第一章 悪魔と呼ばれる少女
「ちっ!」
十四才の少女ショウビ(薔薇)は、その時、手に握っているのが、ちぎれた腕だという事に気が付いて、あわてて足を止めながら、それを投げ捨てる。
その腕はショウビが強く引っ張りすぎたために、七才の少女ヒイラギ(柊)の肩から、ちぎれたのだ。
捨てられた腕は空中ですでに腐り始め、地面に落ちるとボロッと崩れる。
その腕の持ち主だったヒイラギは、二十メートルも向こうで、うつ伏せに倒れたまま動かない。
ヒイラギの肩から、ふき出す血が、アスファルトの地面に広がる。
周りにいる三メートルもの大きさの『陸クラゲ』たちが、とがった触手を地面に突き立てながら、ヒイラギのところへ集まって行く。
「くそっ!」
ショウビは、ヒイラギの腕を握っていたのとは反対の手に持っていた、溶けてゆがんだような形をしている『苦悶の剣』を圧縮し、真っ黒い玉にする。
それを肩に下げたカバンの中におさめつつ、その中にある、いくつもの玉の中から、別の武器を探す。
今は、こちらが風下なので、風の影響を受けない武器でないといけない。
その玉は、どれも真っ黒で見分けなど付かないから、ショウビの目は、まっすぐヒイラギへ向けたままだ。
玉に触れた指から、それの持ち主だった魔物のおぞましい姿が、ショウビの頭の中に流れ込む。
数瞬して目当ての玉をつかんだショウビは、それを両手でかかげ、もとの形に戻す。
現れたのは、二つの剣の中央の部分が歯車によって接合された武器で、巨大なハサミにも見える。
ショウビの奴隷である、十才の少年クロ(黒)が『地獄バサミ』と呼んでいる武器だ。
その武器の重さで、ショウビの足の下のアスファルトにヒビが入る。
普通の人間でしかないショウビが、あらかじめヒイラギから吸収していた力だけで、そのレベルの武器を使える時間は、せいぜい十秒。
すでにヒイラギの身体は、『陸クラゲ』たちの何本ものとがった触手に串刺しにされている。
そいつらを急いで倒さなければ、ヒイラギの力を吸収されて、全てが終わるだろう。
「うおおおおおおおおおおおおおおおお!」
ショウビは叫びながら『地獄バサミ』で空間を切り裂く。
ジョキリ! ジョキリ! ジョキリ!
それが閉じられるたびに、そこから発生する真っ黒い衝撃波によって、『陸クラゲ』たちが、ブチッ、ブチッ、と切断されていく。
やがて、その全てをバラバラに切断したショウビは、ヒイラギから吸収していた力のほとんどを使い果たして、肩で息をしながら『地獄バサミ』を圧縮し、『陸クラゲ』たちといっしょに細切れにしてしまった、ヒイラギの身体のところに駆け寄る。
血だまりの中に散らばったヒイラギの肉片は、ショウビが見ている前で次々と腐って形が崩れていく。
だがショウビは、その中に一つだけ、まだ鮮度を保ったままの肉片があるのを見付ける。
それはヒイラギの後頭部の、脳幹がおさまる部分だ。
ショウビは、それを両手でそっと持ち上げ、胸に抱いて走り出す。
その肉片からふき出す血が、ショウビの胸からしたたり落ち、アスファルトの地面に点々と赤い跡を残していく。
しばらくして、胸に抱いた肉片からヒイラギの力を再び吸収したショウビは、走るスピードを音速にまで上げ、その周りに発生した衝撃波が空気を振動させる。
ドン!
その頃になって、ようやくその肉片がヒイラギの身体を再生し始める。
ショウビが手足を失っても、ヒイラギの身体に触れれば一瞬で再生されるのに、ヒイラギが自分の身体を再生させるのは、なぜかとても遅い。
まるでヒイラギが、自分の身体が再生されるのを望んでいないかのようだ。
ヒイラギの頭から首、そして胸のあたりまで再生されたところで、ショウビは音速で走ったままカバンからバスタオルを出して、その身体を包む。
その時なんの前触れもなく、さっきまで周囲に漂っていた魔物たちの気配が消える。
どうやら今回はあきらめたようだ。
たぶん今日はもう、深夜になるまで出現しないだろう。
走るスピードを落として立ち止まったショウビは、まだ身体の再生が途中のヒイラギの身体をしっかりと抱いたまま、あたりを見回す。
魔物が去ったとなると、次に注意しなければいけないのは、人間だ。
ショウビは、さっき『陸クラゲ』に襲われた場所の近くに、奴隷にした少年のクロを置いてきているから、すぐにそこに戻らなければいけない。
魔物たちはヒイラギだけを狙うが、彼女の事を悪魔だと思い込んでいる人間たちは、彼女だけでなく、彼女に触れた者もすべて殺すからだ。
ヒイラギに触れれば、あらゆる人間が、魔物の武器が使え、高速で動け、身体を再生できるようになるのだが、常識的な人間から見れば、その様子は悪魔に憑かれたとしか思えないのだ。
ショウビもクロも普通の人間で、ヒイラギから吸収していなければ、その力を使えないが、悪魔とその手下を殺す事で頭がいっぱいの者たちには、そんな理屈は通じない。
それでショウビは、自分たちを狙う者たちに見付かってしまう危険を避けるために、アスファルトの道路の両側に広がる森の方へ歩いていく。
ズガーン!
ショットガンで頭をふっ飛ばされたショウビは、血と脳と骨の破片をまき散らしながら、あお向けに倒れる。
男は森の茂みから出ると、地面に投げ出されたヒイラギに向けて、残っている弾のすべてを撃ちこむ。
ズガーン! ズガーン! ズガーン! ズガーン! ズガーン! ズガーン! ズガーン!
ヒイラギの、上半身と両腕のひじのあたりまで再生されていた身体が、ふたたび粉々になって飛び散る。
それから携帯電話を出した男は、それを肩と頭で挟んで、ショットガンに弾を込めながら話す。
「悪魔を見付けた! ショットガンで粉々にしたが、どうせすぐに身体を再生させる! ガソリンをドラム缶で持って来てくれ! 本当に死ぬまで燃やし続ける! いつも狩りをする場所の南側の道路だ!」
ショットガンの弾を込め終わった男は、携帯電話を手に持って道路の前後を見る。
「悪魔の手下のガキ二人のうち、女の方は殺したが、男の方は見当たらな…………グ……ガ……ガアアアアアアアアアアアアアアアア!」
ショウビが背後からまわした手が、男の腹の皮膚を突き破り、内蔵の胃を直接つかんでいた。
胃は、すぐに殺さずに、最も痛みを与えられる内臓だ。
もう片方の手で、ショットガンを持つ男の指を握りつぶしながら、ショウビはつぶやく。
「その子は悪魔じゃない……。無限の命を持っているだけだ…………。それに私だって悪魔の手下じゃない……。お前と同じ普通の人間だ…………」
ショウビは運が良かった。
ヒイラギの力を十分に吸収していれば、その身体に触れていなくても、失った身体が再生できる事を、男は知らなかったのだから。
男は絶叫しながら携帯電話を捨て、腰に装備していたナイフを、背後にいるショウビの身体に突き刺す。
しかしナイフの刺し傷くらいなら、ヒイラギから吸収している力で、まだあと何十回か再生できる。
なので、どれだけ刺されても、ショウビは男から手を放さない。
そうやって自分たちを殺そうとした男に、それとつり合うだけの苦しみを与えながら、ショウビは待つ。
そして地面に飛び散ったヒイラギの脳幹の細胞が、手に持てる大きさにまで再生されたのを見てから、ショウビは男の胃を他の内蔵ごと引きずり出して、道路にぶちまける。
ぶしゃっ!
倒れた男の身体の横で、ヒイラギの脳幹を両手でそっと拾い上げたショウビは、そのまま森の奥に消える。