7.子供は愛でるもの
俺達が転移してきたのは森の中。生き物たちが活動し始める朝だというのに、森の中は異様なほど静かだった。
「とりあえず村から五百メートルほど離れたところに転移しました」
なるほどな。そうなると村は……こっちか。俺が迷いない足取りで歩き出すと、セリスが驚きながら声をかけてくる。
「村の場所を知っているのですか?」
「いや知らん。こんな森来たことないからな。ただ……」
俺は村があるだろう方向に顔を向けた。
「こっちから大量の血の匂いがする」
「えっ……?」
俺は呆けているセリスを置いてズンズン森の中を進んでいく。
少しだけ歩いたところで、フェルが言っていたメフィストの村と思しき場所にたどり着いた。その村を見た途端、黙って後ろをついてきていたセリスが静かに息を呑む。
予想通りというべきか、村には惨状が広がっていた。木で作られた家々には火が放たれており、そこら中に魔族の死体が転がっている。人間の死体が一切転がっていないところを見ると、本当にメフィストって種族は穏健派なんだな。自分達が襲われても交戦しないとは。
何も言わないセリスにチラリと目を向けると、口元に手を当て、目に涙をためていた。おいおい、フェルが壊滅寸前だって言ってたんだから心づもりはしとけよな。仮にも魔族の幹部だろ。
……まぁ、あまり気持ちのいいもんじゃねぇけどな。
なるべく気配を殺しながら朽ち果てた村を散策していると、なにやら人間の話声が聞こえてきた。俺は無言でセリスに手で指示を出し、崩れた家の影に身をひそめ様子を窺う。
とりあえず姿が確認できたの二十人ほどの人間。何かを取り囲むように集まり、視線を下に向けていた。
「おい、どうするよこいつ」
「決まってんだろ。魔族は皆殺しだ」
なんかモブキャラAとBが半笑いで何かを足蹴にしているな。会話の内容的に足元にいるのは魔族か?
「そこで何をしている?」
人間達の集団に大きな鉞を担いだ男がのっしのっしと近づいてきた。うーん、雰囲気的にあいつがリーダーっぽいな。偉そうに歩いているし。
そいつが来ると、何かを囲っていた人間達が左右に割れる。そのおかげでやっと囲っていたものを見ることができた。
それは魔族の子供であった。
地面にうずくまり、小刻みに震えている。多分家族も仲間も何もかも目の前にいる人間達に殺されたんだろうな。そんな人間達に囲まれているなんて恐怖以外感じてねぇだろ。
鉞を担いだ男は少しの間転がっている魔族の子供を見つめると、そのまま容赦なく蹴り飛ばした。嗚咽と共に吹き飛ばされた魔族の子供は壁に叩きつけられ、そのまま崩れ落ちる様にして地面に倒れる。そんな魔族の子供をゴミのように見る人間達。リーダー格の男はお世辞にも上品とは言えない笑みを浮かべた。
「おい、ガキ。お前ら魔族は生きているだけで迷惑なんだ。人間様のためにとっとと死んでくれや」
……はぁ。頼むから人間の品位を落とさないでくれ。隣にある爆弾が今にも爆発しそうなんだが。
俺は再度人間達に目を向ける。愉快そうに笑いながら倒れた魔族の子供を蹴るやつらを見て、俺は心の底からため息を吐いた。
*
許せない。
セリスの頭の中にはその言葉以外に思い浮かばない。確かに魔族は人間の敵だ。それはわかる。自分達も人間を殺すのだから、魔族が人間に殺されても……文句は言えない。
だが、魔族といえど相手はまだ子供なのだ。それにもかかわらず、あそこまで嬲るような真似ができるあいつらの方が、よっぽど魔族に近いのではないだろうか。
大勢に袋叩きにされた挙句、頭を掴まれて投げ飛ばされた魔族の子供を見た瞬間、セリスは我慢の限界をむかえた。
魔力を全開に滾らし、感情のまま憎き人間どもの前に飛び出そうとする。が、その腕をクロが掴んで止めた。
「……放してください」
凍り付くような声でセリスが告げる。しかし、クロがその手を放す素振りは一切ない。
「あなたも人間ですもんね。あちら側の味方をするのは当然のことですね」
「…………」
「ならばあなたを殺して、私はあの子を助けます」
セリスが冷たい視線と共にあらんかぎりの殺気をクロにぶつけた。それでも、クロに一切怯んだ様子はなく、無表情のまま何も言わずにセリスの顔を見つめている。その態度が、さらにセリスの神経を逆なでした。
「さっさと放さないと本気で───」
「俺は魔王軍の指揮官だ。勝手な行動は許さない」
クロが静かに告げる。ルシフェルがそれを認めている以上、セリスもこう言われてしまえば身動きが取れない。
セリスは怒りに顔を歪めながら、強引にクロの手を振りほどく。クロは素直にその手を放したが、それでセリスの怒りが鎮まるわけもない。
ルシフェル様が連れてきたこの男も、所詮は人間ということですね。
セリスが憎々し気に見つめるも、クロは一切気にする様子はない。これ以上この男に関わっていてもは時間の無駄だと判断したセリスが魔族の子供に視線を戻すと、まさにリーダー格の男が持つ鉞によって命が奪われようとしていた。
「あっ……!!」
セリスの足が勝手に動く。だが、振り上げられた鉞を止めるには距離がありすぎた。セリスにできることは目を固く閉じ、現実を受け入れないようにすることだけ。
ザシュッ。
乾いた風切り音がセリスに現実を突きつける。救うことができたはずの小さな命が今目の前で失われた。セリスは怒りに身を震わせながら、ゆっくりと目を開く。
だが、そこにはセリスが想像していたような光景は一切広がっていなかった。
慌てふためく人間達。鉞を持つ男もきょろきょろと辺りを見回し、何かを探している。その足元には先ほどまで転がっていた魔族の子供の姿はない。
「やれやれ。勘弁してほしいっつぅんだよ」
セリスを含め全員が声のする方へ目を向ける。そこには崩れかけた屋根の上に魔族の子供を抱え、見慣れぬ紺色の仮面を被ったクロの姿があった。
「てめぇ……何者だ!?魔族の仲間か!?」
鉞の男が声を荒げる。目元が仮面で隠れているため、クロの表情を読むことはできない。
「そんなことはどっちでもいいんだよ。お前ら、この子に何をしようとした?」
「何をしようとした、だぁ?今殺してやるところだったんだよ!!」
「そうだそうだ!!さっさとそのゴミをこちらに投げ渡せ!!」
「高いところからかっこつけてんじゃねぇぞ!!」
鉞の男に勇気づけられたのか、周りの人間が騒ぎ立てる。クロはそんな人間達を静かに見下ろしていた。
「殺す、か……まだ子供だぞ?」
「関係ねぇ!!魔族なんて害悪はこの世から葬り去ってやるんだよ!!」
鉞の男が魔法陣を組成し、クロに向かって魔法を放つ。が、いつの間にかそこにはクロの姿はなく、無情にも魔法は上空へと飛んでいった。
狐につままれたような顔をしている人間達をあざ笑うかのように、今度は後ろの屋根に現れたクロが声をかける。
「まぁ、確かにそうだよな」
「い、いつの間に……!?」
人間達が慌てて振り返り、奇妙なものを見るような目をクロに向ける。だが、クロは意に介さず、淡々と話を続けた。
「魔族だって人間を散々殺してきてるんだ、自業自得ってもんだ」
「な、なんだよ、話が分かるじゃねぇか。ならさっさとそいつを───」
「ところで、この村の魔族はお前たちに反撃してきたのか?」
クロの指摘に何人かの人間がピクリと反応する。人間達の中で死んだ者はおろか、傷を負った物すら一人もいない。それだけでクロの問いかけの答えには十分であった。
「なるほど……反撃もしないやつらを一方的に蹂躙した、と」
「だ、だったら何だってんだ!?俺達は近くに魔族の村があるってだけで夜も眠れないんだよ!!今回はたまたま襲い掛かってこなかっただけで、次にそうなるとは言えねぇだろうが!!」
「まぁ、そうだよな……。確かに魔族が側にいるというだけで、人間にとっちゃはた迷惑な話だ。こんな時代だ、何されるかわかったもんじゃねぇし」
人間達が訝しげな表情をクロに向ける。まったくもってこの男の目的が読めない。魔族の子供を助け出したかと思えば、こっち側に賛同するような意思を見せる。魔族の味方なのか人間の味方なのか推し量ることができずにいた。
「お前が言いたいことがさっぱりわからねぇ……正しい選択だと思うなら、そのガキをこっちによこせってんだよ!!」
鉞の男が恫喝するような声を上げる。すると仮面の下にあるクロの口角が少しだけ上がった。
「なに……簡単な話だよ。たとえ無抵抗だとしても、リスクを回避するために魔族の村を襲ったってのは人間として当然のことだ。別に責めちゃいねぇよ」
「そうだよ!わかってんじゃねぇか!ならさっさとそのガキを───」
「だが、何の力もない魔族のガキを笑いながらいたぶって、挙句の果てには殺そうとして、なにも感じねぇってんなら……」
クロが仮面の奥の目を細め、身体中から魔力を解き放つ。
「お前ら人間じゃねぇよ」
クロの放った魔力は離れたところにいたセリスにまで感じ取ることができた。その余りの凄まじさに、セリスは思わずごくりとつばを飲み込む。これほど強大な魔力を感じるのは、セリスが知る中ではルシフェル以外にはありえなかった。
そんな魔族の幹部でもあるセリスが恐れを抱くほどの魔力を、正面から受けた人間達はどうなるか。そんなことは火を見るより明らかだった。
持っていた獲物を地面に落とし、氷の中にいるように身体をブルブルと震わせている。中には失禁している者までいる始末。リーダー格である鉞の男ですら、鉞を抱き込むように抱え、恐怖におびえた目でクロを見ていた。
「この村にはお前らを脅かす魔族はもういない。それが分かったんならさっさと消えろ」
その言葉と同時にクロは魔力を解く。やっと身体の自由がきいた人間達は、蜘蛛の子を散らすように四方八方に逃げていった。
「一体何者なんですか……」
いまだに目を見開いたままクロを見つめるセリスの呟きは、逃げ惑う人間達の叫び声によってかき消された。