8.本音と本心は同じなようで微妙に違う
ふぅ。とりあえず人間を傷つけることなく追い払うことができたぞ。流石に手にかけるってのは抵抗あるからな。
俺は魔族の子供を抱えながら屋根から飛び下りると、誰もいなくなった村へと着地した。なんか微妙な表情を浮かべながらセリスが近づいて来ているけど、とりあえず無視。今はこの子をどうするかだな。
「“包み込む癒しの光”」
俺は腕の中でぐったりとしている魔族の子供に回復属性の中級魔法をかけてやる。思った通り、結構手ひどくやられてたみたいだけど、人間より丈夫だから中級魔法で全然事足りたな。
腕の中でもぞもぞと動き出したので、俺はとりあえず地面に降ろした。魔族の子はこちらに目を向けると、虚ろな瞳で頭を下げてくる。
「……助けてくれてありがとう」
かなりボロボロの格好をしているが、どうやら女の子らしい。茶色い髪は泥だらけで、少し傷んでいるようだった。うーん……人間で言ったら十歳くらいかな?魔族の歳のとり方ってわかんね。
「大丈夫か?」
俺が声をかけると少女は力なく頷いた。村のみんなが殺されて自分も殺されかけたんだ、大丈夫なわけないだろうに。小さいのに意地はりやがって。
さてどうすっかなぁ……助けるも助けないも俺の自由って言われたし……。だから面倒くさいんだよ。魔王様ならはっきり命令を下せっていうんだ。
つーかこいつ、全く生気が感じられない。生きることを完全に諦めたって目をしてやがんな。
…………気に入らねぇ。
俺はキョロキョロと周囲を見回し、人間が落としていったであろう鉄の剣を拾い上げた。そして迷わずその切っ先を魔族の少女に向ける。
「ちょ、ちょっと!!」
「お前は黙っていろ」
俺は真剣な表情でセリスを睨みつける。俺だってこんなことしたくねぇんだよ。でも、確認しなきゃならねぇんだ。
少女は特に驚いた様子もなく、自分に向けられた剣を他人事のように見つめていた。
「名前は?」
「…………アルカ」
俺の問いかけに小さな声で答える少女。俺は極力感情を表に出さないような声色でアルカに話しかける。
「知っての通りアルカの村は人間の手によって滅ぼされた。……つまりお前は家族も居場所もすべて失ったということだ」
「…………うん」
俺が現実を突きつけてもアルカは静かに頷くだけ。何か言おうとしたセリスを俺は目だけで黙らせる。
「ならアルカに選択させてやろう。今この場で俺に殺されるか、それとも泥水をすすってでも生き残るのか」
「…………」
「死ねば楽になれる。嫌な記憶もなにもかも忘れてることができるんだ。そしてアルカの人生はそこでおしまい。だが生きることを選べば……それは過酷な道となる。頼れる人もいない、守ってくれる人もいない、自分一人で生きていかなければならないことになる。……アルカにその覚悟はあるのか?」
そうだ。両親を失うってことはそういうことなんだ。無条件で愛情を注いでくれる人を失った今、アルカは絶望の淵に立たされているだろ。……かつての俺と同じように。
だから、俺はアルカに選択させる。俺のエゴで生かしたところで、必ずほころびが生まれちまう。生きるとしても、死ぬとしても、自分の頭で考えて答えを出さなきゃ、結局生き残ったとしても死んでるのと同じことだ。
俺はアルカの目を見つめる。アルカも俺の目を見つめる。永遠とも思える沈黙を破るようにアルカはそっと口を開いた。
「……アルカは死にたい」
それはか細いけどしっかりとした口調だった。
「このまま独りで生きていくなんて、アルカには耐えられない。それならいっそ……この場で死にたい」
それは嘘偽りのないアルカの言葉なんだろう。俺はアルカの目をしっかりと見つめたまま、静かに頷いた。
「ま、待ってください!その子はまだ子供で───」
「この子が決めた道に、お前が口出す権利があるのか?」
俺が鋭い視線を向けると、セリスは何かに耐え忍ぶような表情を浮かべ、俺から目をそらした。俺はもう一度アルカに向き直り、持っていた剣をアルカの首元に近づける。
「安心しろ。苦しまないようにしてやるからな」
俺が優しく言うと、アルカは微かに笑いながら頷き、目を瞑った。なんだ、笑えるじゃねぇか。てっきり感情なんて、とうになくなったのかと思ってたぜ。
俺はアルカの首に剣を押し当てる。今、アルカは自分の命を奪い取る冷たさを首筋で感じているんだろう。だからだろうか?それまで微動だにしなかったアルカの身体が小刻みに震えだした。
……バカ野郎が。
「なんで震えてんだ?」
「えっ……?」
俺の言葉に驚いたアルカが大きな目をぱっちりと開き、自分の身体を見つめた。小さかった震えの波は、もう自分の力ではどうしようもないくらいに巨大なものとなって、アルカの身体を襲っている。
「どう……して……?」
自分でもなぜこんなにも震えているのかわかっていない様子。自分の手を見ながら困惑しているアルカに、俺は内心ため息を吐いた。
死にたいってのは本当の事だろうよ。でもそれは本心じゃない。本心はこの苦しみから解放されたいってことだ。だけどそのやり方がわからないから、手っ取り早い方法で死を選んだだけの話なんだよ。
分かっちまうんだよ、俺もそうだったから。
「死ぬことを選んだのはアルカだろ?」
俺が静かに告げると、アルカは困惑しながらも首を縦に振った。
「そう……アルカが選んだ……」
「なのになんで震えるんだ?」
アルカは俺の問いに答えられない。もう自分の本心に気がついてるくせに、まだ意地を張り続けるか。中々に頑固者だな、アルカは。
「死ねば楽になれるって言っただろ?それは本当のことだぞ?死ねばすべてを終わらせることができる。いやすべてが終わってしまうって言った方が正しいかな?」
「っ!?」
それまで死んだ魚のような目をしていたアルカの目が、初めて左右に泳いだ。俺はその瞬間を見逃さない。
「よかったなぁ、苦しいんだろ?全部全部終わらせて、早く解放されようぜ?これから起こる辛いことや苦しいこと、楽しいことや嬉しいことも全部捨てちまって、楽になりたいんだろ?アルカが選んだんだ、全部終わりにしよう」
「…………」
「剣で斬られるのは痛いだろうなぁ……だが、安心しな。俺にいたぶる趣味はねぇからな。あー、でも魔族の身体っていうのは存外丈夫だから、苦しむことになっちまっても勘弁な」
「…………」
「これでも誰かを殺すっていうのは、結構苦痛なんだぜ?そいつの持っている無限の可能性を摘み取っちまうんだからな。でもまっ、頼まれちまったなら断れねぇしよ。心優しい俺に感謝しな」
「……だ…………ない……」
アルカが顔を俯かせながらぼそりぼそりと何かを呟いた。その言葉は俺の耳には届いたが、あえて聞こえないふりをする。
「あーん?なんだ?」
俺は剣を首筋に押し当てたままアルカに聞き返す。俯いたアルカの顔から雫が地面に落ちているような気がするが、俺はそんなの気がつかないし、見てもいない。
「……だ……たくない……」
「ぼそぼそ言ってちゃわかんねぇな!死にてぇんだろ?今殺してやるよ!」
「……いやだ……死にたくない……!」
「まだだっ!!全然聞こえねぇぞ!!」
「嫌だっ!!死にたくないっ!!!」
張り上げた俺の声にも負けないほどの大声でアルカは喚き散らした。勢い良く上げた顔からは涙も鼻水も大量に流しながら、それでもしっかりと俺の顔を見据える。
「アルカは死にたくない!!生きたい!!もっと生きていたいっ!!!」
押さえられない感情が、その小さい身体からあふれ出す。
「こんなところで終わるなんて嫌だっ!!でも、誰にも守ってもらわずに一人で生きていくなんてできないっ!でも死ぬのは嫌だっ!!アルカは……アルカは……!!……もうどうしたらいいかわかんない……!!」
これこそが魂の叫び。やーっと本音が出たか、この強情っぱりめ。
「だったら」
俺が身体を動かすとアルカはビクッと身体を震わし、目を固く閉じた。俺は苦笑いを浮かべながら、持ってた剣を後ろに投げ捨て、アルカの身体を力強く抱き寄せる。
「俺がアルカの事を守ってやるよ」
「…………えっ?」
ゆっくりとアルカが目を開く。その瞳に浮かぶのは困惑の色。
「怖かったよな、辛かったよな。……もう大丈夫だ、なんて無責任なことは言わねぇよ」
「……っ!?」
アルカの瞳が激しく揺れる。俺はアルカを抱きしめる腕に更に力をこめた。
「ひどいこと言って悪かったな。嫌われちまったかな?」
「アルカは……アルカは…………!!」
アルカが必死に何かを伝えようとするが言葉が出てこない。俺は抱きしめながらアルカの頭を優しく撫でた。
「こんな得体の知れないやつに助けられても困っちまうよな。だけど、俺は親を失った子供のことは放っておけない性質なんだ。悪いな」
俺はゆっくりとアルカと向き直る。その目に浮かぶ不安を消し去るように優しく笑いかけた。
「アルカの未来は俺がちゃんと見届けてやるから心配すんな」
「っ!?……うわぁぁぁぁあああぁぁぁああぁぁああぁん!!!!」
堰を切ったように泣き声を上げる。その小さな手を懸命に俺の身体に回し、必死にしがみつきながら俺のコートを濡らしていった。俺は愛でるようにアルカの背中をさすってやる。アルカは嗚咽を漏らしながら、いつまでもいつまでも俺の腕の中で泣き続けた。