過去の手紙は黒歴史
王都を出て以来、ばーさんの助言に従って複合魔法の練習をしているが、相変わらず成功と失敗を繰り返している。しかし、ライナス達と相談するようになったので精神的に楽になったのは大きい。
ただ、相変わらず練習はあまりできていない。世を忍ばないといけない都合上、目立つようなことができないからだ。何しろ時間は夜限定で派手な魔法は使えない。そのため、試してみたいと思った組み合わせがあっても、そのほとんどが試せないままでいた。修行をする環境としては、実は村が一番だったということを今になって実感している。
このままではいけないと多少焦りを覚えていた俺だが、最近は少し事情が変わってきた。この陣地に来てからというもの、俺はテントの中で昼間から魔法の練習ができるようになったのだ。魔王軍との戦争の最前線に来てからというもの、雨ばかりでライナス達は1日の大半をテント内で過ごしている。ここなら、誰にも見られない上に、万が一見られたとしてもライナス達の誰かがやったとい言い逃れができる。テント内で試せること限定ではあるが、練習できる環境が増えたというのは嬉しい。
「ユージ、お湯をお願い」
「俺も!」
テント内で飯時になると、俺はローラとバリーにお湯を作ることになっている。いつも小ぶりの鍋に作り出していた。
このお湯を作るときだが、水球と火光を組み合わせる。火光は小さな炎を出現させる魔法だ。この2種類の魔法を調整して適温のお湯を作るのだ。ちなみに村にいた頃だが、初めてお湯を作ろうとしたときに火球を使ったところ、水蒸気爆発が起きて驚いた。火の魔法が強すぎたのである。そういった失敗を経て今では、お湯に関してはほぼ自在に作れるようになった。
「ユージ、暑いから涼しくして」
今度はライナスからの注文だ。ただでさえ雨期で湿っぽいのに、そこへ4人が一斉にお湯を使うと当然暑苦しくなる。ついでに言うと今は夏だ。
俺はまず水吸収でテント内の湿度を取り除く。水の魔法を使って涼を取る場合、これをしないと湿度が更に上がって不快になるからだ。初めて涼を取る複合魔法を使ってテントを冷やしたときにこれで失敗した。
で、涼を取る複合魔法は霧と風を組み合わせている。霧でかなり冷たい霧を発生させてテントの上部を冷やし、それをそよ風でテント内を循環させるのだ。空調機の原理をイメージしている。ちなみに、風だけを使ってテント内の空気を循環させても涼しくはならない。単に暑苦しい空気を循環させているだけだからだ。
「お~、ちょっと湿気ってるけど涼しいなぁ」
メリッサが満足そうに目を細める。
今回のテント内の練習でわかったことだが、俺は原理がよくわかっているほど複合魔法を成功させられるようだ。特に、前の世界の科学技術に沿った使い方が有効らしい。これの方が頭の中でイメージしやすいのだ。なので、当面は科学技術を置き換える感じで複合魔法を練習していくことにする。
とりあえず修行の方向性が見えてよかった。
魔王軍との戦争の最前線に来てから数日が経過した。雨季も半ばに差しかかり、雨音は一層激しくなっている。
「あ~くそっ、なんにもできねぇなぁ」
バリーは暇そうにテントの中で寝返りを打つ。鎧は身につけていないので単なる旅装姿だ。これは全員同じだ。さすがに今すぐ戦いにはならないと判断したのである。
テントには叩きつけられるような雨音が鳴り続けていた。
「さすがに1日中テントの中っていうのは嫌だなぁ。たまには外で体を動かしたいよ」
「だよなぁ~」
ライナスはぼやきながらも体を少し動かしている。テントの中なので狭いが、さすがにじっとし続けるのは我慢ならななかったようだ。
「ローラとメリッサは何の本を読んでるんだ?」
「これ? 簡易教典よ」
ローラが少し持ち上げたのは小さい本だった。活版印刷なんてないから全部手書きだ。以前ローラが練習で書いたものらしい。
「うちのは魔法書やな」
「そんな貴重な物を持ち出して大丈夫なのか?」
「自分で書き写したやつやさかい大丈夫やで」
魔法の本となると1冊が非情に高価なものばかりなのでライナスが心配したが、こちらもメリッサのお手製らしい。しかしそれでも、売りに出せば結構な額になるはずだ。
「ん~、俺も何か読んでみよっかなぁ」
あまりにも暇すぎるせいか、普段なら絶対にいわないようなことをバリーが口走った。思わず全員がバリーに注目する。
「バリーって何か本を持ってたんか?」
「いや、持ってねぇよ」
「うちらの本を借りるんか?」
「いや、俺にゃ難しくてわかんねぇだろ、それ」
わずかな間だが、テント内に微妙な沈黙が訪れる。お前は一体どうするつもりなんだ。
「そんなら一体何読むねん……」
「ライナスとローラが文通していたときの手紙」
バリーがそう言った瞬間、テント内に先程とは異なる微妙な沈黙が再び訪れる。お前は本当に突拍子もないことを言うな。
「あれだったら俺が読んでもわかるしな。ライナス、ローラ、持ってきてるんだろ? 貸してくれよ」
ライナスとローラが顔を見合わせて固まる。そして、ローラの顔が若干赤い。
「う、うん。いいけど……」
「待ちなさい、ライナス!」
頷きかけたライナスをローラは慌てて止める。別に思いを綴っているわけじゃないんだから問題ないと思うんだが、やっぱり恥ずかしいんだろうな。
「お? ローラさんの反応が面白いで?」
「メリッサはいいから自分の本を読んでなさい!」
簡易教典を自分の背嚢にねじ込んだローラは、ものすごい勢いでライナスに迫る。どうしてそんなに必死なのかがわからないライナスは戸惑うばかりだ。
「ライナス、持ってきてる手紙ってどれなの?」
「えっ、全部だけど……」
「全部?!」
「あー、確か、村にいたときからのやつも全部持ってるんだよな?」
「ほほぅ?」
そのおかげで王都に来たばかりの頃にローラと会えたんだよな。いや、懐かしいことを思い出した。
脇で奇妙な声を出しながら好奇心丸出しで眺めているメリッサを尻目に、ローラはライナスの両肩を握りしめる。
「どうして全部持ってきてるの?!」
「え?! だって、ローラからもらった手紙だからじゃないか」
「おほほぅ?!」
あ、ライナスの返答にローラの顔が真っ赤になった。まぁ、あんな言い方されたらそうなるわな。
そしてメリッサは脇で更に変な声を出して2人に注目している。やっぱりこういう話は大好きか。
「ライナス、あなた戦士として前衛で戦うんだからいつも危険に晒されているのよね」
「あ、俺、魔法戦士……」
「魔法戦士として戦っているときに荷物を失うと大変でしょう? 預かっておいてあげるわ」
ローラがいつにも増して力強い。眉間に皺を寄せて顔を真っ赤にしている姿はとても可愛らしいんだが、笑顔で人を脅す姿はとても聖女に見えなかった。
「なぁなぁ、バリーさん。ローラさんって出身の村やとどんな様子でしたん?」
「え? 村で? う~ん、小さいときだったからなぁ。ああでも、いつもライナスにくっついてたっけ?」
「ほぉ~ぅ!」
どうだったっけな。いつも3人で一緒にいた記憶はあるんだが……まぁ、ライナスの後を追っかけてたって言っても間違いじゃないけど。
「バリー、そう言えばローラにも手紙を貸してってゆーとったな?」
「ああ、ライナスが持ち歩いてるんだから、ローラも持ってるだろうって思っただけだぜ?」
知ってたんじゃなくて、勘で言ってたのか。でも、バリーの勘は当たるからな。本当にローラも持ってきてるのかもしれない。
「ほほう。それで、実際のところは持ってきていらしゃっるんでしょうか、ローラさん?」
やたらと嬉しそうにメリッサが質問を投げかける。すると、今までライナスを揺すっていたローラがぴたっと止まって、首だけをメリッサに向けてきた。
「今忙しいの。後にしてくれる?」
実に良い笑顔だった。人を脅すには、だが。
「そっかぁ、そらしゃーないなぁ。そんなら荷物の中を確認させて……」
メリッサはしゃべりながら視線をローラの荷物に向けたが、そちらに向かうことはできなかった。後ろから力強く肩を掴まれてしまったからだ。
「ねぇ、メリッサ、お話しがあるの」
「い、いだだっ?! ローラ、肩が、肩がぁ!」
おお、獲物が捕食者に取り押さえられとる。パーティじゃ一番非力なメリッサだから抵抗しても抜け出せない。
それにしても、なかなか卑猥な格好だな。両肩と頭を床に押さえつけられて尻を突き出す格好になっているメリッサに、その上から覆い被さるようにのしかかってるローラ。ちょうどローラの腰とメリッサの尻が密着しているので実にけしからんことになっている。
「なにやってんだ、お前ら」
バリーが呆れるように見ていた。
原因を作った本人は一番安全なところで高みの見物だ。いい性格してるな。
一方、ライナスは声をかけようか迷っている。何しろ今の状況を崩したら、確実に矛先が自分へと向かうことがわかってるからだ。
そして、そうやって騒いでいると、突然天幕の入り口が開いた。
「お~い、ライナス、ちょっと来て……何やってんだお前ら?」
首を突っ込んできたジャックが中の惨状──特にローラとメリッサ──を怪訝そうに見る。さて、どう説明したものか。
「助けてぇ!」
「人聞きの悪い、まるで私が襲ってる見たいじゃないの!」
第一声はメリッサの叫びだった。それにすかさずローラが反論するが説得力はまるでない。誰が見ても襲ってるとしか思えないですよ、ローラさん。
「メイとドリーも時々うるさくなるが、こっちはこっちで大変だろ」
「それで、なんかあったのか、ジャック?」
自分のところを思い出しながらも呆れているジャックに、一番冷静なバリーが答えた。
「ああ、どうも他の陣地が魔王軍の襲撃を受けたから、救援に行くことになるらしい。俺達も参加することになるから、その説明をライナスと一緒に聞きに行こうと思ってたんだが……中がこんなふうになってて驚いただろ」
そう言って、ジャックはローラとメリッサに視線を向ける。まだけしからん体勢のままだ。
「ふふふ、メリッサが人としてやってはいけないことをしようとしていたので、止めようとしていただけです」
「ううっ、犯されるかと思たわ」
やっと自由の身になったメリッサは嘘泣き全開でジャックに訴える。その後ろでは、ローラが更に何か言いたそうにしていたが黙っていた。
「行くのは今すぐなんだよな?」
「もう少し時間はあると思うが、早めに行っといた方がいいだろ」
「わかった、行くよ」
ジャックの言葉に安堵の表情を浮かべたライナスは腰を浮かせた。そして外に出ようとして一旦体を止める。
「どうした?」
「あ、バリー、俺の荷物預かってくれないか?」
「ああ、いいぜ」
ライナスから受け取った背嚢をバリーは自分のものの隣に置いた。
ローラが半目でライナスを睨んでいるが、できるだけそちらを見ないようにライナスは外に出ようとする。
「そうだ、ライナス。手紙を見てもいいか?」
「ああ、いいよ」
「うちも見たい!」
メリッサがローラの顔色を窺いながら声を上げる。ローラの顔は次第に渋くなってゆく。
「うう、もう好きにしなさいよぅ」
ついに折れたローラはこてっと横になって膝を抱え込む。その表情は口を尖らせてすっかり拗ねたものになっていた。ついでにいうと、まだ顔は赤いままだ。
「やった! バリー、うちにも手紙貸してぇな!」
「ちょっと待て。今出すから」
ついにお許しの出たメリッサは喜んでバリーの元に行き、手紙をせがむ。バリーはライナスの背嚢の中を見ながら手紙を探した。
そんな様子を見ながら、ライナスはテントの外へと出た。
外に出ると、霧状の雨がライナスを迎えた。先程まで雨脚は強かったはずなのだが、いつの間にかかなり弱まっている。
「お前も大変だろ」
「はは、バリーが変なことを言わなきゃね」
疲れた様子でライナスは答える。普段はあんなことにはならないのだが、たまに大変なことになるんだよな。そしてその原因はメリッサかバリーの発言からだったりする。
「そういえば、さっき、他の陣地の救援って言ってたけど、今から行って間に合うのかな?」
「この場合、削られた戦力の補強っていう意味の方が強いだろ」
戦闘が発生すると当然人的被害も発生するわけだが、これをすぐに補充することはこの地域だとなかなかできない。そのため、他の陣地から戦力を融通することが多いそうだ。
「何にせよ、詳しいことは説明を聞いてからだろ」
「そうだな」
ライナスは降ってくる霧雨を受けながらジャックに頷く。
聖騎士団本部の天幕を見つけると、その近くに傭兵が何人も集まっているのを見つけた。ライナス達と同じ理由で集まってきているのだろう。
2人はゆっくりとその集団に近づくと、その中に混じった。




