表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

117/324

6.戦いに備えて


 これは何もかもを捨てた私が勇者と対峙するまでの物語───。




 クロ様とアルカに別れを告げたあと、チャーミルに戻ってきた私は、すぐさま自分の部屋に籠もりました。二人を傷つけるようなことを言った罪悪感と、二人を失ったという喪失感に苛まれ、今日一日は立ち直れそうもありません。


 しばらく枕に顔をうずめていた私はゆっくりと顔を上げると窓の方に目を向けました。魔族領でこんなに雨が降る事は珍しいですね。この雨音が、小屋でのことを私に思い出させ、更に絶望の淵へと追いやります。


 コンコン。


 不意に私の部屋の扉を叩く音が聞こえました。私は慌てて、涙でぐしょ濡れになった枕を布団の中に隠します。……まぁ、真っ赤になった目を見られれば、すぐにバレてしまうと思いますが。


「セリス……入るぞ?」


 遠慮がちに声をかけられ、開けられた扉からはお爺様が入ってきました。私は背筋を伸ばし、精一杯凛とした態勢でお爺様に向き直ります。

 お爺様は私の顔を見て、ずっと私が泣いていたことを察したようでしたが、特に何も言ってはきませんでした。とてもありがたいことです。


「……明日の朝、勇者対策の作戦会議を開く。それには出られそうか?」


「愚問です。そのために私はここにいるのですから」


 私はきっぱりと答えます。未練は……まだ少しだけありますが、もう迷いはありません。私がこの戦いにクロ様を巻き込まないと決めたのですから。

 そんな私を見て、お爺様はやるせない表情でため息を吐きました。


「セリス。今ならまだ間に合うかもしれん。お前は指揮官様のところに」


「お爺様」


 お爺様の言葉を遮ります。その先の言葉は聞きたくありません。聞いてしまったら、惑ってしまうかもしれないので。


「これは自分で決めた、私の戦いです。もう今更、後に引くことはできません」


「そうか……すまない。余計な事を言ったようじゃな」


「いえ」


「では、明朝9時にこの屋敷の応接室で作戦会議を行う」


「わかりました」


 お爺様はそれ以上何も言わず、部屋から出て行きました。私は肩の力を抜き、ベッドに腰を下ろします。


 今日は色々と疲れました。勇者の件で頭から飛んでしまいましたが、闘技大会もあったのですね。

 本来なら見ているだけなので疲れる事はないんですが、誰かさん達が子供のようにはしゃぐから、こっちがその尻拭いをさせられました。


 その事を思い出し、針で刺されたようにズキリと傷む胸。


 私はベッドに倒れこむと、布団の中から枕を取り出します。……もう、十二分に濡れてしまったのです、もう少しだけ濡らしても誰も怒りませんよね?



 翌朝、私は身支度を整えると、応接室に向かいました。部屋に入ると、待っていたのはお爺様と、更にお年を召した方が二人。一人はエリゴールの、もう一人はインキュバスの長老と呼ばれている方達です。悪魔族のメフィストは戦いに嫌気がさし、この街から出て行っってしまったので、ここにはおりません。

 お二人とも経験豊富なので、何か大きな事があれば、真っ先に相談している方達でした。私の事も本当の孫のように可愛がってくれます。


「お待たせいたしました。早速会議を始めましょう」


 私は素早く中央のソファに腰を下ろします。事前の説明はお爺様がしてくださったようで、すんなり本題に入る事が出来ました。


「問題は襲ってくる勇者の力量と軍隊の規模じゃな」


 インキュバスの長老様が、床につくほど長い髭を触りながら言いました。それにお爺様が同意をするように頷きます。


「軍隊の規模はわかりませんが、私とク……私が勇者の街に潜入した時、勇者が行動を起こすなら、王都の騎士団長の軍も一緒に、という旨の話は聞きました」


「"雷神"が動くのか……これは厄介な事になりそうだ」


 私の話を聞いたエリゴールの長老様が顔を歪めました。この方はかなりのお年のはずなのに、引き締まった肉体をしております。流石はエリゴールといったところでしょうか。


 それにしても、"雷神"ですか……。こんな事ならもっとあの人から話を聞いておくべきでしたね。後の祭りではありますが。


「おそらく人間達はフレノール樹海を越えて、チャーミルの街にやってくると思われます」


 フレノール樹海。人間の街とこの街を遮断するかのように生い茂っている大森林。

 人間達がディシールの街としてここにくる場合は舗装された道を通ってくるのですが、今回は攻め入るのが目的です。間違いなくこの樹海に身を隠しながら近づいてくる事でしょう。


「早急に偵察部隊を送り、敵の規模を確認しましょう」


「そうじゃな……セリスの言う通りじゃ」


「じゃが、誰を送る?偵察の最中、その場で戦う事も想定されるが……正直な話、平和ボケした今の時代、戦える者などインキュバス、サキュバスの中では数えるほどしかおりゃせんぞ?」


「それはエリゴールについても同じ事が言えるな。おそらく50……いや、20人ほどか」


「そう……ですか」


 自分の領地の戦力不足に、若干絶望を隠しきれません。ですが、無い物ねだりをしても仕方がありません。ある戦力で私達は戦い抜かねばならないのです。


「……あまり大勢で行っても偵察になりません。インキュバス、サキュバスの中から2名。そしてエリゴールから5名選出してください。とにかく隠密行動に長けた者を、そして、万が一見つかったとしても逃げ切れる技量を持つ者を」


「うむぅ……」


「2名のぉ……」


 二人の長老様が唸り声を上げます。長年生きている彼らは勇者の恐ろしさを知っているのでしょう。そんな死地を任せられるような人選をすぐに決めろというのは無理な話です。ですが、時間がない事も事実。


 その時、会議室の扉が勢いよく開かれました。私達が同時にそちらに目を向けると、鬼気迫る顔をした私の幼馴染の姿が目に飛び込んできます。


「その任、僕に行かせていただけないでしょうか?」


「キール……お前……」


 インキュバスの長老様が目を丸くしてキールを見つめます。ですが、キールの目は私に向けられたまま、微動だにしませんでした。私は静かに立ち上がり、キールの目の前に立ちます。


「……どれほど危険な任務か分かっていますか?あなたのような研究者では、死んだとしてもおかしくありませんよ?」


 私はあえて突き放すような言い方をしました。この程度で動揺するようではどっちみち行かせるわけにはいきません。

 ですが、キールは眉ひとつ動かさずに私の目を見据えてきます。


「覚悟の上です」


 キールの意思は固そうでした。以前のキールからは想像も出来ないほどの力強い言葉。あの人と関わって変わったのでしょうか。本当に……色んな人に影響を与えますね、あなたは。


「……わかりました。キールに行っていただきます。よろしいですね?」


 私が振り返り、インキュバスの長老様に目を向けると、長老様は驚きながらも首を縦に振りました。


「何があったかは知らんが、今のキールなら大丈夫じゃろう。まったく、こんなに驚いたのは久しぶりじゃわい」


 インキュバスの長老様は髭をいじりながら苦笑いを浮かべます。そうですね。理由がわかる私ですら、キールの変わりっぷりには少し驚いていますから。


「それと、私からエリゴールの方を一人推薦したいと思います。アトムさんはいかがでしょうか?」


「なんと!!セリス様はあのはねっかえりをご存知か!?」


 今度はエリゴールの長老様が驚きの目で私を見ます。なんだかお二人とも驚いてばっかりですね。


「私は彼の事をあまり存じませんが、私の……大切な人が信頼している人です。だから、私も信じるに足る人だと思っています」


 私の口ぶりにお爺様はピクリと眉を動かしました。ですが、私は気がつかないふりを貫きます。


「ふむ……確かに。経験こそ乏しいが、あの度胸は評価できる。彼奴を偵察部隊の一人に組み込もう」


「賛同していただき、ありがとうございます。後の人選は実際に偵察に行くキールとアトムさんに決めていただくというのはどうですか?」


「……そうじゃな。ここで顔をつき合わせていても結論は出そうにない。それなら実際に現場に行く者が決めた方が成功率は上がるじゃろう」


 私の言葉を支持するようにお爺様が言うと、二人の長老様も頷いてくれました。それを見た私は立ち上がり、キールの側に歩いていきます。


「そういうわけで、キール。まずはアトムさんと合流して事情を説明してください。そして、一時間後、集めた人達と街の入り口に来てください」


「わかりました」


 キールはすぐに部屋を出て行こうとしましたが、なぜか途中で立ち止まりました。そして、こちらに少しだけ顔を向け、私にだけ聞こえる声で話しかけてきます。


「……あいつは知らないんだな。知っていたら大人しくしているわけがないから」


 それだけ言うと、今度こそキールは部屋から出ていきました。私は今どんな顔をしているでしょうか。多分、人様にはお見せできない顔をしていると思います。


 気を取り直すように頭を振ると、私は長老様達の方に向き直ります。


「偵察にはおそらく時間がかかります。私は早急に避難計画をまとめますので、偵察部隊が戻ってくるまで皆さんは突発的な戦闘に備え、準備をしておいてください」


 これは私が最初から決めていた事。チャーミルの街が戦場になるのは目に見えています。その時、戦えない者が街にいることはデメリットにしかなり得ません。


「特に反対意見もないようなので、私は部屋に戻って避難計画を練ります」


「承知した……それにしてもセリスちゃんは随分立派になったのぉ」


「あぁ。これは世代交代の時期が来ているのかもしれんな」


 インキュバスの長老様がしみじみとした口調で言うと、エリゴールの長老様も笑顔を浮かべました。

 ですが、お爺様だけは、心配そうに私を見つめています。


 大丈夫ですよ、お爺様。私は全力を尽くすつもりですから。


 会議室を後にした私が部屋で住民達の避難経路を考えていると、あっという間に約束の時間が来ました。私は羽根ペンを置くと、街の入り口に転移します。


 街の入り口には7人の悪魔族の男の人がいました。私はその先頭に立つキールとアトムさんに声をかけます。


「偵察部隊は集められたみたいですね」


「やや、これはセリス様!我を推薦していただき、感謝いたしますぞ」


 アトムさんが嬉しそうに笑いながら頭を下げて来ます。初めて会った時にも思いましたが、この人は本当に根っからの武人ですね。


「セリス様のご期待に添えるよう、誠心誠意応えていく所存です」


「頼もしい限りですね」


 わたしが笑顔を向けると、アトムさんはガッツポーズで返してくれました。そして、自らが集めたエリゴール達のところに行きます。

 見た限り、皆さん若そうですね。エリゴールの長老さんが言った通り、世代交代の波が来ているのでしょうか?


「セリス……」


 キールが静かに声をかけて来ます。私は真剣な表情でキールの方に顔を向けました。


「キール。今回の偵察はあなたの判断のもとに行ってください。どこまで調べて、どこで引き返してくるのか、あなたに全てを委ねます。ただ、無理だけはしないでください」


「……うん、わかったよ」


 キールが何か言いたげな表情をしています。ですが、なんとなく話をさせたくありませんでした。


 だから、私はキールから視線を外し、集まってくれた偵察部隊の人達を見渡します。そして、武運を祈るように頭を下げました。


「偵察部隊の皆様。チャーミルの街のため、ご助力をお願いいたします」


 私の言葉に呼応するように、偵察部隊の人達は咆哮を上げます。その力強い声は私に力を与えるようでした。


「頼みましたよ、キール」


 私はそう告げるとキールの言葉を待たずに、屋敷へと戻って行きます。


 今は彼の口からあの人の事は聞きたくありませんでした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
書籍化に伴い、特設ページを作っていただきました!下記のリンクから足を運んでみてください!
03818ab313254921afcd423c39a5ac92.jpg
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ