第十九章 面倒な女
持っていた『虚無のヌンチャク』を圧縮して黒い玉に戻したアオは、それを上着のポケットに仕舞いながら、ショウビたちの方へ歩いて来る。
「どうしたんだい、ショウビ? ずいぶん恐い顔をしているね?」
ショウビは無意識に片方の手でヒイラギの身体を抱き寄せながら、もう片方の手でクロの手をつなぐ。
その手がかすかに震えていたので、クロは驚いてショウビを見る。
そんなショウビの様子を見てアオは立ち止まる。
「……なぜ、そんなに私をにらむのかな?」
そう言うアオに、かすれた声でショウビが尋ねる。
「…………あの魔物に、どうやって勝ったのか教えろ」
「あの魔物って『死神忍者』の事かい? ……いや私も必死だったから、どうやって勝ったのかよく覚えていな……」
「ウソつけ! おい、クロ! お前は倒れた状態で、アオが戦うところも見ていたんだろ? こいつはどんな方法を使って、あの魔物に勝ったんだ?」
「それが……ボクにも分からないんですよ…………」
クロは困った顔で言葉を続ける。
「お姉さまが『死神忍者』に頭を砕かれた瞬間に、どういう訳かボクも意識を失ってしまって…………。だからボクも、さっきヒイラギに身体を再生してもらうまでの間に、何があったのかぜんぜん分からないんです……」
するとアオが笑いながら肩をすくめる。
「おいおい、ショウビ。君と私は仲間なんだぞ。何をそんなに警戒しているんだ?」
だが、そう言うアオの目は全く笑っていない。
それでショウビは必死に考える。
今ヒイラギの身体は自分がつかんでいる。
しかも自分にはクロがいるが、アオは一人だ。
さらにアオは、両手武器である『虚無のヌンチャク』をさっきまで振り回していたので、その身体の中にヒイラギの力はもうほとんど残っていないだろう。
だから、とショウビは思う。
今ならアオを殺せるはずだ。
しかし、それでもショウビは動けない。
アオが『死神忍者』と呼ぶ魔物は、ショウビでは絶対に勝てなかったからだ。
あの魔物にどうやって勝ったのか、その方法が分からないままアオと戦うのは、どう考えても無謀すぎる。
そうやってショウビがアオをにらんで動けないでいると、クロが何かに気が付いて森の中を指さす。
「誰かが、こっちに来ます!」
その方向に目をやったアオが、一本の懐中電灯らしい光が動いているのを見て、首をかしげる。
「おや。本当だね。……でもこんな深夜に道もない森の中を一人で歩くなんて、何が目的だろう? 明かりを点けているって事は、狩りがしたい訳じゃなさそうだし…………」
ずっとアオをにらんでいたショウビも、それを聞いてそっちに目をやる。
どうやらその者は何かを探しているらしく、懐中電灯の光が忙しく周囲を照らしている。
もしもそれがヒイラギを探している男なら、こちらに見付からないように暗視ゴーグルを使うだろうから、全く関係ない者だとは思うが、ひょっとしたら何かの罠かもしれない。
それで、しばらくそれを見ていたショウビがつぶやく。
「……面倒だな。もう少し近寄ったら『悲しみの糸』で殺してしまおう」
するとアオもそれに同意する。
「気が合うな、ショウビ。私もそう思ったところだよ」
そんな二人をクロが止める。
「ちょっと待ってください、お姉さま! 無関係かもしれない者を、確認もせずに殺しちゃダメです! あとアオも、何を言っているんですか! あなたはこの世界の全ての人々を救うんでしょう?」
アオは悪びれもせず、それを肯定する。
「もちろん、そうだ。…………だが私の計画に邪魔な者は、全て排除する」
「まだ邪魔かどうか、分からないじゃないですか! それを確認するまで待ってください!」
「……いいかい、クロ。今こうしている間にも、世界中で多くの人々が苦しんでいる。こんな事で時間を使って私の計画が遅れれば、その分、多くの人々の苦しみが長引くんだよ」
そう言うアオを、クロは辛抱強く説得する。
「魔物が近寄れない結界のある場所を見付けるまで、あなたの計画は進められませんよね? そして明日の昼になって再び魔物が出現するまでは、その場所を見つける事もできないでしょう? だったら今は、急ぐ必要もないじゃないですか?」
「まぁ、確かにそうだが…………。面倒くさいな……」
「もお! 何でそんな事を言うんですか! あの者の目的が確認できるまで待つくらい、我慢してください! ……お姉さまも、それまで待ってくれますよね?」
「…………少しくらいなら待ってやる。だがあの者がちょっとでも怪しいと思ったら、すぐに殺すからな」
そうやって三人はヒイラギを連れて木の陰に隠れるが、月明かりの下でその者の顔が分かる距離になると、クロとアオが同時に驚く。
「ユキ!」
「おやおや……。あの男と会うのは七年ぶりだよ…………」
クロが走って行くと、それに気が付いてユキも驚く。
「クロ! 無事だったか!」
飛び付いて来たクロを、ユキはしっかりと抱きしめる。
「すまない…………。あの時、俺一人で逃げてしまって…………」
クロは言葉もなくユキにしがみ付く。
「…………………………………………」
母親のスミレが魔物との戦いで死に、ヒスイが男たちに殺され、ユキと離れ離れになってから五日間、クロは何としてでもヒイラギを守らなければいけないという思いだけで、今までどうにか耐えてきたのだ。
その気持ちを察して、ユキもクロを抱く手に力をこめる。
そして、しばらくクロを無言で抱きしめていたユキは、そこへ歩いて来たアオに気が付いて、きょとんとする。
「アオ? …………何であんたが、ここにいるんだ?」
「……自分の子供を助けに来たんだよ」
「え? 自分の子供って? ……………………あ! そうか! ヒイラギって名前、どこかで聞いた気がしてたけど、彼女は七年前に生まれてすぐに死んだって言われていた、あんたの子供か!」
アオは微笑む。
「そうだよ。…………しかしユキ。ここに私たちがいる事がよく分かったな?」
「ああ……。森の中で魔物らしいものが撮影された映像が、三日前にネットに上がったのを見付けたんだ。それが撮影された場所は、ヒイラギの事を悪魔だと思い込んだ男たちの町から、ちょうど二十キロ離れていて……」
ユキはクロを抱いたまま、話を続ける。
「……それで俺は四日前にもその町が魔物に襲われたという話を聞いていたから、クロは魔物が出現する半日ごとに十キロずつ移動して、結界のある場所を見付けようとしているんじゃないかと思って、そのルートを予想したんだ」
それを聞いてアオは感心する。
「なるほど。四日前に私たちは、黒い玉を回収しに男たちの町に行って、そこでも魔物に襲われたからね……。だが君はすでにヒイラギの力を使い果たしているんだろ? 生身の身体でヒイラギを追うなんて、魔物との戦いに巻き込まれるのが恐くなかったのかい?」
そう言われてユキは肩をすくめる。
「いや、それは恐かったよ……。でも俺の頭じゃ安全にヒイラギに近付く方法なんて思い付かなかったし、クロが一人でヒイラギを守っているのなら、早く合流しないといけないから、危険については何も考えないようにしたんだ……」
「ほう…………」
もしも、さっきの『死神忍者』との戦いで、ショウビが『暗黒爆弾』を使っていたなら、その爆発に巻き込まれて、ユキは誰にも気が付かれないまま死んでいたはずだ。
その無謀な行動に、アオはあきれると同時に、心の中で喜ぶ。
このくらいバカな人間の方が、自分の計画を手伝わせるのに、ちょうどいいからだ。
そこへ、ヒイラギを連れたショウビが歩いて来る。
「この男がユキか……。クロ、私に紹介しろ」
けれどユキはショウビを完全に無視して、クロを抱いたまましゃがんで、ヒイラギの片方の手を握る。
「ヒイラギ! お前も無事か! 良かった! ………………あ……あれ? ヒイラギ?」
するとユキにしがみ付いていたクロが、彼から手を離して立ち上がり、ヒイラギのもう片方の手を握りながら説明する。
「ヒイラギは、もう何もしゃべりません……。心が壊れてしまったんです…………。男たちに数えきれないほど殺されて……。こうなったのはボクのせいです…………。あの時、ボクがちゃんと行動していれば…………」
ところがその次の瞬間、ユキの首が切断されて、その切断面から大量の血がふき出す。
スパッ! ブシャアアアアアアアアアアアアアアアア!
「うわああああああああああああああああ!」
叫ぶクロの前で倒れたユキの身体が腐ってボロッと崩れ、頭がコロコロと転がり、その横にいたショウビが、すました顔で手に持っていた『悲しみの糸』を圧縮して黒い玉に戻す。
「お、お、お姉さまああああああああああああああああ! な、な、何をするんですかああああああああああああああああ!」
ショウビは、ぷいっと横を向く。
「ふん! 二人して私を無視するからだ」
「だ、だ、だからって…………首を切断する事は、ないでしょおおおおおおおおおおおおおおおお!」
クロがそう抗議している間に、ショウビはヒイラギの身体に手をまわして、自分の方に引き寄せる。
「おっと。もうしばらくはヒイラギに触らせてなんかやらないぞ。そいつはさっきヒイラギの手を握ったんだから、その時に吸収した力で身体を再生できるだろ」
「えー! それだと時間がかかるじゃないですか!」
「その間にゆっくり反省しろ」
「ええええええええええええええええ!」
そのやり取りを冷ややかな目で見ながら、アオは思う。
やっぱりショウビがいると面倒だから、できるだけ早く始末した方がいいか……。
だが私が始末したとバレると、クロを従わせるのが難しくなる……。
こんな事なら、あの『死神忍者』を倒した時に、こっそりショウビも始末しておけば良かったな…………。