第十章 少女を悪魔と呼ぶ者たち
しばらくして、ようやく追いかけて来ていた『ハガネ毛虫』の大群が消えたので、裸だったヒスイたち四人は森の中で見付けた小屋に勝手に入って、そこに置いてあった服を着て靴を履く。
それらは全てちゃんと洗濯してあったが大人のサイズしかなく、靴もそうだったので、十才のクロと七才のヒイラギは、シャツのそでやズボンのすそを折ってベルトをきつく締めて、ぶかぶかの靴下を足首のところで縛っただけで我慢する。
それから魔物の武器であるたくさんの黒い玉も、その小屋にあった肩から下げるカバンの中にまとめて入れる。
魔物たちが再び人間の世界に出現するまで、しばらく時間があるはずなので、ヒスイは今のうちに、クロとユキに今回の出来事の詳しい説明をする。
村に結界があった時は、ヒイラギがその中にいれば、魔物たちは人間の世界に出現しなかったので、それを女たちだけの秘密にしておけたが、結界が消えた今は、ヒイラギのまわりにいつ魔物が出現するか分からず、もうそれを隠してはおくのは不可能だからだ。
そしてヒスイはその説明の最後にかなりためらってから、クロの母親であるスミレが、魔物である『四ツ目』との戦いでどうなったのかを話す。
「…………という訳でスミレは、あの後、自分の身体を再生する事ができなかったの……」
自分の母親が、あの『四ツ目』を倒すための『暗黒爆弾』を発生させた時点で、力が尽きて身体を再生できずに死んでいた事を知って、クロは呆然とする。
「ごめんなさい、クロ。あの時『四ツ目』を倒す方法は、それ以外になかったの」
ヒスイは、しゃがんでクロを抱きしめる。
だがクロが、なんの反応も示さないので、ヒスイはマズいと思う。
人間は、心に受けたダメージがあまりにも大きいと、泣く事すらできないからだ。
そのままクロの身体を抱き上げて、ヒスイはユキを見る。
「ねえ、ユキ。お願いがあるの」
「……なんだよ」
「ヒイラギのまわりに、いつ魔物が出現するのか分からない以上、私たちはもう人が暮らしている場所には近寄れないわ。だからクロを、村のおばあちゃんの家まで送り届けてほしいの」
「…………お前は、これから一人でヒイラギを守るのか?」
「守るというより逃げ回るわ。あの『四ツ目』のような武器を使う高等な魔物がいたら、逃げ道をふさがれて戦うしかなくなるけど、下等な魔物たちだけなら逃げるのは簡単だから」
「もしもまた高等な魔物が出現したら、どうするんだ?」
「村のまわりで、あんな高等な魔物が出現したのは、百年以上もなかった事だわ。たぶんもう二度とあんなのとは出会わないわよ」
「これから先お前は、魔物が近寄れない結界がある場所を探して、いろいろな場所へ行くんだろう? そしたら、どんな魔物と出会うか分からないじゃないか」
「あら、ユキ。そんなに心配なら、あなたもいっしょに来てくれる?」
そう言われて、ユキは黙ってしまう。
「冗談よ、ユキ。ところであなた、クロを村に送り届ける前に、もう一度ヒイラギから力を吸収しておいた方がいいわ。ここに来るまでに走りながら岩に激突したりして、あなた無駄に力を使ったでしょう?」
「……いや、村まで走り続けるくらいの力はまだ残っている。大丈夫だ。魔物が後ろから来ていなければ、それに気を取られて岩に激突する事もないだろうし…………」
ユキはそう言って、ヒイラギに触るのを遠慮する。
その様子から、もうヒイラギに関わりたくないのが分かる。
普通の人間なら当然の反応だろう。
それでヒスイは、一応、釘を刺しておく。
「あとこの事は、私たちの村の外の人間には、誰にもしゃべらないでね」
「ああ、分かっている……。こんな話、誰も信じないだろうけど…………」
そこへ突然、この小屋の持ち主と思われる男たち、十人くらいが入って来て、先頭の男が驚く。
「おっと、お客さんか? 連絡はもらってないよな?」
その小屋の中には、野生動物を捕獲するための大型の金属の檻がいくつもあったので、その男たちは害獣駆除の業者のようだ。
全員がショットガンとライフルを肩にかけ、腰には大型のナイフを装備している。
この地域では野生化した豚が増えて牧場を荒らすので、その駆除を専門にしているのだろう。
豚は体長二メートル近くになるので、金属の檻はかがめば大人が入れるくらい大きい。
そして、どうやらその男たちは、ヒスイたちをどこかの牧場の人間だと思ったみたいだ。
あわててヒスイが、クロを抱いたまま言い訳をする。
「ああ、ごめんなさい! 勝手に入って……」
「おい、その服……」
「本当にごめんなさい! 実はいろいろあって、自分たちの服をなくして……」
「いや、そんな使い古した服、別に着てもらって構わないんだが、こんな森の中で服をなくすって何をしていたんだ?」
「えーと、その、川で泳いでいたら服を流されて……」
「川って……ここから、かなり離れているだろう? あそこから裸のまま子供を連れて、ここまで歩いて来たのか?」
すると別の男が、小声で口をはさむ。
「おい、そんな事、聞いたらかわいそうじゃないか。森の中で、ちょっとはめを外したんだよ」
男は、そんな訳あるかという顔をする。
「家族四人でか?」
ヒスイはその会話に気を取られて、男の一人がヒイラギの頭をなぜようとしている事に寸前で気が付いて、あわてて止める。
「触らないで!」
しかし時すでに遅く、その男はヒイラギの頭に触ってしまって暴走を始める。
「グワアアアアアアアアアアアアアアアア!」
その暴走した男は狂ったように腕をふり回して、柱に当たって腕が折れても動きを止めず、別の男がその腕に当たって首を折られて倒れる。
すぐにユキがその暴走した男を捕まえるが、男は折れた腕をゴキゴキと再生させながらもがき続ける。
ヒスイは抱いていたクロを床に降ろそうとしながら、ヒイラギが首を折られた男を生き返らせようとそこに駆け寄るのを見て、叫ぶ。
「ダメよ、ヒイラギ!」
けれどそう言った時には、もうヒイラギは首を折られた男に触っていて、その男も立ち上がって首を再生しながら暴走を始める。
「ウオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
ヒスイは高速で動いてその男を捕まえるが、その寸前に男が横に払った手にはナイフが握られていて、それに切断されたヒイラギの頭が床に落ち、首の切断面から大量の血がふき出す。
ブシャアアアアアアアアアアアアアアアア!
突然、狂ったように暴れ出した二人の男を前に、呆然とする男たちは、その後さらに信じられないものを見る。
首を切断されたヒイラギの身体が倒れて、それが腐ってボロッと崩れると同時に、床に転がっていた頭から身体が再生されて、何事もなく立ち上がったのだ。
幼いヒイラギが裸で立つ姿は、容姿が美しいだけに、かえって不気味さが際立つ。
それを見た男たちは、恐怖のあまり無意識のうちに、ヒイラギに向けてショットガンを撃つ。
ズガーン! ズガーン! ズガーン! ズガーン! ズガーン!
だがヒイラギの身体は、どれだけ撃たれても瞬時に傷が再生する。
ただし再生が始まれば痛みは消えるものの、撃たれた瞬間は激痛が走るので、ヒイラギはその連続に顔をゆがませて悲鳴を上げる。
「キャアアアアアアアアアアアアアアアア!」
ヒイラギを撃っている男の一人が、その姿を見ながら銃声に負けない大声を出す。
「こいつは悪魔だ!」
ヒスイはヒイラギを撃つのをやめさせようと、暴走している男を捕まえたまま、男の一人に身体をぶつける。
「やめなさい!」
しかし身体をぶつけられた男は、とっさにヒスイに向けてショットガンを撃ってしまい、ヒスイの頭もふっ飛ぶ。
グシャア!
脳幹まで破壊されたヒスイの身体は、倒れながら腐ってボロッと崩れる。
それと同時にヒスイが捕まえていた男が自由になって、ナイフを持ったまま再び暴れ出したので、ヒスイを撃った男はあわててその男の頭も撃つ。
ズガーン!
けれどその撃たれた男は、頭の上半分がふっ飛んだだけで、脳幹のある後頭部が無事だったので、身体は腐らずナイフを持って立ったまま、頭が再生されるまで動きを止める。
撃った男は、頭の上半分がなくなっても立っている男の姿を見てパニックになる。
「なんなんだよ、これ!」
その間も他の男たちに撃たれ続けていたヒイラギは、痛みをこらえながら床にひざをついて、飛び散った細胞から再生したヒスイの脳幹に触れる。
その瞬間ヒスイの全身が再生したので、それを見た男の一人が、ついにその仕組みに気が付いてしまう。
「その悪魔が触れると、そいつに憑かれて人間じゃなくなるんだ! こいつらみんな、もうその悪魔の手下になったんだ!」
もしもこの時、身体を再生させたヒスイが、すぐに高速で動いて魔物の武器を手にしたなら、そこにいた男たちは全員あっと言う間に抹殺されていただろう。
だがヒスイは高速で動こうとする前に、再び頭をふっ飛ばされて、身体が腐って崩れてしまう。
男の一人がそれを見て、さらに大声でみんなに伝える。
「首から上を完全に破壊するんだ! 悪魔の手下の方は、それで身体が腐るぞ!」
それを聞いた男たちが、暴走した二人の男と、その一人を捕まえているユキの頭に銃を向けたので、ユキはとっさに小屋の窓を突き破って外に飛び出す。
その背中に何発か銃弾を受け片腕をふっ飛ばされながらも、ユキは必死に森の奥に逃げ、男の一人がそれを追おうとするのを別の男が止める。
「待て! あいつを追うより、まずこの悪魔を檻に閉じ込めるんだ! でないとまた誰かが触られて、そいつも悪魔の手下になってしまう!」
それで男たちはユキの事は放っておいて、暴走した二人の男の頭をふっ飛ばして身体を腐らせると、ふっ飛ばされたヒスイの脳幹の細胞を探していたヒイラギの小さな身体を、銃口で乱暴に押す。
「その檻の中に入れ!」
そうやってヒイラギを無理やり動物捕獲用の檻に入れた男たちは、ヒスイと暴走した二人の男の三人の脳幹の細胞が、再生して大きくなるたびに撃って破壊する。
そしてついに魔物の大群との戦いにも生き延びたヒスイが、力を使い果たして、人間ごときに殺されてしまう。
それから男たちは、ヒスイたちの脳幹がもう再生しなくなったのを確認すると、部屋のすみで呆然としているクロに銃を向ける。
「お前も、檻の中に入るんだ!」
母親であるスミレの死から、まだ立ち直れずにいたクロは、この状況に全く付いていけず、ヒスイが目の前で殺されたのも夢でも見ているような感覚だった。
本当ならヒイラギの力を吸収していたクロは、この時に高速で動いて男たちと戦う事も、ヒイラギを檻から出して逃げる事もできたのだが、これまでずっと誰かに守られてきたクロは、自分から行動する事など思い付きもしない。
だからクロは、男たちに銃口で押されるがまま、なんの抵抗もせずにヒイラギとは別の檻に入ってしまう。
そのまますぐに男たちは、ヒイラギとクロが入った二つの檻を、逃げたユキがヒイラギを取り返しに戻って来ないかを警戒しながら、トラックに積む。
すると男の一人が小屋にあったカバンを持ってきて、その中を見ながら別の男に聞く。
「おい、このカバンに入っている黒い玉、なんだと思う?」
魔物の武器である黒い玉は、ヒイラギの力を吸収していない人間が触ってもなんの反応も示さないので、男たちにはそれが何なのか分からない。
「さあ? でも一応、それも持って行った方がいいんじゃないか?」
その様子を森の奥に隠れてこっそり見ていたユキは、何台もあるトラックの全てが走り出してから、その後を追って走る。
だが背中の傷と片腕を再生するのに、残っていた力のほとんどを使っていたユキは、走り出してすぐに力がなくなってトラックを見失なう。
こうして最後の世話役だったヒスイが死に、ユキも吸収していた力を使い果たして、ヒイラギとクロを守れる者が誰もいなくなる。