ひとりおおい
――――ここから逃げなくては。
そう心は焦っても、身体は動かない。あかりのない、暗い教室は、もはや異世界だった。
最初はたわいないやり取りだった。
「ねえ、知ってる? この学校、七不思議があるんだって」
放課後の教室。部活終わりの奴もそろった時に、そんなことを言い出したのは僕たち6人グループのマドンナ的存在、二見 小夜だった。肩あたりで切りそろえられた茶色の髪。スタイル抜群の身体に。明るい性格。いつも僕たちのグループに楽しい話題を提供してくれる女の子。
「もちろん知ってるよぉ。そういうハナシ、大好きだし!」
横から口を挟んだのは五藤 奈々子。ショートカットにくりくりっとしたネコのような瞳。怖い話、というか、ゴシップが大好きで。こういった学校の噂話をどこからか嗅ぎつけてくる情報通だ。陸上部にも所属しており、運動神経抜群だ。
「うるせえな。どうでもイイよ。んなこと」
「おっ? さては怖がっておりますな。山東氏!」
「黙れ」
ちょっと不良っぽい見た目の男の子が山東 由紀太を市野 良助がからかう。山東は金髪に染めており、身体も大きく、いつも斜に構えたようなことを言うくせに、怖い話は苦手らしい。市野はいわゆるオタクだ。眼鏡男子で、顔は悪くないと思うが、いかんせん体重が三桁ではいけない。
いつものように何を考えているかわからない顔で、四谷 統太がにこにことみんなを見ている。とうとう取っ組み合いになってしまった山東と市野を、おろおろした様子で陸奥 かなみが眺めている。と、思ったらすぐにかなみが僕の袖を引っ張った。
おっとまずい。山東が僕を睨んでる。
「あきら、笑ってないで、と、止めてよ」
「お? てめえもニヤニヤしやがって、やんのか?」
「僕まで巻き込まないでくれ! ていうかね、まだ話を聞いてもいないのに怖がってどうすんのさ」
「怖がってねえ!」
「はいはい。それで、この学校にはどんな七不思議があったっけ?」
このままでは山東にやられる。そう思った僕は話題を急いでもとにもどした。机の上であぐらをかいた奈々子が元気に手を挙げた。
「あ、いくつか知ってるよ!。弾くと死ぬとかいう音楽室の呪われたピアノでしょ。それと、三階の女子トイレにお化けが出るんだっけ?」
「あ、自分も知ってるであります。職員室に飾られている謎の神棚、理科室の動く人体模型、あるはずのない地下室の扉……」
「それに、南校舎の踊場の大鏡……」
そういえば、手紙を入れておくと叶えてくれる机とか、首つりバスケットゴールとかの噂話もあったな。こうやって数えてみると七不思議どころか、十一不思議とか二十不思議になっちゃうんじゃないか。苦笑してしまう。
「七不思議で大事なのは、七つ目よ」
小夜がきれいな唇から、美しい声で呼びかける。
「七つ目は、いつのまにか『ひとりおおい』の」
「ハァ? どういうことだよ?」
「ええ。よくあるわよね。知らないうちに、みんなで遊んでいると、知らないうちに一人増えてるっていう」
「……ふえてる?」
「しかもね。誰が増えた子かわからないんだって。みんな知ってるはずなのに、知らない子がいるの」
小夜の話し方に、自然とみんなが黙り込む。小夜が声を大きさを落としたために、自然と小夜の近くに集まるようになっている。
「放課後、楽しそうに教室で話してると。一人増えてる。楽しく終われればいいんだけど、最悪の場合、誰か入れ替わっちゃうんだって。知らないうちに」
小夜が笑う。その、口元しか見えない。
「もし助かりたいなら、増えた子を殺さないとだめなんだって」
「ねえ」
「ほんとうは、わたしたち、なんにんだっけ?」
気温が低くなった。そう、感じた。
「お、おま、気色悪いこと言うなよ! 6人だよ!」
「そ、そうだよ。夏休みの旅行だって、二人ずつ電車の席に座れるねって……」
待って。6人?
「待てよ……7人、いるぜ?」
僕は小夜を起点に、数を数える。
1、2、3、4、5……6、7。7人。
7人、いる。
僕たちは、6人グループなのに、7人いる。
「いやぁっ!」
叫んだのはかなみだったか、奈々子だったか。その瞬間、教室の電気が消えた。
「うオ――!? 誰だよこんなふざけたことしやがって!」
山東の声が聞こえる。怖がりな彼は焦っているのだろう。電気をつけるために教室の出入り口の扉に向かう。教室の中が、人影が動いている、程度にしかわからない暗さのため、何度も机にぶつかっている。
「いや、それにしてもおかしい。電気が消えたくらいで、ここまで教室が暗くなるものか」
「窓の外、真っ黒で何も見えない……!」
四谷とかなみが、窓にかけよってみたらしい。人影が動くのがわかった。
「窓が……! 開かない! 鍵すら動かない!」
市野の切迫した声。何度か叩く音がした。窓ガラスが叩いても割れない。あきらかな異常。
「お前! 二見! な、なにしやがった!? 扉が開かねぇ!」
「わ、私は何も知らない! この七不思議なんて、人に聞いたやつなのよ!? 何も、何も知らない!」
「落ちついて、小夜!」
立ち上がった人影は、おそらく小夜。その腰に取りすがっているのはおそらく奈々子。
「誰だ! 誰なんだよ!? 誰が――――」
ひぃ、ひぃ、と過呼吸気味に息を吸う音が聞こえる。
「――――増えた奴なんだ!?」
しぃん、と静まり返る。
呼吸の音がうるさいと感じてしまうほど。
ひとりおおい。おおくなったひとりを、殺さないと、出られない。
「自分じゃない! オタク趣味なんて一人しかいなかった!」
「うるせえ! 殺すぞ!」
「山東! てめえこそおかしいんじゃねえか! なんですぐそんなふうに考える!」
「ちょっと! やめてよ! そんなこと言ってる場合じゃないわ!?」
「かなみ! ちょっとだまっててよ!」
がん。
がん。がん。がごん。
ぐぇ、とか、痛い、とか聞こえたから。たぶん誰かが殴られたんだとわかった。
――――ここから逃げなくては。
そう心は焦っても、身体は動かない。あかりのない、暗い教室は、もはや異世界だった。
肉を叩く音がする。うめき声が聞こえていたはずだが、もう聞こえなくなっていた。やめて、とか助けて、とかいう声も、もうしなくなった。
肉を叩く音は、同時にぱき、とかぽき、とかいった硬いものが折れる音も含んでいた。
そして、ぐちゃ、という濡れた音も。
何度も何度も聞こえていた。がん。ごん。ぐちゃ。ぐちゃ。
暗くて見えないから、よかったのか。よくなかったのか。
だけど。この臭いはだめだ。鉄。そう、鉄の臭い。濃い鉄の臭い。胃袋を直接わしづかみにして中身を絞り出そうとする臭い。
僕は両手で口と鼻をふさいでいた。むせるのだ。この臭い。もういやだ。もうやめてほしい。一人死んだじゃないか。もういいじゃないか。もういいだろう?
音が、止んだ。
誰も、何も話さない。
ガコっ、という音がした。扉を開けようとして、開かなかった音。
「……あれ? なんで?」
つぶやいたのは誰だったか。
山東は、まだ生きてるのか?
僕も、まだ、生きてるのか?
人を殺した奴が、この中にまだいる?
背筋が凍った。
扉はまだあかない。誰か、殺される。
がちゃんがちゃんと机が転げまわる音がした。
いや、机が転げまわっているのじゃない。誰かが暴れて、机を蹴飛ばしてるんだ。
暗闇の中、誰かが、誰かに馬乗りになっているのが見えた。
「死ね…! 死ね…!」
聞こえてきた声は、あまりにおぞましくて、僕は耳をふさいだ。いつ僕の方にやってくるかわからない。目だけは閉じられない。
机が振り回された。
どかんとひときわ大きな音がして、馬乗りになった人影の首が変な方向に曲がったのがわかった。
「ひぅ――――」
出すな。
声を出すな。物音をたてるな。
死ぬ。
気付かれると死ぬ。殺される。
両手で口をふさいでも、歯の根が合わない。
がちがちがちがち鳴る歯が。歯が。
「いやあああああああああああッ!!」
魂を凍らせるような声。
窓の鍵が開く音。窓から1人逃げ出したのがわかった。
だけど、ここは4階だ。窓からだと、生きて逃げられない。
誰が死んだ?
誰が生き残ってる?
――――増えたのは、誰?
窓枠にしがみついて、落ちた人を覗き込んでいる人影が見えた。
僕に気付いていない。
やるなら、いましかない。
足が震える。
立ち上がった。机にぶつかって音が立てたら終わりだ。
いける。歩ける。
手を伸ばす。もはやその姿は幽霊か。
押せ。
落とせば、助かる。
僕は、助かる。
押せ。
押せ!
「――――――!?」
押した。
落ちていったのは、かなみだったような。
もう、いい。
ずるずると、壁にもたれながら腰を下ろした。
「ぐッ――――!?」
いきなり衝撃と、のどに圧迫感。
締められている。
ぎっちりのどをしめてくる手をこじ開けようとする。だめだ。力が強すぎる。
死ぬ。いやだ。死ぬ。
苦しい。やめて。空気。死ぬ。死――――。
「あきら! 起きなよ、風邪ひくよ!」
僕はおもいっきり顔を上げた。背中には冷や汗をびっしょりかいている。
僕を心配そうに見つめる、みんなと目があった。
はは。ははは。夢、夢か!
そうだよ、そうだよな!
最初から七人だったんだよ。増えた奴なんていなかったんだよ。
何事かしゃべっているみんなを見ながら、僕は安堵の息を吐いた。
そうだよな。みんないる。
市野。二見。山東。四谷。五藤。陸奥。蜂屋。そして僕、七瀬。
お前、誰だ。
お前、誰なんだ。
僕は、止まったような心臓を、なんとかうごかした。
息を吸い、そして、言った。
「ねえ、知ってる? この学校、七不思議があるんだって」
書きおわってみて、自分の仕込んだ謎だらけの文章になってしまったという反省が。
少しでも怖い気持ちになっていただけたら幸いです。
いったいいつまでループすれば助かるんでしょうね。




