第十三章 本当の地獄
ヒイラギとクロを連れ去ったトラックを見失ったユキが、ヒッチハイクと徒歩をくり返しながら何とか村に戻った時には、もう次の日の午後になっていた。
村は昨日の昼間に通った『ハガネ毛虫』の大群せいで、木や家や車などの地上にあった物は全て破壊されていたが、コンンテナ式の地下シェルターに隠れていた村人たちは、どうにか全員が助かったようで、ユキの姿を見てみんな集まって来る。
だが最初はユキの無事を喜んでくれた村人たちも、世話役だった女たちの全員が死んだ事や、ヒイラギを悪魔だと思い込んだ男たちによって彼女とクロが連れ去られてしまった事を聞かされると、みんな泣き出したので、ユキは必死にそれをなだめる。
「みんな落ち着いてくれ! 確かにヒイラギとクロは、今もまだとても危険な状態だと思うが、俺を乗せてくれた車で流れていたラジオのニュースから考えると、たぶん二人は男たちのところから逃げる事には成功したみたいなんだ」
そのニュースでは、昨日の深夜に、ある田舎町で何らかの大規模な災害が起きて町の全体が破壊され、その時に発生した火災は今日の昼になってもまだ消火中だと言っていた。
しかし地震のないこの地域で、町の全体を破壊するような災害は台風か竜巻くらいしかないのに、昨日の夜はそのどちらも発生しておらず、原因がさっぱり分からないという話だった。
それでユキはそれが災害などではなく、ヒイラギを狙った魔物たちの仕業だったのではないかと考えたのだ。
もしも本当にそれが魔物たちの仕業ならば、その町が破壊された後もこの世界がこうして存続しているのは、ヒイラギが魔物たちからちゃんと逃げられた事を意味している。
そして普通の七才の身体能力しかないヒイラギが魔物たちから逃げられたのならば、それは力を吸収したクロが助けたとしか考えられない。
ならば二人とも、まだ生きて魔物たちや男たちから逃げ続けているのだ。
ユキはそう説明して、村人たちみんなに、今は世話役だった女たちが死んだ事を悲しむよりも、クロとヒイラギを助けるのが先だと訴える。
「このままクロ一人でヒイラギを守りきるのは、さすがに厳しいだろう。だからどうにかして、俺が二人を見付けて助けようと思う。ただ、今の俺はバイクも金も全部なくしてしまって二人を助けに行く手段がない。みんな何とかして、車と銃と金を用意できないか?」
それを聞いて、自分の子供であるスミレが死に、孫であるクロが男たちに連れ去られて、うなだれていたクロのおばあちゃんが、車のキーと、地下シェルターに置いてあったらしい折りたたみ式の自転車を持って来る。
「こんな時のために備えて、村を出て南にある牧場に予備のトラックを預けてあるわ。この自転車でそこまで行きなさい。場所は分かるわね?」
「ああ、そこなら知っている。あとヒイラギとクロに合流してしまったら、まわりにいつ魔物が出現するか分からなくなるから、もう俺もこの村に戻る事ができなくなる。落ち着いたら手紙で状況を知らせるよ」
そう答えながらユキは、砂をこすり付けて血の汚れをごまかしていたボロボロのシャツを脱いで、村で付き合っている女から渡された新しいシャツを着る。
その女は一才の女の子を抱いて、その足もとには三才~九才の六人の女の子がしがみ付いている。
その七人は全てユキの子供だが、みんな不安そうな顔をしていたので、ユキはできるだけ明るく笑いかける。
ユキはその女の家にたまにしか帰らず、子供の面倒もほとんど見ない父親のクズだったが、その子供たちの未来のためにも、この世界を存続させなければいけないと本気で思っている。
以前ヒスイに、ヒイラギを守るためにいっしょに来てくれるかと聞かれた時には、何も答えられなかったユキだが、さすがに十才のクロ一人にこの世界の運命を任せる訳にはいかない。
受け取った車のキーをズボンのポケットに入れて自転車にまたがったユキは、他の女たちから渡されたナイフを腰のベルトに通し、弾丸と水と食料の入ったリュックと、ライフルとショットガンを背負う。
すると最後に、その村の村長である七十才を過ぎた女が、いくつもの札束をユキの背負っているリュックの中に入れる。
「このお金の事は何も聞かないで」
そう言われて、ユキは口から出そうになった質問をのみ込む。
この村には何の産業もないはずなのに、食料や服や電化製品やガソリンを買い出しに行く時の老人たちが、誰もお金に困っている様子を見せないのは、何か秘密があるのだろうとは以前から思っていた。
たぶん老人であっても、ヒイラギの力を吸収すれば魔物の武器を使えるから、地下に穴を掘って銀行の金庫を破るくらい簡単にできるのだろう。
けれどそれについては、それ以上は考えないでおく。
そしてユキは、村人みんなに見送られて村を出ながら、もっと重要な事を考える。
ヒイラギを悪魔だと思い込んでいる男たちは、今もまだ彼女を殺そうと追いかけているはずだから、昨日そいつらに彼女といっしょのところを見られているユキは、見付かれば問答無用で撃たれてしまう。
さらにヒイラギの周りにはいつ魔物たちが出現するか分からず、それに接触してしまえば、力を使い果たしているユキは、何もできないまま一瞬で殺されるのは確実だ。
この状況で、どうすればヒイラギとクロを助ける事ができるのだろうか?
ユキがそうやって考え込みながら自転車を走らせている頃、ヒイラギを連れたショウビは、森の中で見付けた家に侵入して、自分たちに合う服を盗んでシャワーを浴びていた。
魔物の『陸クラゲ』たちと戦った後で、男にショットガンで頭をふっ飛ばされて、服が血まみれになっていたからだ。
ショウビはシャワールームの中で、同じように男に撃たれて、ボロボロのバスタオルを巻いただけになっていたヒイラギの身体も、ちゃんと洗ってあげる。
見張り役だったクロは、誰か来たら迷わずに殺せとショウビに命令されていたが、幸い二人が身体を洗い終えるまで誰も来なかったので、ほっとする。
クロは、ヒイラギや自分を殺そうとする者には容赦するつもりはなかったが、無関係な者まで無差別に殺そうとは思っていなかったからだ。
そしてヒイラギに服を着せてから、その家の食料を盗もうと冷蔵庫の中を見たクロが、女の人は牛乳を飲めば胸が大きくなるって本当でしょうかと聞いたら、そんな訳あるかと言ったショウビが、そこの牛乳を全て飲んで、外に出たとたんにゲーゲー吐きだしたので、本気であきれる。
どうやらショウビは、胸の事になると正常な判断ができなくなるようだ。
それからクロは、ヒイラギを抱いたショウビといっしょに、男たちの町の近くに移動して、森の茂みの中から二人でそこを監視する。
すでに夕方を過ぎあたりはどんどん暗くなるが、クロもショウビも吸収した力を視力にまわしているので、暗視ゴーグルで見るように、はっきりと町の様子が見える。
すると、そこにいる人々の動きを見ながらショウビがささやく。
「どうやら消火活動もやっと終わったみたいだな……。このまますぐに黒い玉を回収するぞ」
ショウビとクロが、男たちに見付かる危険を冒しながらも、これまでその町の周辺から離れずにいたのは、そこに残してきた魔物の武器である黒い玉を回収するためだった。
クロもちゃんと数えた訳ではないが、黒い玉は十人いたヒイラギの世話役がそれぞれ片手武器と両手武器の一つずつを持ち、さらにそれ以外に『暗黒爆弾』のような普段は使えないものも余分に持っていたので、全部で三十個くらいはあったはずなのだ。
だがクロはその町から逃げる時に、そのうちのたった七つしか回収できなかったので、まだ二十個くらいがそこ残っている。
だから消火活動が終わってそれらの玉が回収しやすくなるのを、二人ともずっと待っていた訳だ。
しかしクロは、今すぐに黒い玉を回収しに行こうとするショウビを止める。
「待ってください、お姉さま。深夜になるまで待ちましょう。今はまだ多くの者が町に残っています」
「そんな連中、皆殺しにすればいいだろ」
「お姉さま……。今あそこにいる者たちは、ボクたちを殺そうと狙っている者たちではありません。消火や救助や調査のために、この町の外から来ている者たちです」
クロはできるだけ無関係な者は殺さずに済ませたいのでそう言うが、ショウビにとってはそんな者の命などどうでもいい。
「深夜まで待っていたら再び魔物たちが出現するだろ。そしたらそれを見て、この町に住んでいた男たちも集まって来るぞ」
ショウビは冷たい目をクロに向け、さらに続ける。
「この町に住んでいた男たちは、私たちや魔物たちに家族や仲間を殺されて、多くの憎しみを溜め込んでいる。お前とヒイラギは、前に捕まった時に十分ひどい目にあっただろうが、次に捕まればもっとひどい目にあう。さっさと黒い玉を回収してこの町を離れるんだ」
そう言ってショウビがヒイラギの身体を抱こうとするのを、クロが再度さえぎる。
「分かりました、お姉さま。深夜まで待つのはやめましょう。でもせめて、あと一時間だけ待ってください。その間にあそこにいる者たちも、自分たちの町に帰るかもしれませんから……」
ショウビはあからさまに嫌そうな顔をするが、しばらく考えて、しぶしぶ方針を変える。
「………………まぁ確かに、ここで多く殺すほど、憎しみを溜め込むヤツが増えるだけだからな……。いいだろう。一時間だけ待ってやる」
「ありがとうございます! お姉さま! …………あと、もう一つ……」
「何だ、まだあるのか」
「…………これからはヒイラギを、ボクに抱かせてもらえませんか?」
「ダメだ、クロ。お前は私より身体が小さくて機動性も低い。私が抱いた方が、ヒイラギが安全だ」
けれどクロは、そう言われても食い下がる。
「お姉さまはヒイラギの身体を乱暴に扱いすぎます。ヒイラギの腕をちぎれるまで引っ張ったり、ヒイラギの身体ごと魔物たちを切断したり……。昼間『陸クラゲ』たちと戦っているところを、ボクも見ていたんですよ。あれではヒイラギがあまりにもかわいそうです」
「はあ? ヒイラギは身体がどうなっても絶対に再生できるんだから、別に構わないだろ? それにもう何の感情もないんだから、ヒイラギ自身も気にしていないさ」
「……お願いします……お姉さま…………」
「…………何だよ、泣くなよ。まるで私が血も涙もない人間みたいじゃないか」
そのとおりだろと思いながらも、クロはそれを口には出さず、必死に頼んでついにショウビが折れる。
「しょうがない……。今回は特別にお前にヒイラギを任せてやる…………。だけど、ちょっとでもヒイラギが危険な目に遭ったら、もう二度とお前には任せないからな」
「ありがとうございます! お姉さま!」
それから一時間が経つと、都合のいい事に、町で作業をしていた者たちが一人残らずいなくなる。
どうやらすでに運び出していた死体の身元の確認も終わっていて、行方不明者もいなかったらしく、災害の原因調査などは明日の朝から始めるようだ。
この町に住んでいた者の生き残りは全て、昨日の夜のうちに遠くの町へ避難しているから、これで町は完全に無人になったはずだ。
だがそれでもショウビは、魔物の武器である黒い玉を手に握って油断せずに、ヒイラギを抱いて後ろを付いて来るクロに尋ねる。
「お前とヒイラギが男たちになぶられたのは、どの建物だ? 残りの黒い玉のほとんどは、そこに残されているんだろう?」
クロは抱いているヒイラギの顔を自分の胸に押し付けて、その建物やまわりの様子が彼女の目に入らないようにしながら、ショウビを案内する。
すでに太陽は完全に沈んで月の明かりしかなく、町の建物のほとんどは破壊されて黒コゲになっているので、ヒイラギがそれを見てもあの時の事を思い出す可能性は低いと思うが、念のためだ。
だがそこに近付くほど息が荒くなり、ひどく汗を流して震えるクロを見て、さすがのショウビも心配する。
「おい、クロ。建物の中には私が一人で入るから、お前はここで待っていろ」
「…………すみません。お姉……」
その瞬間ショウビの後頭部がふっ飛んで、血と脳があたりに散らばる。
グシャァ!
それからわずかに遅れて銃声が響く。
ダーン!
ライフルの弾は音よりも速いので、はるか遠くから撃たれると、着弾より発射音の方が遅れて届くのだ。
どうやらヒイラギの行方を捜していた男たちの中に、暗視スコープを付けたスナイパーライフルで、遠くからこの町を見張っていた者がいたらしい。
脳幹が飛び散ったショウビの身体は、倒れると同時に腐ってボロッと崩れ、手に握っていた黒い玉がコロコロと転がる。
クロはすぐに高速で動き出そうとするが、ライフルで狙う者は何人もいたようで、少しも動かないうちに、ショウビと同じように頭をふっ飛ばされる。
グシャァ!
ダーン!
その銃弾は脳幹を外したので、倒れたクロの身体は腐らずに済んだものの、頭がふっ飛べば、それが再生されるまで動けない。
しかもクロは撃たれた時に、ヒイラギの身体から手を離してしまったので、頭が再生されるまでにそれなりの時間がかかる。
その上ショウビの方は、全身が腐って脳幹の細胞から再生させなければいけないので、もっと多くの時間が必要だ。
せめて倒れているヒイラギが、ほんの少しでも動いてくれれば、その近くのクロの頭は瞬時に再生するのだが、心が死んでしまっている彼女は全く動こうとしない。
やがて近くにトラックが停まると、そこから降りた男たちが、再生する途中のクロの頭を撃ち、ヒイラギと、再生途中の脳幹がまだ小さな肉片でしかないショウビとともに、三人の身体を別々に動物捕獲用の檻に入れる。
その先に本当の地獄が待っていた。