固体ヘリウム電池 1
私は瑠璃19。固体ヘリウム電池について解説するよん。
101人の瑠璃 外伝1
『固体ヘリウム電池』
こんにちわん。私は瑠璃19。瑠璃達の中で頭脳である瑠璃1シリーズの末妹だよん。真ん丸眼鏡が可愛っしょん? 白衣だって薄いピンクパールの糸で小さな薔薇をいっぱい刺繍してんだよん。
え? 語尾がウザイって?
まぁ、赦してねん。コレも個性の一つってことでさん。そ。眼がオッドアイなのも、片方がウサ耳でもう片方がネコ耳というのも個性だよん。絶対、ぜぇぇったい、他の瑠璃達の余った部品で造られたんじゃあなくて、個性なんだからねっ!
そゆことで宜しくねん。
ところで、本編がゆるゆると進んでるけど、それとは別にね。この世界の事を外伝という形で綴って行く事にしたのん。私はその外伝の案内役ねん。
……別に暇だって訳じゃないのよん。ま、確かに、仮想実験とかの契約数が減っちゃってさぁん。私にあまり演算が回って来なくはなったけどねん。御主人様も『組織として処理能力と処理量の関係は末端が暇か繁雑かで判る』って言ってたけどねん。処理量が能力を超えると末端に皺寄せが行くんだって。で、逆の場合は末端がむのすごぉく暇なんだって。私? ……私は適度に暇なだけだよん。
……そういう事にしといてっん!
で、取合えず第1回は私達のオリジナルである瑠璃が最初に装備されて使っていた動力の一つである『放射能電池』についてねん。
コレについてはいろんな本に纏められているから、あれこれ引用して繋げてみるねん。いっぱい本が在るから大変なんだけどねん。
え〜と。最初はこの本からねん……
○原子力電池(256He-258Gd電池。通称「固体ヘリウム電池」)
この原子力電池の特筆はなんといってもその力の源である元素である。
原子量258のこの元素は陽子数が64であり、異常なまでに少ない。周期律表に乗せるのならば原子番号64のガドリニウム(Gd)という事になる。
この元素は言うまでもなく人工的に造られたモノであるが、その発見若しくは製造に到るまでの過程を一言で現すならば神の悪戯というべきモノである。
今から半世紀以上前、人類は核融合の実用化に向けて技術革新に勤しんでいた。実験的には融合するものの実用レベルでは安定しない核融合に対して膨大な研究費が湯水の如く注ぎ込まれたのである。結果として幾多の研究所や大学、各企業の開発工場などには核融合試験炉が転がっている状況となっていた。
核融合を実現する臨界温度や閉じ込め時間は達成してはいたのだが、核融合から電力を引き出す方法とそれを連続させる方法が見つからなかったのである。
これはある程度まとまって核融合を実現させると発生した熱と圧力波で燃料である重水素の密度を下げてしまう結果となる為である。無論、恒星内部ではその熱と圧力波が次の核融合を促す事になるのだが、電磁力でプラズマを無理矢理縛りつけている核融合炉ではその縛めを解く事になってしまうのである。研究者達は重力で押さえつける恒星の内部を思い浮べながら、より多くのプラズマ量(つまりは圧力波を飲込み押さえつける磁力線量)を求め、より大型の融合試験炉を建造し続けていったのである。当然、後に残るのはその時点では
小型となってしまった核融合実験炉。その炉を使って在る研究者達が妙な実験を行った。
本来ならば重水素を送り込む炉に重元素を送り込んだのである。
使用した元素はウラン。核分裂原子炉の燃料を造る過程から余るほどに作り出される劣化ウランをガス化して融合炉の中に送り込んだのである。重水素とトリウムと少量のプラチナと共に。(『新たな原子力元素の秘密』より)
なんでそんな事を思いついたのかって? 別の伝記によるとぉ、前日に在る少女から貰ったケーキを食べた時に何故か思いついたんだってん。それも全員よん。全員って何かって? だって、全世界中のいろんな国の32人もの若い研究者達がほぼ同時期に同じような実験を行って、その成果を殆ど同時期に国際特許科学技術管理機構に申請したんだからん。eメールの到着時刻が1秒と差が無かったからこの技術は全員の共同特許として認定されたんだけどねん。信じられない? 信じなくても事実なんだけどねん。で、全員が全員、少女か
らパイやケーキや……兎に角、御菓子を貰ったんだけど、共通項としてはいろんなクリームがかかっていたという事だけなんだよん。で、その少女の姿の共通項としては、『無表情な人形のような少女』という事。
え? それが誰か判ったってん?
んなら、いいねん。先に進むよん。
奇妙な実験の結果として創り出されたのは、在る重元素だった。研究者達は心を浮かばせて検査したところ、確認された原子の陽子数は64。すでに周期律表に存在する元素でしかなかった。研究者達は落胆しながらもその原子量を計った。そして我が目を疑った。そのガドリニウム同素体は原子量は258もあったからである。直ちにこの元素にガドリニウム重同素体(Heavy-Gd、略字としてはHvy-Gd)という仮称を与え、続けてある特徴を極めて容易に発見した。放射線である。極めて強いα線とβ線と微弱なγ線をこのHvy-Gdは放出していたのである。喜び、震える手でその元素の半減期を計った。が、再び彼等は首を傾げた。放射量が一定なのである。従来の放射性元素は時と共に放射線量が指数関数的に減少する。当初の放射線量の半分となる時間をもって半減期と称するのだが、この元素、Hvy-Gdには半減期が存在しなかった。いつまで計っても放射線量は一定だったのである。(『奇妙な実験』より)
そんな事は在り得ないってん? でも事実なんだよん。いいからん。先に進むねん。
そして、放射線を観測し続けていた研究者はあることに気がついた。放射線を放出するに従い元素は別の元素へと姿を変える。α線を出す元素は原子量を4、原子数を2減少させた元素へと姿を変える。β線を放出する場合は原子量が変らずに原子数が1増える。この重同位体元素はその変化した元素が見つからないのである。いや、正確に言えば変化した元素、(ここでは変移元素と定義する)は存在した。その元素は正確に原子数を4、原子番号を2減らしていたのである。そして、その変移元素からのみ放射線が放出されていたのである。つまり、他のHvy-Gd原子は放射線を放出していなかったのである。
(『新しい元素への挑戦』より)
ここに辿り着くまでに結構、時間がかかったんだよん。なんてったって、放射線を出す原子だけを分離して観測するのは至難の業だったからねん。だって、原子1個単位レベルの話なんだからねん。
分離に成功した研究者はすぐさま、また悩む事となった。いつまでたっても、比較的、安定した放射性元素へとならなかったのである。通常の重金属に属する放射性元素は鉛より重い元素から始まり鉛の同位体へと最終的には変化して行くのであるが、最初が原子番号82の鉛より下のガドリニウムだったせいか、質量数が258とウランよりも重いのにも関らず、いつまでも崩壊し続け、最終的に消えてしまうのである。そう文字どおりかき消えてしまうのである。その最後の過程を観測し続けて奇妙な事が発見された。かき消える最後に中性子を2個放出するのである。
この現象を総て結論づけたのは、ある仮想理論だった。
α線とはつまるところヘリウムの原子核である。β線の正体は電子であり、β−崩壊である以上、それは原子核中の中性子から電子と反ニュートリノを放出し陽子へと変換されているはずである。
そしてその仮想理論ではまずβ−崩壊が起る。直後に増えた陽子が契機となって周りの中性子2個と陽子1個を引連れてHvy-Gd原子核から打出される。つまりα線となる。これが連続的に起きる。次々とHvy-Gd原子核からヘリウム原子核が放出され、最終的に総てヘリウム原子核となって崩壊が終結する。最後に余った2個の中性子を放出して。そしてその中性子の打撃を受けたHvy-Gd原子核が励起して崩壊して行く。
この理論は放射線量が一定であるというHvy-Gd元素の特徴を巧く説明していた。そして一定量のHvy-Gd元素の塊から一定時間間隔で放出される中性子線が観測され、この仮想理論はある程度の評価を得た。
一つの問題を残して。
問題は全体の放射を維持する仕組みである。つまり、崩壊を一定レベルに維持している仕組みである。最終的に総て崩壊するエネルギーがあるのであれば、一瞬で総てヘリウム原子核へ変化して、消えてしまっても問題は無いのである。
なにが崩壊をコントロールしているのか?
その疑問への答は霧箱の中で発見された。
Hvy-Gdから出る最後の放射線、中性子線を霧箱で捕まえる事に成功した研究者は二つの中性子がどの方向に放出されるのかを定めようとしていたのである。が、二つの中性子が放出される位置が奇妙なのである。飛散する方向を逆に辿れば放出された場所、つまりHvy-Gd原子が居た場所で重なるはずである。だが、その場所は常にHvy-Gd原子が居た場所からはズレていた。その現象からこの研究者はある仮想理論を提唱したのである。普通の中性子の2倍の粒子が分裂して、2個の中性子へと姿を変えたと。そしてそれを重中性子と仮称した。さらにはその重中性子がHvy-Gd原子の崩壊の鍵を握っていると。
(『人造元素Hvy-Gdの謎』より)
ついて来てるかなん? 続けて行くよん。
ある理論では原子核の中の核子(陽子と中性子)は互いにその構成要因を交換し、絶えず中性子→陽子→中性子……へと変移し続ける事で核子が原子核としての形を保っている。彼の仮想理論によれば、重中性子も普通の核子と同様に内部の構成要因を交換し、原子核の中に存在している。最初の引金となるβ崩壊は重中性子が普通の中性子に変移する時に『勢い余って』行われ、ついでにその勢いがα線(ヘリウム原子核)放出にも使われる。結果としてα線とβ線が同時に放出される。重中性子はα線を放出された場所に残される。そして
次の変移で次の崩壊は行われる。最後のα線の放出と同時に内部要因を交換して保っていた重中性子は内部要因を交換できる相手がいなくなってしまった為に崩壊して二つの中性子へと姿を変える。(『不可思議な重い核子』より)
この仮想理論は一つのHvy-Gd原子の崩壊は巧く説明していたんだわん。でもねん、全体としては一つ欠点が在ったんだわん。
だが、もう一つの事実が彼の理論の欠点とされた。Hvy-Gdでは崩壊する原子は在る一定値に収まっていたのである。つまり、100個の原子が在ったとして、崩壊する原子は1個だとする。残りの99個の原子の崩壊は1個の崩壊が終るまで起らないのである。そして、一つの原子が崩壊し終わるとまた1個の原子が崩壊し始める。まるで崩壊し終わるのを待っていたかのように。最初の崩壊が確率論的に引起こされるのであれば、放射線量は次第に増えて行くはずである。そしてピークを過ぎると減って行くはずである。つまり、放射線量は時系列的には一山カーブとなるはずなのである。(『奇天烈な原子達』より)
でねん。最終的にγ線の観測を続けていた研究者が最後の鍵を手にしたのねん。膨大に放出されるα線とβ線に目を奪われがち。最後に放出される中性子線も研究者には格好の研究課題。Hvy-Gdの現象の中で一番地味な僅かなγ線だけを研究していた科学者が最後の鍵を手に入れたのねん。
γ線の特徴に気がついたのはその周波数と放射線量を観測していた研究者だった。Hvy-Gdを塊としておいた時に全体から放出されるγ線量と1個だけの単独の原子だけにした時のγ線の放出量には殆ど差が無かったのである。更に精密に計測すると、僅かに1個だけの方がγ線の放射線量が多かったのである。さらに、塊の時のγ線は奇麗な波長に揃っていた。だが、単独となった時のγ線は雑多な波長へと変化していたのである。
この現象から彼はある仮想理論に辿りついた。
Hvy-Gdは塊として存在していた時、全体が『歌を謡う』ように静かに共振している。そしてある原子が崩壊を始めるとその原子が『泣叫ぶ音』を吸収して全体が『吃驚』して『泣く』のを我慢する。そして崩壊し切った時に解放たれた重中性子の『断末魔の叫び』を『聴い』て新たに原子の崩壊が始まる。
彼の仮想理論どおりに崩壊しないHvy-Gdが放出するγ線と崩壊している時のγ線、最後の重中性子の崩壊する時のγ線にある種の共鳴関係が認められたのである。(『最初にひく原子力の辞典』より)
今でわん。全体の原子のγ線の共振が塊に反響してピークが立った時、その場所にいた原子がその共鳴振動を吸収して崩壊が始まり、崩壊する原子が放出するγ線を別の原子が吸収する事で共振をかき乱して、共振のピークが立つのを防御するん。んでねん、崩壊し終わった時のγ線が全体の共振の開始させる鐘の音となる。と一般には説明されているんよん。
判ったん?
んでもね。この原子はいい事ばかりでもなかったんよん……
Hvy-Gdの膨大なα線とβ線の線源としての利用は発見直後から行われた。最初は研究レベルで。やがて原子力電池のエネルギー源としての活用されるまでには然程の時間を必要とはしなかった。まだ、のそ利用はHvy-Gd原子の性質が完全に解明される前から急激に広まっていった。
何故ならば、安定して一定出力の線源はこれまでに存在しなかった。さらには放出される放射線のほとんどがα線とβ線という事も利用拡大に拍車をかけた。これらは何らかの物質にぶつけると運動量を熱として放出する。これを熱電対素子で電気に変換するのである。β線は紙一枚程度、α線も数十ミリのプラスチック程度で遮蔽できるという被爆の可能性が低いという事も有利に働いた。だが、何を置いても最大の理由は極めて安価に大量生産が可能だという事だろう。変換炉は融合炉としては行詰まっていたが技術的には枯れて来つつ在った融合炉。主な材料はあり余っている劣化ウラン。ある意味、置き場所に困っている劣化ウランの体のいい廃棄物処理ともいえた。遮蔽に手を焼くγ線をほとんど放射せずにα線とβ線を放射する物質に換えてしまう。マスコミは『現代の錬金術。ゴミを奇麗な燃料に』『誰も近づかない死の山が宝の山に』『これでエネルギー問題で悩む必要はない』などと手のひらを返したように原子力賛成派だらけになっていた。
だが、悲劇は突然に起った。
大規模な原子力発電をこのHvy-Gd原子で行おうとした時にその悲劇は起った。
アルファ国のメール・アイランド島原子力発電所では、施設内にある工場でHvy-Gdそのモノで燃料棒を造ろうとしていた。本来のガドリニウムが制御棒に使われる元素であることから、その成形は容易と思われた。一方、ロー連邦のアブサン・リー原子力発電所(黒鉛を減速材として使った旧式炉)では、Hvy-Gdを収めた筒をそのまま原子炉(3号炉)の中に放り込んだのである。
その時点ではまだ、原子核構造や分子構造が判明していないモノを無造作に扱った結果は……悲惨な原子炉事故となったのである。
メール・アイランド原子力発電所は轟音と共に爆発し、半壊した。燃料棒を造る為にHvy-Gdの流体粉末に衝撃波を加え、成形しようとした瞬間にHvy-Gdの臨界量を超えてしまったのである。
アブサン・リー原子力発電所はもっと悲惨だった。原子炉が突然、暴走し、文字どおり原子爆弾そのものとなり炉壁材を破壊、中身を周囲数十kmにぶちまけたのである。何故か極度に冷たい氷と共に。(『最悪の原子力事故』より)
悲惨な事故だったん。
アルファ国では大都市に電力を供給していた原子力発電所だったが為に都市機能が数週間に渡って麻痺。コスト削減の為に遠距離送電網を使わず需給一体として整備した国策がアダとなってしまったのん。大病院では入院患者さん達がサポート機器の停止に伴い……。道路では幾多の事故。空港では……。
でもね、ロー連邦はもっと悲惨だったん。
融解した原子炉の灰が爆発で遥か上空にまで到達、気流に乗って周辺の国々にまで……。廃棄された都市は数十。農民達が一斉に避難した為に放棄された農耕地。収穫されない農作物が、農耕地が何をもたらしたか……。放射能被爆被害以上にロー連邦と周辺諸国に大打撃を与えてしまったん。
人々はこの連続して起った二つの事故を陰謀とか謀略として口々に罵り合い、その矛先を政治に向け、……政治家達は技術者に向け、……結局、最後には……科学者に向けられたのん。
でもね、そんな状況に……めげずに原因を冷静に追及した科学者と技術者が原因を突き止めたのん。それはHvy-Gd分子の構造だったんよん。
Hvy-Gdは核融合炉からプラズマの状態のまま真空中に放出されて固結する。この時、Hvy-Gd原子はクラスターという固体とも液体ともつかぬ状態で固まるのである。傍目には、いや、人間の視力では粉末状に固まった固体と思われたこのクラスターは数百から数千の原子が三角形の4面で構成された三角錐、歪んだ正4面体のような形に集まり、安定している。だが、これがクラスターであるが故に奇妙な性質を持っていた。三角錐の各頂点に電子の雲を頂いていたのである。そして、その性質故に、この三角錐達は電子の雲を互いに共有するかのように集まり、大きな塊を形成していたのである。その形とは球体とチューブ。そう。炭素分子の興味深い巨大分子の形であるフラーレンとカーボンナノチューブの形に。さらに、その二つの部品が集まり、三角錐を構成していた。球体分子を中心に置いたチューブで造られた三角錐。これがHvy-Gd原子の巨大クラスター分子の姿であった。
これを総て解析し、論文としてまとめた技術者と科学者が兄妹であったという事は広く知れ渡っているが、彼等の父親があのアブサン・リー原子力発電所の主任技術者であったという事実はあまり知られていない。休暇中でありながら、家族を避難させ、単身で爆発から生き残り暴走し続けていた4号炉と2号炉を停止させるために戻った一人の技術者が居たという事実と共に歴史の片隅に埋もれている。(『知られざる科学の歴史 〜プライドの証明〜』より)
……そろそろ先に進めてもいいかなん?
ニフティのFSFにUPしていた101人の瑠璃シリーズの外伝を纏めたモノです。
宜しかったら、感想などいただけると有り難いです。