10.汚物は燃やすに限る
王都マケドニアは六つの地区に分かれている。
メリッサ城を中心とする上流階級が住まう第一地区。商業や工業が盛んにおこなわれている第二、三地区。一般階級の者達が生活する第四地区。メリッサ城に負けず劣らずの堂々たる建物であるマジックアカデミアがある第五地区。そして、貧困層が寄り集まってできた第六地区。
この第六地区、通称スラムはマケドニアの中でも端っこに位置しており、普段であれば他の地区の者が足を運ぶことなどまずない。そんなマケドニアの市民に敬遠されがちなこの場所に、今、多くの街の者が息を潜め、数少ない騎士団の者達が彼らを守るために、魔物達と激闘を繰り広げていた。
*
「とにかく、一匹たりとも魔物をこの場所に入れるなっ!!」
コンスタンが一刀のもとに魔物を切り伏せながら、怒声をあげる。だが、戦場の喧騒が瞬く間にそれをかき消した。
スラムのことを好ましく思っていなかった統括大臣のロバートは、他の地区と切り離そうと、オリバー王に無断でこの地区を取り囲むように三枚の壁を建造させていたのだった。まさに悪政。だが、今回はそれがいい具合に魔物の侵入経路を絞ってくれていた。それを計算した上での、ここに住人を避難させろ、というコンスタンの指示ではあったのだが。
「まさかロバート殿の政策に助けられる日が来るとはな」
若干の皮肉を含んだ自分の独り言に思わず苦笑いを浮かべる。普段はそういうことを口にしないのだが、気づかぬうちにロバートへの鬱憤が溜まっていたようだ。
「……私は騎士。何も考えることなく、ただ命ずるがままに一本の剣となって民を守る……だが、それも昔の話だな」
コンスタンは魔物に剣を突き立てながら大きくため息を吐いた。
勇者アベルとともに行った魔族の街への襲撃任務。結果は失敗に終わり、その一部始終を城へと報告したコンスタンに信じられない伝書が届けられた。
『役立たずは必要ない。勇者アベルを抹殺せよ』
それを受け取ったコンスタンはあまりの内容に、何者かが勇者を陥れるために策を弄したのか、と疑ったほどであったが、最後にロバートの印が押されているのを見てすべてを悟った。
確かにアベルは誠実とは言い難い人物で、私利私欲のままに動いてはいたが、それでも国のために戦ったのだ。そんなアベルに下された処分はあまりにも残酷すぎる。
コンスタンは悩みぬいた結果、騎士として生きてきた中で初めて上の命令に背き、アベルの魔力回路を切るだけにとどめた。本当は何もせずに開放したかったのだが、長年国に仕えてきたためか、与えられた命令を一切合切無視するということは彼にはできなかった。
それが、コンスタンが騎士団を離れる理由。自分の騎士道に反したから。
命令に背いたことではない、言われるがままに無抵抗の者に手を下してしまった事。
そんな自分を許すことができない彼が、騎士を続けることなどできるはずもなかった。
「……とにかく、今は目の前の敵に集中しなければ。私の騎士としての最後の使命、この命尽きようとも守り抜いてみせる」
コンスタンは気を引き締めなおし、襲い来る魔物に向かって剣を振るっていく。暴走しているとはいえ、襲い掛かってきているのはここの強さはそれほどでも無い魔物ばかりであったが、やはり数は力。後ろに隠れている住人達のところに魔物を行かせないようにするには、圧倒的に人員が不足していた。
「父上ッ!!」
そんな中、隊の誰よりも奮戦していたエルザが魔物を蹴散らしながらこちらに向かってくるのが目に入る。
「エルザか。いったい何の用だ?」
「私はまだ納得できていませんッ!!」
話しながらも一切油断することなく魔物を打ち倒すエルザを見て、コンスタンは内心称賛していた。だが、娘に厳しい彼はおくびにもその気配を出さない。
「なぜ父上が騎士団を辞めなければならないのですかッ!?」
「先程、ロバート殿が言っていただろう。守るべきものが守れなかった私に、騎士である資格はない」
「しかしッ!!」
「それとも、お前は私に誇りを捨ててでも騎士でいろと言うのか?」
「ぐっ……それはっ……!!」
エルザは思わず言葉に詰まる。彼女も頭では理解していえるつもりなのだ。だが、長年、自分の理想の騎士像としてその背を追っていたエルザにとって、それは耐え難き事態。心の方が追いついていかない。
コンスタンは悔し気に唇を噛む娘を見ながら、こちらに近づいてくる小太りの騎士の男に目を向けた。
「騎士団長」
「フルトか。どうした?」
「一つ確認しておきたいことが……これは本当に魔族の仕業なのですか?」
フルトが真剣な表情を浮かべながらコンスタンに疑問を投げかける。フルトが抱いているこの疑問は、あのロバートが会議の時に声高に言っていたこと。誰もが心の隅で考えているであろうことを、魔物が犇く中、わざわざこっちに近づいてまで確かめに来たのだ。
コンスタンはお得意の雷属性魔法を全方位に放ち、魔物をけん制しながら、試すような視線をフルトに向ける。
「お前はどう思う?」
「…………僕は」
「ふんっ!!そんなの聞くまでもない!!」
二人の会話を横で聞いていたエルザが不愉快そうに鼻を鳴らした。しかし、その表情を見る限り、フルトの考えはエルザのものとは違うようだ。
「僕は関係ないと思っています」
「なっ……!?」
フルトがはっきりとした口調で告げると、エルザは信じられないものを見たような目でフルトを見やる。コンスタンの方は、それを聞いても表情を一切変えなかった。
「……理由は?」
「必要がないからです」
きっぱりと答えると、フルトは両手斧を豪快に振り回し、周りを囲っていた魔物達を一瞬で吹き飛ばした。そんなフルトに、エルザが怪訝な表情を向ける。
「フルト……貴様の言っていることが全く理解できない。なぜ、必要ないなどと」
「そうだな。私も同意見だ」
「ち、父上ッ!?」
父親のまさかの発言にエルザは目を大きく見開いて二人を見つめた。
そう、必要ないのだ。こんな回りくどいやり方をするメリットがない。なぜなら、魔王と魔王軍指揮官を名乗るあの男がいれば、報復どころかこの国を滅亡させることも可能なはずだ。少なくともコンスタンはそう考えていた。
「ど、どういうことですかっ!?私にも説明を―――」
「おしゃべりはここまでだ。二人ともあれを見よ」
困惑するエルザを無視して、コンスタンは鋭い視線を少し遠くに向ける。その視線の先に目を向けると、今まで倒していた魔物とは明らかにランクの違う魔物達が、大量にこちらに向かってきているのが目に入った。
エルザは真剣な表情を浮かべると、自身に雷を纏わせ、上級身体強化を発動させる。
「ほぉ……いつの間にか上級身体強化まで出来るようになっていたとはな」
「……私も日々、厳しい授業を積んでおりますので」
そう告げるエルザの顔には一切の余裕はない。コンスタンは最上級身体強化を施しながら、さして絶望を感じていない様子のフルトに目を向ける。フルトはコンスタンと目が合うと、苦笑いを浮かべ、小さく肩をすくめた。
「なんて言うんですかね……あの絶望感を味わってしまうと、これくらいなんて、って思ってしまいます」
「そういう所は指揮官殿に感謝しなければいけないな」
「全くです」
軽口を叩いていたのも束の間、すぐに表情を真剣なモノに変えると、迫りくる強敵共をしっかりと見据える。そして、ゆっくりと剣を上に構えると、コンスタンは魔物の群れに向かって駆け出そうとした。
「ビリビリのおじさん、見っけ!!」
突然、目の前に三十人ほど騎士の集団が現れる。その先頭にいる茶色の髪をした、いたいけな少女が笑顔でこちらに手を振っていた。
魔物に向かって突撃しようとしていた三人はたたらを踏み、呆気にとられた様子でそれを見つめる。あまりに唐突な出来事だったが故、状況を飲み込むことができずにいた。
「ア、アルカ殿か……?」
「そうだよッ!!久しぶりだね!!」
コンスタンが、頭が働かないまま声を出すと、アルカは元気よく挨拶する。つい先日、刃を交えたもの同士、見覚えがあるものの、その顔をこんな所で見ることになるとは夢にも思わなかった。
「おじさんの姿が見えたから転移魔法が使えたんだっ!!ほらっ!!みんなを連れてきたよっ!!」
アルカが得意げに後ろにいる者達を手で示す。よく見れば全員自分の隊に所属している者達。その顔は一様に微妙な表情を浮かべていた。
「父上……?」
アルカと初対面であるエルザが全く訳が分からないといった顔を向けてくるが、コンスタンは答えない。いや、答えることができない。自分の頭の中も娘同様、混乱の極みにいるのだ。
しかし、そこは経験の差。コンスタンはすぐに頭を切り替えると、アルカに問いかける。
「なぜこのような場所に貴殿がいるのかお聞きしたい」
その声には得も言われぬ緊張感が漂っていた。それもそのはず、アルカの返答次第では魔物とともに、この規格外の少女も相手をしなくてはならなくなる。
アルカが少し悩んでいると、後ろに控えていた副隊長のフランクが慌てて前に飛び出してきた。
「き、騎士団長!!これは指揮官殿の考えであります!!」
「……指揮官?」
隣でエルザが眉をピクリと動かす。それに気づきつつも、コンスタンは娘を無視してフランクに話しかけた。
「あの男もここに来ているのか?」
「はいっ!!なんでも、今回の騒動が魔族に関係ないことを示すために助力に来た、と」
「なるほど……」
なんとも眉唾物な話ではあるが、現にアルカが自分の目の前にいる。そして、あの男ならそういう理由でここに来たとしても何らおかしいことではない。
「そうだよー!!アルカはパパに言われて、ビリビリのおじさんを助けに来たんだよッ!!」
アルカが純粋無垢な瞳をこちらに向けてくる。おそらくフランクの言っていることは全て事実であろう。しかも、これはあくまで自分の勘であるが、変な企みも一切ないはず。
とにかく、コンスタン隊の連中に加え、アルカという巨大な戦力が加わったのであれば、この窮地を脱するのことも可能だ。今はとにかく、住民の命を優先するに限る。
コンスタンはゆっくりと息を吐き出し、頭の中をクリアにした。そんなコンスタンにエルザが戸惑いながら声をかける。
「父上!指揮官がどうのという話ですが私は全く信用できません!それに。こんな幼い子が助けにとは……」
「今は説明している暇はない」
コンスタンはぴしゃりとエルザの言葉を遮ると、そのまま真剣な表情でアルカに向き直った。
「アルカ殿、ご助力願えるだろうか?」
「ごじょりょく?」
「……手伝ってくれないだろうか?」
「そんなの当然だよッ!!そのために来たんだから!!」
アルカは笑顔でそう言うと、目前まで迫ってきている魔物達の方へと身体を向ける。そして、ゆっくりと両手を前にかざすと、体内の魔力を一気に爆発させた。
「なっ!?」
そのあまりの魔力量にエルザは言葉を失う。アルカの実力を知る他の騎士団たちはすぐさまアルカから距離をとった。
「巻き添えを食らうぞ。しっかり魔法障壁を張っておくんだ」
「ち、父上ッ!?」
コンスタンは娘の肩をひき、自分の前に魔法障壁を張る。それを見計らっていたかのように、アルカが魔法陣を構築し始めた。
常識では考えられないほどの巨大な火属性の魔法陣、しかもまったく同じ形の四種最上級魔法。
「最上級魔法の合成魔法は難しいから重複魔法でッ!!”地面アチチで火がボーボー、4,000℃”!!!」
その瞬間、視界が真っ赤に染まる。
吹き付けるすさまじい熱風を顔面に受けながら、エルザは目の前に広がる光景を茫然と見つめていた。
突如として地面から沸き上がった大樹の幹を思わせる火柱が、屈強な魔物達を問答無用に焼き尽くしている。そこに一かけらの慈悲もない。
中には火耐性をもつ魔物がいるにもかかわらず、その炎は一切の差別なく魔物を燃やし、魔物とともに消えていった。
あんなにも騒がしかったスラムが静寂に包まれる。焦げ付いたような匂いだけが鼻を刺激していた。
誰一人として口を開く者はいない。全員が白昼夢を見ているという思いにとらわれている中、その少女は振り返ると満足そうにニッコリと笑みを浮かべた。