30.拳しか知らない奴は拳でしか伝えられない
どうしてこうなった……とは思わない。いずれこうなるって思ってたし、むしろ遅いと思ったくらいだ。やっぱり脳筋と分かり合うためにはこの手に限る。
俺はゆっくりと自分達が立っている場所を見渡す。
ここはゴアサバンナの街にあるすべてが石造りの闘技場、通称コロッセオ。魔王城にある闘技場よりも数段ボロボロで、それがこの場で行われる戦いの苛烈さを物語っているようだった。
観客席はそれほど多くない。入れて二百人程度か?ありがたいことに今日は満員御礼だけどな。
一番前の席に見知った顔が何人か座っている。ザンザとシェスカは期待を込めたキラキラとした瞳で俺を見ているけど、セリスは何とも言えない表情を浮かべていた。
「…………こうやって対峙するのも二度目だな」
ライガは静かにそう告げると、血みどろのタンクトップを乱暴に脱ぎ捨てる。現れた見事な胸筋はタンクトップ同様、血で染まっていた。俺はおもむろにライガへと手を向ける。
「“癒しの波動”」
俺の魔法陣から生まれた光がライガの傷をみるみる癒していく。ものの十秒とたたないうちに、あれほど痛ましかったライガの傷がきれいさっぱりなくなった。それを黙ってみていたライガが俺に怪訝な顔を向ける。
「……何の真似だ?」
「負けたときの言い訳にされたらたまらねぇからな」
「……けっ」
ライガは不機嫌そうに鼻を鳴らすと、首をコキコキと左右に動かし、その場で軽く跳躍し始めた。ウォーミングアップのつもりだろう。やる気満々といった様子だ。
さて、こりゃもう後には引けないな。引くつもりもないが。
俺はトレードマークである黒いコートを颯爽と投げ放った。漢と漢の喧嘩にこんなものは必要ない。この身一つあれば十分だ。
ファサッ、と音を立てながら黒コートが地面に軟着陸する。その瞬間俺の本当の姿が白日の下にさらされた。
気持ち、あるかな?くらいの上腕二頭筋。あまり日光を浴びていないのがバレバレな白い肌。Tシャツとスウェットという完全な家着スタイル。そして、フローラルツリーで購入したその自慢のTシャツの中央にはでかでかと『I ♡ MAZOKU』の文字が……。
俺は気まずい沈黙が流れる闘技場内をトコトコ歩いていくと、そこに落ちている黒コートを手に取り、何事もなかったかのように羽織った。
「…………つくづく舐め腐った野郎だ」
いや、ちゃうねん。最近はめっきり寒くなって黒コートを脱ぐことなんてないと思っていたから、適当な服を着ていたんだけど、そのことをすっかり忘れていただけやねん。完全に事故や。
そんな風に言い訳をしようとした俺だったが、ライガを見て思わず口をつぐんだ。
信じられないほどの威圧感。そして、目に見えそうなほど身体に充満している闘気。初めて会った時にいちゃもんをつけてきた不良野郎とはまるで違う。おまけに、いつもの俺を馬鹿にしたような雰囲気が一切感じられない。
マジってことか。
「……何でもありのガチンコ勝負だ。得物も魔法も好きに使え」
「……どういうことだよ?」
気を引き締めなおしている俺にライガはきっぱりと言い放った。野郎……何を考えてやがる?素手の殴り合いが大好物だろうに。お前は武器も魔法も使わねぇだろうが。
眉を顰める俺にライガは挑発するような笑みを向けてくる。
「なに……負けたときの言い訳にされたらたまらねぇからよ」
…………こいつ。
俺がスッと目を細めると、ライガの顔つきが変わった。
安い挑発だ。なんのひねりもない子供だまし。流石の俺もそんな挑発には乗らねぇよ。
普通ならな。
だけど、あえて乗ってやんよ。なんでかって?目の前のバカがそれを望んでいるからだよ。
身体に組成するのは四つの魔法陣。究極身体強化か迷ったけど、あれは短期決戦用だからな。ライガの顔を見る限り、そう上手くはいかねぇだろうよ。
俺の四種最上級身体強化を目にした獣人達が騒然としている。驚いていないのは、これでボコボコにしてやったザンザ隊の連中と、闘技大会の時に見たであろうシェスカ。そして、当然だけど俺の秘書。
ライガも一瞬大きく目を見開いたが、すぐに獰猛そうな表情へとシフトした。
「なんだよ、少しは楽しめそうじゃねぇか。……ハァァァァァ!!!」
ライガが全身に力をみなぎらせる。目にしたのは何度目かのアニマルフォーゼ。黄黒の体毛がライガの身体を覆っていき、爪をより長く、牙はより鋭く変容していった。
そして、おまけとばかりに最上級身体強化発動。魔族領でできるやつを見たのは、アルカとフェルに続いて三人目だな。つっても、魔法が主体のアルカとは、質そのものがまるっきり違うけど。
「……行くぜ」
ライガは囁くように言うと、ゆっくりと膝を曲げる。そして、地面に無数のヒビを走らせたと思ったら、その姿が忽然と俺の前から消えた。
次の瞬間、俺の右頬にすさまじい衝撃が襲い掛かる。
ライガの右ストレートをまともに食らった俺はそのまま真横に吹き飛ばされた。一瞬、何が起こったかわからなかったけど、俺は必死に足で地面を削りながらその勢いを殺す。だが、既に目前にはライガの拳が迫ってきていた。
慌てて身体の前で両手をクロスさせ、ライガの攻撃に備える。容赦なく繰り出される拳は確実に俺の体力を奪っていった。
「ちょ…うしに乗るんじゃねぇよ!!!」
拳の雨を浴びながらライガの動きを見ていた俺は、一瞬のスキをついてライガの拳に自分の拳をぶつける。
ドゴォォォォン!!
俺達を中心に巨大なクレーターが広がった。互いの腕から鮮血が迸る。めちゃくちゃ痛いけど、そんなこと感じている余裕はない。
俺はライガの拳を抑えつけたまま、顔めがけて上段蹴りを放つ。
「あめぇんだよっ!!オラァ!!」
しかし、ライガはいとも容易く俺の足をつかむと、そのまま彼方へと投げ飛ばした。
この野郎……戦い慣れすぎだっつーの!
なんとか受け身を取った俺に肉薄するライガ。ふざけんな!休む暇ねぇじゃねぇか!
「根性見せてみろっ!!」
なおも続くライガの猛攻。俺はそれを受け流すだけで精いっぱいだった。
悔しいけど、場数が違いすぎる。俺がこうやって直接拳を振るうのは、レックス鍛錬に付き合うか、フェルのお遊びに巻き込まれたぐらいだ。だけど、こいつは四六時中こうやって魔物相手に戦ってるんだろうよ。
なんとかライガの攻撃を躱し、後ろに回った俺に、容赦ない回し蹴りが飛んでくる。俺もそれに合わせて蹴りを放つが、完全に力負けしてリングを抉りながら滑っていった。
ここまで素の身体能力が違うのかっ!?こっちは四つも魔法陣を使っているんだぞっ!?
ライガは俺が起き上がる前に追撃を仕掛けてくる。振り下ろされた拳は俺ごとリングを粉々にぶち抜いた。
「がはっ!!」
思わず口から血が噴き出す。今のであばらが二本くらいいったぞ、クソ猫がぁ!
「口ほどにもねぇな!!指揮官様よぉ!!!」
ライガの攻撃は止まらない。完全にマウントをとって、ひたすら俺を殴り続ける。一発一発がフェルのそれを超えてるっつーの!その上、スピードもフェルに匹敵するとかシャレになってねぇぞ!?
俺は両腕で身体をかばいながら、全力でライガの腹を蹴り上げた。
「ぐっ……!!効、くかぁぁぁぁ!!!」
それでも、ライガは拳を繰り出し続ける。この野郎!完全にノーガードの腹に一撃加えたっつーのに、気合で何とかしやがった!バケモンかよっ!?
やばい……殴られ続けて腕の感覚がマヒしてきやがった。何とかしないと、まじでこのままボコボコにされる。
出し惜しみなんてしてる場合じゃねぇ!!
俺は四種最上級身体強化を解き、瞬時に五重の魔法陣を自分の身体に組み込む。
「なっ!?」
まさかの究極身体強化に一瞬攻撃の手が緩んだライガの顔面に渾身のストレートを叩き込んだ。
「ぐはっ!!」
盛大に血を噴きながら吹き飛ばされるライガを俺は全力で追っていく。そして、空中にいるライガにボレーシュートをお見舞いした。
そのまま地面に叩きつけられたライガが作り出したクレーターは、さっき俺達が作り出したやつとは比較にならない。地面が陥没したかと思わせるほどの威力で、その余波は観客席にまで影響を及ぼした。
「きゃー!!」
「おい!崩れるぞ!!」
なにやら外野が騒がしいが、そんなことを気にしている場合ではない。この程度でくたばるような奴ならとっくの昔に墓の下だろう。
「く、そが!!究極身体強化とは滾らせてくれるじゃねぇか!!」
自分の上に覆いかぶさっていた瓦礫の山を力ずくで吹き飛ばすと、血が出ている事も構わず、ライガは笑みを浮かべながら一直線に俺の方へと向かってくる。
正直、ライガの力を見誤りすぎた。究極身体強化を使っているとはいえ、その前のダメージがでかすぎて身体が思うように動かん。このまま殴り合いになったら体力バカのあの野郎に勝てる気がしねぇ。
だけど、正面から向かってくる相手から逃げるのは漢じゃねぇよな。
俺は思いっきり地面を蹴ると、真っ向からライガに突進していった。まさか、向かってくるとは思っていなかったライガは少し驚いたようであったが、ますます笑みを深め、俺を迎え撃つ。
「はっ!いいぜ!!かかって来いよっ!!」
「吠え面かかせてやるよっ!!」
二つの拳が激突した。あまりの衝撃に周辺の瓦礫をそこら中に吹き飛ばしながら、互いに相手を殴り続ける。
「おもしれぇ!!クソ野郎のくせに昂らせてくれるぜ!!」
「うるせぇ!!クソ猫に言われたくねぇんだよっ!!」
相手の拳を食らうたびに俺達は血反吐を吐きながら、それでも腕を下げることなはい。その気迫に、俺達の周りには嵐のような突風が吹き荒れていた。
「がっ……!!ぶっ飛ばすっ!!」
「ぶっ……!!く、そがぁぁ!!」
まじでこいつの体力どうなってんだよっ!!普通の人間なら原形が保てないくらいに殴ってるっつーのに、まだくたばんねぇのかよっ!!
くそっ……まじで頭がぼーっとしてきやがった。顔を殴りすぎなんだよ、この馬鹿!これ以上は意識が保てねぇぞ!
でも、負けたくねぇ……負けるわけにはいかねぇ!
永遠とも思える拳の応酬。流石に体力が底をつきかけている俺の攻撃のペースが鈍くなる。それはライガも同じことだった。
「はぁ……はぁ……いい加減、倒れやがれ……!!」
「はぁ……はぁ……それは、こっちのセリフだっつーの……!!」
お互い肩で息をしている。立っているのがやっとの状態。限界なんてとっくに過ぎてる。もはや殴り合っているとは言い難く、自分の拳を相手にぶつけているだけ。
「……人間の分際で……俺様を誰だと思ってる……!!」
ライガが焦点の合わない目で俺を睨みつけてくる。だが、その目はまだ死んでいない。
「……あんまり人間様を……舐めるなよ……!!……それと…………!!」
俺は拳にありったけの力を込めた。これが最後だ。全部ぶつけてやる。
「俺様はゴアサバンナの長っ!!ライガだぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「魔王軍指揮官クロを舐めんじゃねぇぇぇぇ!!!」
ボゴォ!!
渾身の一撃が互いの顔にクリーンヒットする。そして、そのままほとんど同時に地面へと倒れこんだ。
「はぁ……はぁ……くそっ……人間相手に相打ちかよ……」
「はぁ……はぁ……バカ言え……俺の方が0.2秒ほど地面に着くのが遅かった……俺の勝ちだ……」
「はぁ……はぁ……適当……抜かしてんじゃねぇ……」
「はぁ……はぁ……事実だ……馬鹿め……」
俺はこの目でしっかり見ていたんだよ。あいつの背中が地面についてから俺の背中がついた所をな。だからライガ、テメェの負けだ。ざまぁみさらせ。
「あなた達……まだくだらない言い合いをしているんですか?」
いつの間にか近くに来ていたセリスが呆れたように息を吐いた。そして、俺たち二人に回復属性魔法をかけてくれる。
「……サンキュー」
「クロ様ほど得意ではないですが、まぁ動くことくらいなら問題ないでしょう」
俺はゆっくりと息を吐きだしながら、身体を起こした。身体中痛くて、もはやどこが痛いのかわからないけど、とりあえず大丈夫そうだ。
「……ほかの奴らはどうした?」
隣でライガも上半身だけ起こし、闘技場を見渡した。あんなに満員だったというのに、今は観客席に人っ子一人見当たらない。というか、観客席自体が崩れ落ちてなくなっている。
「あなたたち二人の戦いから皆さんを守るために、ザンザさんとシェスカさんが避難させました。……もう少し周りに気を配って戦ってください」
気を配って戦うとか不可能だろ。そう文句を言いたいのは山々だが、俺は絶対に言わない。説教モードに入ったセリスに口答えとか、ライガと戦うよりも辛い。
「…………どうして魔法陣を使わなかった?」
「あ?」
不意にライガが話しかけてきた。俺が目を向けると、ライガは射殺すような視線を俺に向けている。なんだよ、まだやんのか?
「お得意の魔法陣を駆使すればもっと楽に勝てただろうが。なんでそうしなかった?」
「……別に理由なんてねぇよ」
「なに?」
ライガの視線が鋭くなる。あーまじでこいつめんどくせぇよ。どうでもいいだろうが、そんなこと。
「……ただ、そうしたかっただけだよ。漢だったら力で向かってくる相手には力で応えるしかねぇだろうが」
「……それだけか?」
「あぁ。……文句あるか?」
俺が不機嫌そうに言うと、ライガは一瞬呆気にとられた顔をした後、いきなり豪快に笑い始めた。そして、そのまま満足そうな表情を浮かべ、その場で大の字になる。やばい。殴りすぎて頭がおかしくなったかも。
「けっ!!俺はクソ先祖とは違うと思っていたんだがな……結局同じ穴の狢だったわけだ」
「はぁ?どういう意味だよ?」
こいつが何を言っているのかまるで分らん。クソ先祖ってなんだよ。
「知ってるか?お前の前に一人だけ魔王軍指揮官を担った野郎がいるんだよ」
「なに?そうなのか?」
俺が顔を向けると、セリスが眉をひそめながら首を傾げた。セリスも知らないのか。こいつ、口から出まかせ言ってるんじゃねぇだろうな?
「ずっと昔の話だ。今の魔族が知らなくてもしょうがねぇよ。……ただ、それは事実だ。俺の一族で代々言い伝えられてきたからな」
「へー……俺に先輩がねぇ……」
「あぁ。……しかも、お前と同じ人間だ」
「なにっ!?」
驚く俺を見て、くっくっくっ、とライガが笑う。おい、まさかからかってるだけじゃねぇだろうな。
「おまけに俺のご先祖様はそいつのことを大層気に入っていたらしい……本当、虫唾が走ると思っていたんだがな……」
ライガはゆっくりと身体を起こすと、胡坐をかき、俺のことを見上げた。
「どうやら俺もその先祖の血を引いちまっているらしい……甚だ不本意だけどな」
「は?それって……」
「認めてやるよ」
俺の言葉を遮るようにライガがきっぱりと言い放つ。
「クロ……お前が指揮官であることを俺は認めてやる」
…………認めてやるって何様だっつーの。
俺は口角が上がりそうになるのを必死に堪え、努めて平静を装った。ライガに認められたことを喜ばしく思っているなんて、こいつには絶対にばれたくねぇ。
「はんっ!腕っぷしはすげぇのに、感情を隠すのは下手糞だな!!」
バレバレじゃねぇか、くそが。
「うるせぇよ。その俺の先輩っつーのは何者なんだ?」
俺は照れ臭いやら恥ずかしいやらで無理やり話題を変える。そんな俺をライガがニヤニヤ笑いながら見てきた。このクソ虎……丸焼きにしてやろうか?
「俺も詳しくは知らねぇが、めっぽう腕が立つ野郎だったらしい。じゃねぇと俺のご先祖様が気に入るわけねぇしな。確か名前は……」
ライガが難しい顔をしながらこめかみをトントンと叩き、必死に頭を巡らせる。なんか、こいつが考えている姿って似合わねぇ。
「あぁ、思い出した」
ライガがポンっと手を打った。
「ランスロット」
ピクッ。
「ランスロットだ。間違いねぇ」
小骨が取れたようにすっきりした表情のライガ。対する俺は全くの無表情。
「クロ様……?」
俺の異変に気が付いたセリスが声をかけてくるが、俺は答えない。思考の渦にとらわれていた俺の耳には、その声は届いていなかった。
まさかこんなところでその名を聞くことになるとはな。
ランスロット。
歴史の授業を適当に受けていた俺にも聞き覚えのある名前。
はるか昔に魔族に寝返った人間。
そして、勇者アルトリウスを殺した男。
『反逆の騎士・ランスロット』。
人類の敵と言われている男が、まさかの俺の先輩だった。