでいて心に響く言葉。種族の違いに囚われている自分をあざ笑うかのような答え。
セリスは静かに目を閉じる。クロとの出会い、そしてアルカとの出会いが、セリスの中の凝り固まった魔族思想を溶かしていくようであった。
「ママの事ももちろん大好きだよ!」
「……私もアルカの事が大好きです」
セリスは自分に大切なことを教えてくれた小さな先生を優しく抱きしめる。嬉しそうにはにかんでいたアルカだったが、ふと、自分の中にわいた疑問を躊躇なくセリスに尋ねてみた。
「パパは?」
「えっ?」
「パパのことは好き?」
目をぱちくりとさせるセリス。そんなセリスを見つめるのは、何の穢れも知らない純粋無垢な眼。
「…………さぁ、どうでしょうかね?秘密です」
「え~!意地悪~!!」
「ふふふっ、ママは意地悪なんです」
セリスはぷくっと膨れたアルカの頬を指で優しく突っついた。アルカは負けじと頬を膨らませるが、その度にセリスに邪魔をされてしまう。アルカは諦めたように息を吐くと、セリスの腕の中で大人しくなった。
「……ねぇママ?」
そんなアルカが小さな声でセリスに話しかける。
「はい?」
「今日はまだお家に帰らないの?」
アルカはセリスの顔を見ずに尋ねた。普段であれば夕食を三人で食べた後、クロがアルカにデレデレし始めるくらいに、セリスはここから去っていた。しかし、今日はクロがあの様子であるため、アルカの事を慮って、いつもより遅くまで小屋に残っていたのだ。
「私は……帰った方がいいですか?」
いつもの口調で言ったはずなのに、なんだか自分の声が震えている気がする。なんでだろう、と疑問に思う自分と、アルカの答えを聞くのが怖いからだろう、と答える自分がいた。
アルカは甘えるようにセリスの胸に自分の顔をうずめる。
「……もう少し一緒にいたい」
「……わかりました。一緒にいますよ」
アルカの答えに喜びと安堵を感じながら、セリスはアルカの背中をそっと撫でた。アルカは温かいシャボン玉に包まれているような温もりを全身に感じながら、セリスに身を委ねる。
結局、セリスはアルカの寝息が聞こえるまで、ずっとその背を優しく撫で続けていた。