10.寒いときはたくさん身体を動かしましょう
特になにかの前触れがあった訳じゃないが、パチリと目が覚めた。窓の外に目を向けると、空はまだ紫色、太陽も顔を出していないような夜明け前。
俺は静かに身体を起こしながら横にいるセリスに目をやる。セリスは規則正しい寝息をたてながらぐっすりと眠っていた。
……やっぱり綺麗だな。
化粧なんて全く必要のないくらい透き通った白さに、吸い付くようなすべすべの肌。波打つ髪には当然枝毛なんて一本もない。あまり触ったことはねぇが、恐らく絹のように滑らかなんだろう。見れば見るほど、こんな美人が自分の恋人であることが信じられないって感じだわ。
なんかずっと見つめてると顔が火照ってくる。とりあえずセリスから視線を外し、二度寝を決め込もうとするが、どういうわけか頭が完全に覚醒してしまっていた。
こりゃ、寝れそうにねぇな。
俺はため息を吐きながら、セリスを起こさないよう音を立てずにベッドから抜け出すと、忍び足で部屋から出て行った。
中庭へと出た俺は予想外の寒さに身体を震わせた。朝方はこんなに冷え込むのか。まぁ、もうそろそろ冬になる頃だし、この寒さも納得か。
フェルから貰った黒コートをいつも着ているから気温の変化に鈍くなってんな。あれは環境適応の効果付きの服だから、極端な気温変化以外は快適に過ごせんだよ。まじでありがてぇ。
つーか、黒コートを着てくれば良かった。寝巻きじゃまじで風邪引くな、これ。
取りに戻るか少し迷った俺だったが、セリスを起こすのに抵抗があったため、黒コートを泣く泣く諦める。だが、それだと耐えられないくらいの寒さだから、身体を動かすことにした。
さて、何をすっかな。魔法陣の練習はダメだな。うるさすぎてセリスとアルカが目を覚ましちまうかもしれないからな。あっ、フェルはどうでもいいです。
そうなると……。俺は手を前に出すと、頭で念じながらゆっくりと拳を握りしめる。その手の中に、柄も刀身も黒い一本の剣が現れた。
「偶には剣の練習もしておくべきだよな」
こんなに朝早くに呼び出されて不機嫌そうなアロンダイトをしっかりと握りしめると、俺は試しに素振りをしてみる。
相変わらず俺の魔力を吸い取ってやがんな、こいつ。仕組みはわからねぇが、こいつに与える魔力を上げれば上げるほど、切れ味も威力も爆発的に上がっていくんだよ。アベルのバカが使っていた同じ魔剣のバルムンクを破壊するほどだからな。本当によくわからん剣だわ。
しばらく無心でアロンダイトを振っていた俺はあることに気がついた。
なんか前よりも振りやすくなっている気がする。いや、こいつの事はそんなに使ったことがあるわけじゃねぇけど、なんとなくそんな感じがするわ。
前はもっと……こう……なんつーか抵抗されているって感覚があったんだよな。
この剣に意思がある事は間違いないから、少しは俺の事を認めてくれたってことか?それはあれだな、うん。悪い気はしない。
俺は自分の身体に五重の魔法陣を組み込み、究極身体強化を発動させると、極限のスピードをもって、アロンダイトで空を斬っていく。俺が本気で振ろうとも、アロンダイトは余裕の表情で俺の動きについてきた。……剣に顔なんかねぇから、そんな気がするだけだが。多分安物の剣だと、この速度で振れば、間違いなく根元からポッキリだ。
それにしても、剣の鍛錬なんて久しぶりだよ。村にいるときはレックスに付き合わされて良くやったわ。
あいつはいつも手加減なしだったからな。俺は身体強化を使って無理やりレックスを打ち負かしてたのを覚えてる。
魔法陣の次にしっかりと鍛えたかな?レックスは剣の天才だったから、あまりに技術に差が出ると魔法陣で補えなくなっちまうんだよ。あの頃はレックスに負けない、ってことに必死だったから、がむしゃらになって剣を振っていた。まぁ、どんなに頑張っても、剣技だけであいつに勝つのは不可能だったけどな。
「…………やはり、その剣はアロンダイトですか」
夢中になって剣を振っていたところを突然声をかけられた俺は、驚きながらその手を止め、声のした方に顔を向ける。そこにはネグリジェの上にガウンを羽織ったセリスが立っていた。
「起こしちまったか?」
「えぇ。近くでこれほどの魔力を感じれば目も覚めます」
「そりゃ……悪いことしたな」
身体強化を解き、頭をかきながら近づく俺を見ながら、セリスは笑みを浮かべる。
「いえ、クロ様の鍛錬の姿は見てみたかったので気になさらないでください」
「見たかったって……他のやつと変わらんだろ?」
「そうですね……少なくとも私は究極身体強化で鍛錬する人など、見たことありません。そもそも究極身体強化なんていう空想上の産物を扱えることに驚きが隠せないです。……まぁ、その規格外っぷりに慣れてきた自分はいますが」
セリスが呆れたように肩をすくめた。そりゃ、そうか。俺だって鍛錬っつーか、究極身体強化自体、使っているやつを見たことねぇわ。でも、それ以外は普通だろうよ。
「それに……アロンダイトを鍛錬に使う人も、見たことがありません」
セリスが俺の手に握られている剣を見つめる。そういや幹部だからアロンダイトの事は知っているんだよな。
「アルカがドラゴンに襲われた時と、勇者アベルとの戦いの時に目にしましたが、やはり本物のようですね」
「あぁ。今更隠してもしょうがねぇな。俺が魔王軍に入った時にフェルから貰ったんだ」
「そうですか……」
セリスは少しの間難しい顔をして考え込むと、すぐに表情を崩し、柔和に笑いかけてきた。
「やはりクロ様はルシフェル様にとても信頼されているんですね」
「ん?そうなのか?」
確かに化け物みたいな剣をもらったが、これは厄介者を押し付けただけだろ?別に信頼されてるわけじゃない気がするが。
そんな俺の考えを否定するように、セリスは微笑みながら首を左右に振った。
「そのアロンダイトは、ルシフェル様が最も大切に思っていた者の形見なんですよ?」
「…………はっ?」
なにそれ?初耳なんだけど。
驚いている俺を見て、セリスがクスクスと笑う。
「やはり知りませんでしたか。我らが魔王様は意外とシャイでおられますからね」
えっ?じゃあ、あいつはそんなに大事なもんをお菓子をあげるみたいな気安さで俺に渡したって事?
……そういう大事な事はちゃんと言えっての!!
「……その大切な奴ってのは誰の事だ?」
話さなかったフェルと、気にもしなかった自分の両方に腹を立てながらセリスに問いかける。
「私もその人については詳しく聞かされておりません。ただ、ルシフェル様がアロンダイトを所持している時に嬉しそうな顔で話していたんです。『これは僕の一番信頼していた男の形見なんだ』って」
……はぁ。
本当にあいつは。重要なことを何一つ言わねぇんだから。次会ったらしっかり文句言わなきゃいけねぇな。
俺はアロンダイトを見つめながら、そんな事を考えていた。