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月下の庭

作者: 実穂
掲載日:2015/06/21

 光の冴え渡る夜だった。太陽は沈んで久しく、星々は月の光に負けて存在を薄くしている。

 その下で男が一人、月を見上げていた。くたびれた着流し姿の男だった。柱にもたれ、片膝を立ててぐい飲みを持った手を支えている。

 酒の肴なんてものは用意していない。着ているものは着流しだというのに、片膝をたてて、その事に頓着もしてなかった。もっともその事について真っ赤になって文句をいう女性はもう、ここにはいない。

 三日は剃っていないだろう髭にすら男は頓着せず、その視線は煌々と輝く月に注がれている。

 この男がわが国の英雄だと、誰が信じるだろうか。勇猛果敢で知られる紅の騎士団に所属し率いて、その名を聞くだけで敵を震えあがらせた男だと。

 月夜に酔い痴れ、酒に溺れた元・英雄。今の男には、確かにその様が似合っている。

「いつまでつっ立ってる気だ」

 視線は月に向けたまま、男は声をかけた。知っていたのなら、さっさとそういえばいいものを。思うが、時間は惜しい。確かに。

「ご無沙汰しております」

 ひどく他人行儀な言い方だったが、男は何も言わなかった。軽くぐい飲みを上げて挨拶の代わりにする。

「……」

 さて、何から言おうかと思って、開きかけた口を閉じた。時間がないのはないのだが、ここは――この庭はいつもと変わらぬ風情でここにあって、時間など流れていないかのようで、焦るような気持ちがだんだんと凪いでくる。

「ばれたんだってな」

「これが限界のようです。思ったより気付くのが遅かったですね」

 首をすくめて。なんでもないことのように、二人は言い合う。

「――で、なんの用だ?」

「引き抜きですよ。こんなところで燻っていても、彼女の願いは叶えられない。だから、一緒に来ませんか?」

 彼女、という言葉に男は反応した。相手の顔を見て、それから、ふっと笑う。

 ――笑う。

「あいつの願いってのは、なんだ」

「彼女は、戦争を終わらせたかった」

 問いに、躊躇いもなく答える。

「今はもう、何が原因で争っているのかも覚えていない。どういう因果で長引くかもわからない。この、無意味な殺し合いを――それを、貴方も知っていたんじゃないですか」

 だからこそ。男は勇猛果敢で知られるその紅の騎士団へ志願した。

 ともに戦果を上げ、英雄と讃えられ。けれど、戦況は何一つかわらなかった……

 彼女はこの庭で、休暇ごとに帰郷する二人を、何も変わらない笑顔で迎えてくれた。何も変わらない笑顔で。いつも、どこか憂いを秘めた瞳で。

 あの変わらない瞳の理由を、あの時初めて彼は気付いたのだ。彼女が死んだ日に。今まで必死で守ってきた祖国に、彼女が殺されたあの瞬間に。


「やめろ、なんて。誰にも言えないね」

 月を見上げて、呟く声が忘れられない。

 狂気に苛まれた祖国を、誰もがもてあましていた。戦争を始めた人々はとうになく、ただただ無意味に続けてきた、その代価を。誰もが背負っていた。

 誰もが止めたくて。でも、どう止めて良いのかわからなくて。

 死んでいく兵士。うえていく子供たち。それを見ても。何も。

「目の前で人は死んでいくのに。どうしてかな。――どうして」

 この同じ月夜に。彼女は涙を流しながら。

「彼女は、戦争を終わらせたかった」

 ――遠く、声が聞こえる。彼女の願い? それが?

「今はもう、何が原因で争っているのかも覚えていない。どういう因果で長引くかもわからない。この、無意味な殺し合いを――それを、貴方も知っていたんじゃないですか」

「違うだろ」

 思わず呟くと何を聞いたかわからないような顔をして、振り返った。それを無視して、杯をぐいと傾け、あの夜を思い出す。

「貴方が、一番知っているでしょう?」

 信じ切ったその声に、苦笑が生まれた。近かったから見えるのか。こいつが阿呆だから気付かないのか。

「殺したくなかっただけだ、あいつは。なにも」

「……」

 普通の女なんてものじゃなかった。弱くて、壊れそうで。ただ何も失いたくなくて、彼女は人を殺さなかった。けれど、戦争をどうこうしようという気も、なかった。

 花を育てるのが好きだった。食料にもならないものに丹精を込めて。

 ――守りたかった。

 祖国を、ではなく。彼女を。彼女の庭を。

「帰ってきて欲しい。戦わないで欲しい。死なないで欲しい」

 ――でも、言っちゃいけない事なんだよね……


「どこへ行く気だ?」

 視線を現在いまに戻して、男は青年を仰ぎ見た。

 かつては紅の双璧と呼ばれた副団長を。背中を合わせ、幾多の戦を共に戦ってきた、戦友を。彼女の存在を唯一の接点にして生きてきたその相手を。

 そして、祖国の機密を、敵国へと流し続けた、反逆者を。

「それは、もちろん」

「戦争は、終わるだろうな」

 裏切りによって、戦況はあらかた傾いている。ましてこれで最後の砦と言われたこの青年が母国を裏切っていたと知れ渡れば。

 考えるまでもない。国は、負ける。

「それに、俺も利用しようってのか?」

「ええ。それもあります。僕よりも、貴方の方が名は通っている。いずれは貴方が立ち上がるだろうと国人は今もそれを希望にしている」

 一度、目を閉じて振り向いたあいつを、脳裏に思い浮かべる。

 彼女は死んだ。彼女は戦争が嫌いだった。だから、彼女は自分のやりたいことを貫いた。

 食べていくに必要のない花を育てていた彼女を、狂気は「非国民だ」と責め立てて、殺した。

 どれだけ馬を走らせても、間に合わなかった。のどが裂けるほど彼女を呼んでも、なにも変わらなかった。彼女は、死んでしまった。

「俺はいかない」

「――なぜ?」

「あいつの望とか希望とか、そんなものは俺は知らない。だから俺が動く理由にはなんねぇよ。あいつは好きなように生きた。だから、俺も好きなように生きる。のんびりするさ。戦争もなにも、俺には関係ない」

 いつまで待っても立ち上がらない英雄に、焦れた国が例え刃を向けても。それが、自分のしたことの代償ならばこの身に受けよう。

 ただ、自分のしたくもないことをするのは、二度といやだ。ましてや、それが「彼女の願いだった」などと大義名分を掲げても。うまくいかなくなった時、それは彼女への恨みの言葉になる。

「行きたきゃ、行けよ。俺は、知らん」

 月を指す。さっきよりも傾いたその月に、ため息が聞こえた。意味はわかったらしい。

 踵を返しがてら、彼は頭を下げた。それに応えて来たときと同じようにぐい飲みを軽くあげる。

 道は、どこへ行っても重なることはない。当たり前だ。彼女にあこがれた男と、愛した男。――交わるのさえ、不愉快だった。本当は。

「……せいせいしたな」

 月を見上げて、今頃青年も口にしているだろう。

 そして、彼は彼の道を行くのだ。

 例え今は敵国に優待されたとしても、いずれは彼もそこを追われる時がくる。

 母国を裏切った男を信用出来るかと言い出す派閥は必ず現れる。

 それでも。それが、自分の道だというのなら。

 盲目までの彼女への信頼を、自身の支えにするというのなら、それもいいだろう。

 二度と背を合わせる事もない。命を助けることも、助けられることも。

「おまえがいれば、もう少し器用に生きられただろうにな、あいつも」

 ――俺も。



突発性競作企画(http://kyousaku.client.jp/)「月夜」(http://kyousaku.client.jp/tsukuya.html)の参加作品です。

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