第十二章 運命を変える取引き
ショウビは三年前の十一才の時に乗っていた飛行機が墜落して両親を亡くし、それと同時に両腕と両脚と片目を失い全身に火傷を負って髪も生えなくなって、神経も損傷して首から下は動かせない身体になっていた。
もしもショウビが資産家の子供でなくて、最先端の高度な医療を受けられなかったら、たぶんそのまま死んでいただろう。
だがショウビは病院で意識を取り戻したとたんに、自分がまだ生きている事に怒り狂った。
美しく優れていた自分が、醜く何もできない身体になって生かされ続けている事が、ただの嫌がらせとしか思えなかったからだ。
全てに恵まれ何もかも満たされていた少女が、突然その全てを奪われたのだから、そんなふうに思うのも無理はない。
しかしその怒りが何ヶ月も続くとショウビのそばには誰も近寄らなくなって、とうとう人里離れた屋敷に隔離されて、看護師しかいない生活の中でその心はさらにゆがんでしまった。
そんなショウビがなぜか裸で、いつの間にかもとの美しい身体に戻っている事に気が付いて思わずキョトンとするが、すぐにこれはいつもの夢だろうと思う。
時々そんな夢を見て泣いて喜んだ後に目を覚まして、さらに深く絶望するのを何十回もくり返してきたからだ。
けれど、いつもの夢なら事故に遭う前の十一才の時の身体に戻っているはずなのに、今回はちゃんと十四才の今の年令に合わせた身体になっているので、なんだか変だなぁと思う。
だがそれが夢なのは絶対に間違いない。
なぜなら、これが本当に十四才の現実の身体ならば、もっと胸が大きくなっていなければおかしいからだ。
それでなにか強い痛みを感じれば目が覚めるだろうと思ったショウビは、部屋の床に落ちていた窓ガラスの破片を拾って、それを自分の目に突き刺す。
ザクッ。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアア! ……………………あ?」
あまりの痛みに悲鳴を上げるが、しばらくするとその痛みが消えて再び目が見えるようになったので、ショウビは混乱する。
やっぱりこれは夢なのか?
しかし最初の痛みは、どう考えても現実だった。
だから今度は、持っていたガラスの破片で手のひらを切る。
スパッ!
「くっ! …………んん?」
派手に血が飛び散るものの、その傷も痛むのは最初だけで、そのうちに痛みが消えて傷はみるみる治っていく。
不思議に思いながらもくり返し手を切っていると、そのたびにふき出した血がすぐに止まるので、だんだん笑いが込み上げてくる。
「ハ……ハハ……ハハハハ……ハハハハハハ」
その少女の笑い声が響く部屋の中で床に倒れていたクロは、『腐食大うちわ』の風で腐ってしまった身体を上半身まで再生させたところで、力が足りなくなっていた。
両腕も肩の少し先までしか再生できていなくて、這う事もできないクロは、その少女を見ながら震える。
自分の目を刺した後に手を切り続けて、裸のまま血だらけになって笑っている少女は、絶対にかかわってはいけない危ない人間だ。
その少女は、美女ばかりの村で育ったクロから見てもびっくりするくらい美しい容姿をしているが、村の女たちとは違ってかわいらしさがぜんぜんなく、狂気が宿る目がとても怖い。
けれどクロの身体は、内臓の再生も途中で止まっているので、このままではじきに死んでしまう。
それでヒイラギを守るという使命を果たさなければいけないクロは、仕方なくその少女に助けを求める。
「あの……すみません……ボクを助けてくれませんか?」
少女はその声を聞くと自分の手を切るのをやめてまわりを見回し、床に倒れているクロを見付けるが、その両腕が肩の少し先までしかなく腰から下が何もなかったので、それを疑問に思って尋ねる。
「ひょっとしてこの夢の中では、誰かが身体を失えば、代わりに私の身体が再生するという仕組みか?」
「え? …………いや、そういう訳じゃ……」
「だがこれが夢ならば、お前の身体だって、どれだけ傷付いてもすぐに治るはずろう?」
そう言いながら、その少女がガラスの破片を握りしめたまま近付いて来たので、クロはあわててそれを止める。
「うわっ! 待って! ボクの身体には、もう力が残っていないんです! 切らないで!」
「…………今回の夢は、なんだか変だな……。新しい薬を投与されたせいか?」
そう言って裸で考え込む少女に、クロはなんとか、この状況を説明しようとする。
「あの、ボクはクロって言う名前です。信じられないかもしれませんが、これは夢じゃなくて現実なんです」
それからクロは、その少女の身体が再生され続ける理由と、自分の身体の再生が途中で止まってしまった理由を説明する。
少女は、それを黙って聞いてからクロに確認する。
「その無限の命を持つ、ヒイラギという名前の少女を追って来た魔物たちは、暴走していた時の私が振り下ろした『腐食大うちわ』の風で、全滅したんだな?」
「はい。ボクたちが、まだ生きているのですから、そのはずです。たぶん『浮遊イソギンチャク』たちは、あなたが暴走した時に、すでに群れの全てがこの屋敷の中に入っていたんでしょう」
「そうか……」
「…………本当にすみません……」
「ん? なぜ謝る?」
「この建物の中にいた人間は、ぼくと、あなたと、ヒイラギ以外は、みんな死んでしまったからです…………。『腐食大うちわ』の風が発生する前に、ヒイラギの力を吸収していなければ、脳幹の細胞も腐ってしまいますから、もう生き返らせる事もできません……」
それを聞いて、ショウビはビクッと身体を硬直させる。
「……そ………………それは……残念だ…………」
しかしその時のショウビの表情を見て、クロの全身に鳥肌が立つ。
ショウビはまるでこの屋敷にいた人間を、直接、自分の手で殺せなかった事を、残念がっているように見えたからだ。
けれど少女はすぐに表情を戻して、クロに尋ねる。
「……ところで、そのヒイラギの力は、もともとの身体を完全に再生できる訳ではないのか?」
「え? ちゃんと再生できるはずですが……」
「私は今十四才なのに、明らかに胸が小さい。なぜだ?」
クロは自分が今、生死の狭間にいる事に気が付いて、冷汗がふき出す。
あなたは生まれつき胸が小さいんですよ、と答えたら、間違いなく殺されるだろう。
「えーと、そういえばボクの村の女たちも、そんなに胸は大きくなかったような気がします。ひょっとしたらヒイラギの力の副作用かもしれません。ただ全員がそうだった訳ではないので、その力との相性みたいなものがあるのかも…………」
「なるほど……。では仕方がないな。まあ、このままでも私は十分に美しいから、胸の大きさなどぜんぜん気にしていないのだが」
いや、めちゃくちゃ気にしているだろうと思いながらも、クロはそれを顔に出さないように気を付ける。
クロの村の女たちは目立つほど胸が大きくはなかったものの、けして小さい訳でもなかったのだが、その事実を知らない少女はどうにか納得してくれたようだ。
「……それで、そのヒイラギとやらは、どこに行ったんだ?」
「たぶんどこか、そのへんの床に彼女の脳幹の細胞が落ちているはずです。以前のヒイラギは自分の身体を瞬時に再生できたんですが、なぜか今はものすごく再生が遅いので、まだ小さな肉片でしかないのでしょう」
「ふーん…………」
まだ半信半疑らしい少女が、それでもヒイラギの肉片を探すために裸のまま四つん這いになったので、クロはあわてて目をそらす。
「……ところで、あなたは、なんという名前なんですか?」
「ショウビ」
「……ショウビは、なぜ……」
クロが気付いた時には、左の胸をガラスの破片で刺されていた。
「ガッ……ハッ……」
そのガラスの破片を握りしめたまま、ショウビはつぶやく。
「私の事は、お姉さまと呼ぶんだ」
その傷は心臓まで達していたので、ヒイラギの力を使い果たしていたクロは、自分が死ぬだろう事を悟る。
「ぐ…………あ……」
だがまさか、名前を呼び捨てにしたくらいで殺されるとは。
すると焦点の合わなくなったクロの目を、ショウビがのぞき込む。
「どうした? 返事は?」
「…………分かり……ました……お姉さま……」
ショウビは、死んでいくクロをじっと見つめながら、つぶやく。
「お前がこれから一生、私の奴隷として働くのなら助けてやるが、どうする?」
クロはショウビのもう片方の手に、ヒイラギの脳幹だと思われる肉片が握られているのを見て、意識が遠のく中でかろうじて言葉をしぼり出す。
「お願い……します……お姉……さま……」
こうしてクロは命と引き換えに、その先の自分の運命を変える取引きをしてしまう。