5.感情が制御できないことだってある
セリスの転移魔法により移動した先には厳粛な雰囲気を醸し出す巨大な城が佇んでいた。
「こ、ここは……?」
「ルシフェル様がおられる魔王城です」
呆気にとられるマリア。そんな彼女をセリスは静かに見つめている。
こんなことをするなんて、自分で自分が信じられない。隣に立つ少女は、ほとんど脅威を感じないとはいえ自分達の敵である人間なのだ。そんな彼女を、こともあろうに我らが主であるルシフェルに会わせようとするとは、どう考えても裏切り行為。幹部失格だとそしられようとも文句は言えない。
ならば、なぜセリスはこんな事をしているのか。それは、マリアに自分と同じ匂いをかぎ取ったから。
少しだけしか話をしてはいないが、マリアと自分の性格は別に似通っているわけではない。見た目もまるで違うし、そもそも種族すら異なっている。それでも、セリスはマリアとある種の同族意識を感じていた。その正体に関しては、まったく心当たりがないのだが、そう感じてしまった以上、見て見ぬふりなどセリスにはできない。
「……こういう無茶苦茶なことをするのも、クロ様の影響ですかね」
「えっ?」
「なんでもありません。それでは……」
「あっ、セリス様じゃないですかー!!」
二人が城の中へと入ろうとした時、活発そうな女の子が手を振りながらこちらへ駆け寄ってきた。
「おはようございます、マキさん」
「おはようございます!!……って、えええええええええっ!?!?!?!?」
マキはセリスの横にいる小動物ちっくな少女を見て目を丸くする。それもそのはず、彼女は本来ここにいるはずがない人間の少女なのだ。
「驚いているところ申し訳ありませんが、一つ頼まれていただけませんか?」
「えっ?あっ、はい!なんですか?」
ポカンとマリアを見ていたマキが我を取り戻した様子でセリスに向き直る。
「ここにいるマリアさんがルシフェル様にお会いしたいとのことなので、その旨をルシフェル様に伝えてきていただけませんか?」
「それはいいですけど……その子、人間ですよね?」
「そうですが?」
あっさりセリスが肯定すると、少し悩んだ様子のマキであったが、自分達の指揮官も同じ人間であることを思い出し、ビシッと元気よく敬礼した。
「わかりました!!すぐに行ってきますんで、待っていてくださーい!!」
そう言うと、マキは脱兎のごとく駆け出す。とは言っても、そのスピードは普通の人がジョギングする程度のものであったが。
「……彼女は?」
「お城で働いているマキさんです。とても明るくていい子なんですよ?」
マリアの頭の中は混乱の絶頂であった。魔族というものは、冷酷無比、残虐非道の破壊の化身。自分が人間だと知られてしまえば最期、二度と朝日は拝めないと思った方がいい。そう教えられてきたはずなのに、実際の魔族との乖離が激しすぎてマリアの頭ではもう処理することができない。アルカもそう、セリスもそう、今出会ったマキもそう。話し方も態度も、自分達、人間と遜色ない者達であった。
「…………大分、混乱しているようですね」
「えっ?あっ……その……」
セリスの声に反応して顔を向けたマリアであったが、すぐにその目をそらす。セリスの美しいダークブルーの瞳を見ていると、なんだか自分の心の隅々まで見透かされそうであった。
「マリアさんが聞いていた魔族の印象と違いますか?」
「…………はい。全然違います」
「ふふっ、そうですか。どんな風に聞いていたんですかね?」
「…………」
「冷酷無比で残虐非道、とかですか?」
「えっ!?」
驚くマリアを見て楽し気にセリスは笑う。そんな様も、マリアにとっては反則なくらいに奇麗だった。
「な、なんでわかったんですか!?」
「さぁ、なんでですかね。……心が読めるのかもしれません」
心が読める?俄かに信じがたい話ではあるが、魔族であるならばあり得ない話ではない。すでに先程、魔族に関する自分の認識はズレていたものだと分かったばかりだ。心を読める魔族がいるとしても不思議なことなど何もない。だとすると、非常にまずいことになる。自分の考えていること、それがもしセリスに知られているとなれば……。
「冗談ですよ。前に同じようなことを言っていた人がいたんです」
黙りこくって悩み始めたマリアにセリスが優しく告げる。それを聞いたマリアは心底安堵した様にほっと息を吐いた。
「な、なんだ……びっくりした…………って、同じようなことを言っていた人、ですか?」
「えぇ。……まぁ、言っていたというよりは、そう考えているのがわかった、という方が正しいですかね?」
「えっ!?って、ことはやっぱり心が読めるんじゃないですか!?」
「くすくす……そうかもしれませんね」
なんだかからかわれているような気がして、マリアは少しむくれ顔になる。そんなマリアにセリスは親し気な笑みを向けた。
「お待たせしましたー!!」
そうこうしているうちに先程、ルシフェルのもとまで行ったマキが戻ってきた。
「ルシフェル様は魔王の間でお会いになるそうです!」
「そうですか、わかりました。ありがとうございます」
「いえいえ!……それよりも、ルシフェル様がえらく不機嫌そうだったんですが、指揮官様は何をしでかしたんですか?」
「……遊びに誘ってもらえなかったからだと思います」
指揮官。その言葉にマリアの身体がピクっと反応する。その様子を不審に思ったセリスが、ちらりと目をやった。
「あー、なるほど。ものすごい納得です。だから、あんなに拗ねた感じで指揮官様を呼んでくるように言ってたんですね」
「ルシフェル様があの人を呼んだのですか?」
「はいっ!!『人間が面会に来ているなら、魔王軍指揮官が同席するべきでしょ』って。なのであたしが今から呼びに行くところなんです!!」
明らかにマリアの身体が強張っていく。セリスはその様子に気が付ないふりをしながらマキに苦笑いを向けた。
「恐らく徹夜で飲んでいたので、結構骨が折れると思いますよ?」
「うへぇ……それは最悪ですねぇ……」
マキが肩を落としながら城の奥へと歩いて行く。その後ろ姿を見送っていたセリスが隣で俯いているマリアに話しかけた。
「……魔王軍指揮官に、なにか思い入れでもあるのですか?」
「えっ?あっ、別に……そういうわけじゃ……」
「そうですか。では、魔王の間へとご案内いたします」
セリスは特に追及することもなく、城の中を歩いていく。マリアは少し戸惑いながらも、黙ってその後についていった。
魔王軍指揮官、噂で聞いた人物。セリスやマキが自分の知っている魔族ではなかったが、その者だけは違う。平気で人の命を奪う血も涙もない魔族なのだ。
マリアは緩みかけていた気を引き締めなおす。どんなに自分が思い描いていた魔族像とかけ離れていたとしても、ここは敵地。油断は禁物だ。
しばらく城の中を歩いていくと、目の前に威風堂々たる両開きの扉が現れた。まさに、悪の親玉が控える場所としてはうってつけの雰囲気。
セリスはその扉に手を添えると、マリアの方に向き直る。マリアは静かに目を瞑ると、ゆっくりと息を吐き出した。そして、セリスへと視線を向けると、セリスは小さく頷き、その扉を押し開けた。
「やぁ、こんなところまで僕に会いに来るなんて珍しい…………って、あれ?」
扉の先には豪奢な椅子に腰かける黒一色の服を着た男。あの日と全く変わらぬ姿。
それを見た瞬間、マリアの理性が吹き飛んだ。
「魔王ルシフェルゥゥゥゥゥゥゥ!!!!!」
叫び声とともにマリアの前に巨大な魔法陣が出現する。初級魔法だというのに、そのあまりの大きさにセリスは大きく目を見開いた。
「“小さき火の玉”!!!!!!」
そこから生み出された巨大な火の玉がルシフェル目掛けて飛んでいく。ルシフェルは困った顔をしながら、魔法障壁を張り、その火の玉を防いだ。なおも続けて魔法陣を展開しようとするマリアを、セリスが後ろから抱きとめる。
「っ!?セリスさんっ!!離してっ!!」
「離しませんっ!!あなたが殺されるところなんて見たくありませんのでっ!!」
セリスがマリアを止めたのは、ルシフェルの身を案じてではない。規格外の魔法陣だとしても、所詮は初級魔法、その程度ではルシフェルにかすり傷一つつけることなど叶わない。セリスが案じたのは、ルシフェルに攻撃したことにより、その反撃を受けてマリアの命が絶たれることであった。
セリスは必死にマリアを抑えながらルシフェルに目を向ける。しかし、予想と反して、ルシフェルは難しい顔をしながらこめかみをぐりぐりと押し付けていた。
「魔王ルシフェルっ!!」
自分の身体の自由が効かないと悟ったマリアは、喉が裂けんばかりの絶叫をあげる。
「どうして……どうしてあの人を殺したっ!?あの人はお前の仲間に指一本触れていなかったはずだっ!!殺す理由なんて何もないっ!!なのになんで……なんでクロムウェル君を殺したんだっ!?答えろっ!!」
「…………クロムウェル?」
マリアは目に涙をためながら、必死に自分の思いをぶちまけた。後ろでその身体を掴んでいるセリスが聞き覚えのある名前に眉を顰める。
確か、その名前はベジタブルタウンであの人が使っていた偽名……。
ルシフェルは射殺すように自分を睨みつけているマリアに目を向け、大きくため息を吐いた。
「これは……厄介なことになったね。まさかクロのためにこんな所までやってくるとは……急いでマキを止めないと―――」
キーッ……。
突然、魔王の間の扉が開く。この場にいる全員の視線が向くなか、その男は気怠そうに部屋の中へと入ってきた。
「急に呼び出してなんだよ……誘わなかったのは悪かったって思っ……」
全員の時間が止まる。セリスに拘束されているマリアを見て、口をぽかんと開けるクロ。突如として入ってきた懐かしい姿を見て硬直するマリア。その反応を見て、なんとなく状況を察したセリス。
そして、ルシフェルだけが手で目元を隠し、諦めたように首を振った。