1.吐露
俺達がマケドニアを発ち、聖都・エルサレンを目指し始めてからかなりの日数が経った。
勇者になるための旅、ということで魔道列車や馬車の類は使うことが禁じられている。エルサレンに向かうとこから勇者の試練は始まっているんだってさ。
エルサレンは王都の東側にある霊峰・アルマヤの頂上に存在する。そのアルマヤには一日足らずでたどり着くことができた。道路も舗装されていたし、山自体がある種の観光名所になっているから、そこに行くのはなんてことはない。問題はこの山を登らなければいけないということだ。雲よりも高くそびえたつ山を見て、俺達は唖然としたのを覚えている。
シンシアとフローラとは学園にいる頃、よく冒険者ギルドの依頼を一緒にこなした間柄だ。フローラが攻撃魔法で魔物をけん制し、シンシアが補助魔法でサポート。そして、俺が剣を振り回して大暴れっていうのがスタンダードな戦い方だった。二人とも同世代の中じゃ、頭一つとびぬけている魔法陣士だから、かなり頼りになる。
エルザ先輩とは一緒に行動したことはないけど、この人の実力は学園にいる奴なら誰でも知っている。卒業後、騎士として即戦力を確実視されている程の人だから、魔物との戦いも問題ないだろう。この面子なら大して苦労せずにエルサレンへと行けるはずだ。
だが、そんな俺の甘い考えは初日で粉々に砕け散った。
慣れない地形、悪い視界、延々と襲い掛かってくる魔物。しかも、その魔物は王都の近くにある森で出てくる奴らとは一味も二味も違うときた。冒険者ギルドの依頼と違って、当然、魔物を倒せば街に帰れるなんてことはないわけで、最初のうちはほとんど前進できないまま一日を過ごしたこともあった。
それでも、誰一人弱音を吐かずに、懸命に山を登っていく。一週間もたてば少しずつだが、余裕が出てきた。アルマヤに慣れてきたってのもあると思うけど、俺達の実力が上がってきているのも事実。エルサレンに向かう事が勇者の試練だ、っていう話も納得せざるを得ない。それだけ厳しい道のりだった。俺一人では恐らく無理だっただろうな。
そして、山頂までもう間近という所で、俺達はキャンプを張ることにした。
流石に何日も野宿をしていれば慣れたもんだ。手早くテントを建て、昼間のうちに狩猟した動物で食事を作る。食べ終われば見張りを一人残して、交代で睡眠をとるって流れだ。
この生活を続けてきたせいか、体内時計がかなり正確になってきた俺は、交代の時間の少し前に目を覚ます。隣を見るとシンシアとエルザ先輩が安らかに寝息を立てていた。起こさないようにしないとな。
俺は最大限音を立てずに移動し、テントの外へと出た。少し離れた場所にたき火があり、フローラが膝を抱えてその傍に座りながら、ジッと炎を見つめている。
「見張り交代だ、フローラ」
「……もうそんな時間なのね」
フローラの隣にゆっくりと腰を下ろす。フローラはチラッと俺を見ただけで、そこから動こうとはしなかった。
「……全然眠くないのよね。少しだけ話し相手になってもらってもいいかしら?」
「あぁ……だけど少しだけだ。昼間あれほど魔物と戦ったんだから、身体を休めないともたないからな」
「わかってるわよ。お母さんみたいなこと言うのね」
フローラが苦笑いを浮かべる。たき火が照らし出すその顔には疲労とはまた違った影が見え隠れしていた。
「私が勇者かぁ……想像さえしていなかったなぁ……」
「まだなれると決まったわけじゃないだろ?」
「そうね。でも、私達はこの旅で着実に力をつけてきているわ。学園にいた時なんかとは比べられないほどにね」
「それに関しては賛成だな」
「シンシアもエルザ先輩も、何の文句も言わずについてきてくれて本当に助かったわ。あの二人がいなかったら、今私はここにいないでしょうね」
フローラは肩をすくめながらテントの方に目をやる。あの二人は勇者の試練とは全く関係ないっていうのに、俺達のために必死に戦ってくれてるからな。感謝してもしきれないって話だ。ありがとう、の一言では済まされないほどにな。
「……ねぇ、レックス」
しばらく黙って炎に目を向けていたフローラが唐突に声をかけてきた。
「私に隠してることない?」
「隠してること?」
「えぇ。……例えば、マリアに関することとか」
ドキンッ。
一瞬、心臓が高鳴ったが、俺はなんとかポーカーフェイスを貫いた。
「マリアに関することか……例えば?」
「そうねぇ……マリアが急にいなくなった理由、かしら?」
鼓動が早くなるのを感じる。なんとか誤魔化そうと口を開こうとしたが、フローラのまっすぐな瞳を見て、俺は思わず目をそらした。
このままではまずい。マリアから直接聞いたわけではないが、いなくなった理由に俺は心当たりがある。いや、もうほとんど確信に近い。兄を失い、精神状態が不安定なフローラに、それを聞かせる訳にはいかない。そんな事をしてしまえば、フローラの心が壊れてしまうかもしれない。
……だが、本当にそれでいいのか?フローラはマリアの親友なんだぞ?マリアがいなくなった理由を知る権利があるはずだ。このままモヤモヤとし続けるくらいならいっそのこと……いや、やっぱりダメだ。今のフローラには酷すぎる。
内心、激しい葛藤の渦にのまれている俺を見ながら、フローラはクスッと小さく笑った。
「そんなに悩まなくてもいいのよ。……相変わらずレックスは優しいのね」
「フローラ……」
「……なんとなくわかるのよ。なんであの子がいなくなったのか」
フローラはゆっくりと息を吐き出すと、俺に向かってウインクをしてきた。
「原因はシューマン君でしょ?敵討ちってところかしら?」
「…………」
フローラの問いかけに、俺は何も答えず火に薪をくべる。ほとんど答えを言っているようなもんだな、これ。
「マリアはシューマン君のことが大好きだったからね……」
フローラは遠い目をしながら夜空を見上げた。
「あの子はずっと彼を見ていた。授業中も、お昼休みも、放課後も。親友の私じゃなくても気づくくらいにね。……シューマン君は全然気づいていなかったみたいだけど」
「……あいつは鈍感だから」
「本当よ!!あんなに可愛い女の子が好意を寄せているというのに、彼ったら私に告白なんかしてきて……あの時ははったおしそうになったわ!!もっと周りをよく見なさい!!ってね」
フローラが眉を吊り上げながら、空に向かって拳を振るう。そんなフローラを見て俺は思わず苦笑いを浮かべてしまった。
「俺の親友は真正の大馬鹿野郎だ」
「あんたもね」
「えっ?」
予想外の発言に目をぱちくりさせる俺。フローラは心底呆れたように、大きくため息を吐いた。
「本当はマリアの事、止めたかったんでしょ?……好きだから」
「なっ!?」
俺は思わず、その場で立ち上がる。なんでフローラがそのことを……?
「座りなさいって。あんまり騒ぐと二人が起きるわよ」
フローラに窘められ、俺は動揺しながら腰を落とした。
「ったく……わかりやすいのよ。レックスもマリアも」
「そ、そうなのか?」
「……まぁ、シンシアは気づいてないでしょうね。あの子は結構天然なところあるから」
ま、まさかフローラに知られているとは……。なんとなく恥ずかしい。
「揃いも揃ってバカなのよ、シューマン君もレックスも。……女心が全く分かっていないんだから」
フローラが寂しそうに笑いながら、視線を落とした。女心……マリアのってことか?
「はぁ……まぁ、いいわ。とにかくマリアは魔族の領地へ行ったんでしょ?」
「マリアが何も言わずにいなくなったのは本当だから、憶測にすぎないが恐らくは……」
「そう……」
フローラが火を見つめる目をスッと細める。
「……あの魔王軍指揮官に会わないことを願うばかりね」
「魔王軍指揮官……城の外でフローラが話してくれた奴か」
「えぇ。容姿がシューマン君と瓜二つってだけの……ただの悪魔よ」
フローラの声には憎しみが込められていた。俺は何とも言えない気持ちに苛まれながら、フローラの顔を見やる。
「そんなにクロムウェルに似ているのか?」
「そうねぇ……双子だって言われても疑わないくらいには。中身は全く違うけどね」
「……そいつが憎いか?」
「憎いわ」
間髪入れずにフローラが答えた。そして、たき火から目を離すと、まっすぐに俺の目を見つめてくる。
「あいつは私の兄を殺した」
ひどく落ち着いた声。それが逆にフローラの怒りを顕著に表していた。
「アベルさんは……フローラには優しかったもんな」
「えぇ……」
フローラが俺から視線を外し、再びたき火を見つめる。
「兄さんは自分勝手で誰に対しても偉そうだったけど、私のことは大切に思ってくれていたわ」
「俺がフローラの近くにいただけで殴られたっけ」
「そんなこともあったわね。……妹離れできない困った兄だったのよ」
フローラは苦笑しながら、自分の膝の上に顔を乗せた。
「父さんに対しても敵対心満々で……よく、言われてたわ。お前はブルゴーニュ家の恥だ、って」
「それはすごい言われようだな」
「兄さんはまったく気にしていなかったみたいだけどね」
フローラが小さく笑いながら肩をすくめる。
「子供の頃は今とは全然違ったのよ?いじめっ子からいつも私を庇ってくれた……私だけじゃない、小さい子を守る正義の味方だったわ」
「アベルさんがか?」
「近所では人気者だった……想像できないでしょ?」
首を傾けながら悪戯っぽい笑みを向けてくるフローラ。まったくもってフローラの言うとおりだ。全然想像できない。
「兄が変わってしまったのはマジックアカデミアに入ってからかな?周りが兄の才能を過度に称えたり、妬んだりしたせいで……兄さんは歪んでしまった」
「勇者になるほどの素質だ。やっかみもあっただろうよ」
「その辺はレックスと一緒かな?」
「さぁな」
アベルさんの気持ちはわからないでもない。俺も似たような扱いを受けることがあるからな。近くに化け物レベルのバカがいたから、増長せずにいられただけだ。
「それでも、兄さんは私の事を心配してくれた。学園でひどい事されていないか?寮生活は寂しくないか?クラスに嫌な奴はいないか?……心配性にもほどがあるって言うのよ」
たき火の火がパチパチと音を立ててはじけた。鮮やかな炎がフローラの目に反射してキラキラと輝いている。
「まったく……どこで何をしているかと思えば、勝手に魔族に殺されちゃうんだから……最後まで自分勝手な人……」
フローラがこちらを向きながら精一杯の笑顔を作った。
「本当……どうしようもない兄さんね」
その笑顔があまりにも儚くて。手を伸ばさないと、どこかへ行ってしまいそうで。
俺は思わず、フローラの身体を抱きしめた。
「レ、レックス!?」
フローラが戸惑いを隠せない声をあげる。俺はフローラを抱きしめる腕に力を込めた。
「泣いていいんだ」
「えっ?」
「辛かったら、泣いてもいいんだぞ?」
「っ!?」
フローラの身体がビクッと震える。
「強がらなくてもいいんだ。弱いところを見せたってかまわない」
「…………」
「俺達は仲間だろ?……辛い時くらい、力にならせてくれ」
「…………ひっく」
腕の中でフローラが嗚咽をあげた。そのままゆっくりと手を伸ばすと、俺の服をギュッと握りしめる。
「兄さん……兄さん……うわぁぁぁぁぁぁん!!!!」
ダムが決壊した様に、フローラの感情があふれ出していった。
「なんで……なんでぇ!?兄さんが!!あああぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁ!!!」
一度流れ出した涙は彼女の悲しみが癒えるまで、止まることはないだろう。
俺は何も言わずに、小刻みに震えるフローラの身体を優しく抱きしめ続けた。
泣きつかれて眠ってしまったフローラに上着をかけて、俺は静かにたき火を離れる。
「これでフローラも少しは立ち直れるか」
「……盗み聞きとは趣味が悪いですよ」
俺は木に寄りかかりながら腕を組んでいるエルザ先輩にジト目を向けた。
「目が覚めてしまってな。早めに見張りを交代しようと思っただけだ。許せ」
「……俺は別に気にしてないっすよ」
まぁ、フローラもエルザ先輩なら聞かれても良さそうだけどな。エルザ先輩はゆっくりと腕を解くと、俺に鋭い視線を向けてきた。
「確か……魔王軍指揮官クロはお前の親友だったか?」
「フローラも言ってたでしょう?似ているだけで全然違う奴だったって」
「ふむ……まぁ、出会った時に聞いてみればはっきりすることだ」
どうでもよさそうに吐き捨てると、エルザ先輩はたき火の方へと歩いていく。俺はそんなエルザ先輩の背中に声をかけた。
「怒ってますか?」
エルザ先輩の足がピタリと止まる。振り返ったエルザ先輩の顔には獰猛な笑みが浮かんでいた。
「怒ってる?大激怒だ。私の可愛い後輩があんなにも辛い思いをしているのだぞ?」
「…………」
「相まみえた時が最期だ。私の全力をもってそいつを叩き潰す」
先輩の目は本気だった。エルザ先輩は俺にそれだけ告げると、寝ているフローラの横に座り、涙でぬれた頬を優しく撫でる。一人残された俺は、言いようのない感情に襲われながら、テントの中へと戻っていった。