22.性欲は身体を動かして発散する
セリスが作ってくれた夕食を食べ終えた俺達は、後は寝るだけなのでテントの中に入っていく。
「……ん?」
いつものようにそそくさと寝袋に入った俺だったが、何故かセリスはこちらをチラチラと見ているだけで、寝袋に入ろうとはしなかった。
「どした?」
俺が声をかけると、セリスがビクッと身体を震わせる。えっ、何その反応。
しばらく逡巡していた様子のセリスだったが、意を決したように口を開いた。
「あの……もう少しお側で寝てもいいですか?」
「えっ?」
やばっ。あまりにも予想外な発言過ぎてめちゃくちゃ間の抜けた声が出ちまった。セリスは手をもじもじと動かしながら、耳まで赤くして顔を俯かせた。
「……冬も近くなってきてだいぶ冷えてきたからな。近くで寝た方が暖かくていいだろ」
「そ、そうですよねっ!!クロ様が風邪をひかないためにも、近くで寝させていただきます!!」
若干声が上ずりながら、セリスは嬉しそうに自分の寝袋を移動した。そして、俺の寝袋にぴったりとくっつけると、いそいそとその中に入っていく。
「お、お休みなさい」
「あ、あぁ。お休み」
なんとなくギクシャクした空気を感じながらも、俺は無理やり目を閉じた。
…………………………眠れるわけがねぇ。
寝袋に入っているとはいえ、セリスとの距離は小屋で寝る時よりも遥かに近い。その上、セリスの甘い匂いがダイレクトに俺の鼻腔を刺激してきやがる。おまけにさっきのセリスの言葉。
───むしろ襲って欲しいくらいです
……だめだろ、そんなん言ったら。男だったら誰でも耐えられるわけがない。
でも、ここで本能のままに行動するわけにはいかない。なんといってもここはテントの中だ。しかも野外。
こういうのは初めてだし、やっぱりちゃんとした場所だったり、雰囲気だったりを大切にしたい。……ヘタレで悪かったな。
「セリス、起きてる?」
俺は邪念を振り払うかのように、声をかける。
「……はい、起きています」
いつもの堅苦しい口調とは違った、少し甘えるような声色。俺の男としての本能が疼きだす。このままではやばい。
「こ、ここまで来る間の道中、かなり不機嫌そうだったけど、なんかあったのか?」
とりあえず、当たり障りない会話を振る。最悪シェスカの話題になり、険悪な感じになろうとも、俺の煩悩が抑えられるなら構わない。さぁ、どんと来いっ!!
「……ザンザ隊の方々が周りにいるせいで、クロ様の近くにいれないのが寂しかっただけです」
…………おっふ。
「そ、そうなのか!俺はてっきりシェスカの件を引きずっているのかと思ったぜ!!」
こうなったら破れかぶれだ!!自ら地雷に突っ込んでいくスタイル。
「シェスカさんの時は、自分でも驚くほどヤキモチを焼いてしまいました。……クロ様の近くに他の女性がいるだけで、胸が締め付けられるような感覚に陥るんです」
セリスが頬を少しだけ膨らませて、上目遣いを向けてくる。
「それは、こんなにも好きにさせたクロ様のせいですよ……?」
……話せば話すほど歯止めが効かなくなりそうだ。本格的にやばすぎる。
「この先、シェスカさんみたいな人が現れるかもしれない、と思うと不安で仕方ありません」
「セリス……」
俺がセリスの目を見つめると、セリスは強い意志を孕んだ目で俺を見てきた。
「それでも、あなたを想う気持ちは誰にも負けませんから」
それは───反則だ。
俺は徐に自分の寝袋から抜け出すと、そのままセリスの上に覆いかぶさる。セリスは驚くこともなく、ただひたすら俺の目を見つめていた。
「…………」
俺はゆっくりと立ち上がると、セリスに背を向け、テントの出口に向かう。
「クロ様……?」
「……便所だ」
不安そうな声で尋ねてくるセリスに、俺はぶっきらぼうな口調で答えると、外へと飛び出した。
はぁ……俺は本当にヘタレでチキンで最低な野郎だ。ここまで来ると自分で自分に腹が立つ。セリスはしっかりと覚悟を決めていたっつーのに、俺は途中で目を背け逃げ出した。我ながら情けなさすぎて反吐がでる。
自分自身に尋常ならざる怒りを感じながらあてもなく歩いていた俺だったが、ふと、その場で足を止める。
「……何の用だ?」
俺が視界もきかない夜の闇に向かって話しかけると、ゾロゾロとザンザ隊の奴らが出てきた。その目を見る限り、敵意以外の何物も感じない。
「……セリス様を悪の手から救い出す」
先頭に立つザンザが押し殺したような声で言った。救い出す、ね……そうきたか。
「なるほどな。可憐な姫さまを誑かした悪い奴を寄ってたかってボコボコにしてやろうってことか?」
俺を取り囲んでいるザンザ隊の奴らをつまらなさそうに一瞥する。もう少しましな奴らだと思っていたが。
「てめぇなんて俺一人で十分だ。こいつらは見学よ」
ザンザが親指で後ろを指しながら不敵な笑みを浮かべた。
「セリス様だけじゃない、シェスカの姐さんも惑わしたてめぇがぶち殺される所を見たいんだとさ」
その言葉に呼応するように周りの奴らがニヤニヤと下卑た笑いをこちらに向けてくる。自分達のアイドルを取った野郎のみじめな姿が見たいってことか。いい趣味してやがるぜ。
「セリス様をかけて俺と闘えっ!!魔王軍指揮官、クロ!!」
セリスをかけて……?こいつ、セリスをモノ扱いしてんじゃねぇだろうな?
「……俺が負けたらどうすんだ?お前があいつの恋人にでもなるのか?」
「……あの人はみんなの憧れの的。誰かのモノになっていいわけがない!!てめぇが負けたらセリス様を解放しろっ!!」
憧れの的かぁ……アイドルって言っても偶像の類だったわけね。それで、信者がいつまでもセリスの事を崇め奉るってか?そんなのセリスが望むわけねぇだろ。
俺はゆっくりと周りを見渡し、小さく息を吐いた。
「……俺がお前らの態度に目を瞑っていたのは、偏にセリスへの対応が良かったからだ」
まぁ、こいつらの隊には熱狂的なセリスファンが結構いるみたいだから当たり前っちゃ当たり前なんだがな。筆頭を含め。
「だが、俺からセリスを奪うっていうなら話は変わってくる」
賭けの対象がセリスだぁ?舐めてんのも大概にしろよ。
「おまけに、今の俺はすこぶる機嫌が悪い」
それに関しては十割自分のせいなんだけどな。八つ当たりって事でよろしく。
俺の身体に魔力が巡ったのを感じたザンザが戦闘態勢に入る。
「闘技大会の時と同じとは思うなよ」
は?闘技大会?俺とシェスカが戦った時のことを言ってんの?同じも何もそん時のお前を知らないっつーの。
「……なんかよくわからねぇけど、セリスに関しては手加減できない。勘弁しろよ」
俺はゆっくりと自分の身体に魔法陣を組み込みながら、ザンザ隊の面々を睨みつける。
「面倒くせぇから俺の事が気に入らねぇ奴はかかってこいっ!!全員まとめて相手してやるよっ!!」
その言葉を合図に、俺は猛る猛獣の群れへと飛び込んでいった。
*
「はぁ……」
テントの隅に縮こまって三角座りをしながら、セリスは大きくため息を吐く。クロがテントを出て行ってからなんとなく落ち着かず、こうして寝袋から出てクロの帰りを持っていた。
「本当にヘタレなんですから……」
かじかむ手をこすり合わせながら、吐息を吹きかける。最近は専ら朝晩の冷え込みが厳しく、まして山の上に張られたテントの中じゃ、その寒さは最早冬のそれだった。
「それとも……私に魅力がないんですかね……」
クロに跨られたときはあんなにも高揚していた気持ちが、今は空気が抜けた風船のようにしぼんでいる。
同じベッドで一緒に寝るようになってからそこそこの期間が経つのだが、クロは一向に手を出しては来なかった。大事にされている、と言えば聞こえはいいが、本音のところは自分に惹かれていないだけなのかもしれない。そう思うと、セリスの心は不安で押しつぶされそうになる。普段、何を考えているかはすぐにわかるというのに、そういう重要なことはわからない、それがセリスには歯がゆかった。
「それにしても遅いですね……」
テント越しにでも空が白み始めたのがわかる。もしかして、クロの身に何かあったのだろうか?……いや、そんな事は天変地異でも起こらない限り、クロなら対処できるはず。でも、トイレに行ったことにしては時間がかかりすぎている。
「探しに行った方がいいですよね」
そう判断し、立ち上がろうとした瞬間、テントの入り口が開いた。
「あれ?待っていてくれたのか?先に寝ててくれて構わなかったのに」
やっとテントに帰ってきたクロは、まだ起きているセリスを見て目を丸くしている。だが、それ以上にセリスは驚いていた。
「ど、ど、ど、どうしたのですか!?傷だらけじゃないですか!?」
セリスは思わずクロへとかけより、その身体を診る。身体には夥しい量の切り傷が刻まれており、そこから血もドクドクと流れていた。
「えっと……ちょっとはしゃぎすぎちゃってな」
しかし、当の本人は悪戯が見つかった子供の様にポリポリと頬を掻きながら、特に気にしていない様子。命に別条がないことを知り、ほっと息を吐いたセリスであったが、同時に懐かしい感覚に襲われた。
これはクロがミートタウンから泥だらけになって帰ってきた時と似ている。
「…………何があったんですか?」
咄嗟に目を逸らすクロだったが、セリスの有無を言わさぬ雰囲気を前に、観念したように口を開いた。
「あー……外を見てもらえばわかると思う」
「外を?」
クロが何とも言えない表情を浮かべながら、出口へと促してくる。セリスは猛烈に感じ始めた嫌な予感に気づかない振りをしつつ、思い切ってテントの出口を開けた。
そこに広がる、ある意味予想通りともいえる光景。
「……またやってしまったんですね」
「ははは……」
セリスのジト目に乾いた笑いでクロが答える。セリスは、クロよりも更にボロボロの姿になって自分達の目の前で奇麗な土下座をしているザンザ隊の連中を見て、痛む頭にそっと手を添えたのであった。