幼女な人魚との出会い
ウェストフォートも12月になるとさすがに寒くなる。つい先日まで晩秋だと思っていたら、もういつ雪が降ってもおかしくない季節だ。
ライナス達が小森林の南側に入って2ヵ月になろうとしている。巨大蟻の討伐で涙目になりながら帰ってきた後は、しばらく薬草の採取などに専念していた。やはりあれは余程嫌な体験だったらしい。
しかし、だからといって平穏な冒険者生活が送れたわけではない。小森林の南側には巨大蟻以外にも魔物はいくらでもいるからだ。どこにでもいる巨大蜘蛛や殺人蜂はもちろんのこと、保護色や擬態によって不意打ちを食らいやすい雑食の巨大蠕虫、どんな有機物でも消化する粘性生物などが、来てほしくないときほどよく現れた。
そういった苦労をしつつ、4人は次第に小森林の奥へと足を進めていく。未踏の範囲はわずかずつではあるが小さくなっていた。
ある冬の日の夕方、いつものように依頼完了の報告を受付カウンターで済ませたライナスは、ロビーで待っていた仲間のところへ戻ってきた。
「あれ、ローラは?」
「さっきまで一緒に掲示板のところで依頼を探してたよ。もうすぐ戻ってくるんと違うか?」
そっか、と呟くとライナスは空いた椅子に座る。これで今日の仕事は全て終わった。
「しっかし、聖なる大木ってやつは全然見つかんねぇよなぁ」
ライナスが座ると同時に、バリーが天井を見上げながら愚痴った。ウェストフォートへ来てから既に5ヵ月になろうとしているが、聖なる大木についての情報は全くない。
この頃になると、4人は一緒に同じところではなく、ばらばらに手がかりを探すようになっていた。ライナスは冒険者ギルドで知っていそうな人に聞いてみたり2階の資料室で調べている。バリーは酒場で仲良くなった飲み友達や店主にだ。店主に聞いている理由は、色々と情報を扱っているということを先日知ったからである。ローラは教会を足がかりにその伝手を頼って調べ、メリッサは図書館で本を読み漁っていた。
しかし、これだけやってもさっぱりわからないのである。
「図書館でも調べとるけど、伝説関連ばっかりやな。これって見方を変えたら、ここ数百年は聖なる大木と接触した人間はおらんっちゅーことなんやろうなぁ」
丸テーブルに片肘をついて頬杖をしたメリッサが気の抜けた声で自分の成果を話す。結果が芳しくないので精神的な疲労が倍増しているようだ。
「それだったら酒場の親父に聞いても意味ねぇよな」
「あー、こんなんやったらレサシガムの大図書館で調べてからこっちへ来たらよかったわぁ!」
うがぁと両手で頭を抱えてメリッサは後悔した。
「1回戻ろうか?」
「うーん、年内に手がかりすら見つからへんかったら、考えた方がええなぁ」
手がかりを見つけられるならとライナスは勧めてみるが、メリッサはもう少しここで頑張ってみたいようだ。
「あ、みんな」
そのとき、ローラが1枚の紙切れを持って戻ってきた。
「お、なんかいいのが見つかったか?」
バリーが依頼書らしき紙を見ながら声をかける。ローラは苦笑しながら席に座った。
「薬草採取の依頼よ。今度のは妖精の湖の辺にあるの」
「それって今までと何が違うんだ?」
「今までは湖近辺には行かなかったでしょ? だからたまには違った場所もいいんじゃないかなって」
それで何が変わるというわけじゃないが、気分転換にということか。
「毎回森の中っていうのも飽きてくるし、聖なる大木探しも煮詰まってきたしなぁ。たまには開けた場所を見ながら仕事するのもええか」
「そうだね。どうせ仕事はしないといけないんだし」
特に反対する理由もないメリッサとライナスはそのまま賛成する。
「いや、俺も別にいいけどよ、そうなると水辺の魔物と戦うことになるのか」
顎に手をやってバリーは何やら考え始める。どんな魔物がいるのか、あるいはどう戦うのかなんかを考えているんだろう。
「バリーも反対しないんだな。なら、それを引き受けてくるよ。ローラ、貸して」
「はい、頼んだわ」
ローラから依頼書を受け取ったライナスは、椅子から腰を上げると再度受付カウンターに向かった。
今回ライナス達が引き受けたのは、皮膚の異常を治す薬の原材料を採取する依頼だ。これは非常に強力な塗り薬で、重度の火傷や皮膚病でも回復させる。ただし、劇薬なので使うときは水などで薄めて使わないといけない。
そして、その原材料は妖精の湖の辺にしかない。この湖は大体三角形の形をしており、北端がウェストフォートの南約70オリクに位置する他、南東の頂点が南方山脈に、南西の頂点がドワーフ山脈に接している。また、南岸は大森林、北東の岸は小森林と接してもいる。そのため、人間がこの湖に近づくときは北西の岸からしか近づけない。
妖精の湖と名付けられているのは、かつて数多くの水の妖精が目撃されたからだ。しかし、安易にこの湖に入ることは危険である。鰐、水蛇などの獰猛な生物だけでなく、人魚の生息地域でもあるからだ。人間を見つけると多数の人魚に襲われると伝えられている。
そんな湖の辺にパピスという青い稲のような植物は自生している。これの穂先にある細かい実が原材料だ。元々妖精の湖の辺全周に自生していたそうだが、今では安全に採取できる範囲は植物ごと持ち去られてしまい、小森林と隣接する岸辺にしか自生していない。だから冒険者に依頼がやってくるわけである。
ライナス達は妖精の湖に向かうため、ウェストフォートを南下した。そして湖の北端に到達すると、そのまま北東の岸に沿って奥に進んでゆく。しかし、岸辺を歩けるという楽ができるのは数オリクだけだ。やがてマングローブに代表されるような海漂林に似た植物が行く手を遮る。
「うへぇ、やっぱ森の中に入るのかよ」
バリーは呻くが手段は他にない。
この海漂林に似た植物が生殖する場所は表面上は浅瀬なのだが、底は泥濘なので歩くことはできない。おまけに魚も人も見境なく食う生き物がいるらしいので立ち入ることはできなかった。
「これ、5オリク以上回り込まなあかんねやろ? 直線距離やったら半分くらいでええはずやのに……」
メリッサは森に入るなり泣き言を口にした。まぁ、薬草を採りに行くだけなのにこんな苦労しないといけないっていうのは理不尽だよなぁ。いくらある程度の自生場所をあらかじめ教えてもらっていたとしてもだ。
しかし、さすがに何ヶ月も森の中を歩き回っているだけあって4人とも慣れたものだ。ライナスを先頭に危なげなく進んでゆく。目的地近くまで2時間程度で着いた。
(今で昼頃だから、薬草がすぐに見つかったら今日中に森から出られるな)
俺は森の上に出て太陽の位置を確認してから他の4人に伝える。いくら慣れてきたとはいえ、森の中でお泊まりは避けたいというのが全員の本音だ。それだけに、俺の推測はみんなを喜ばせる。
「今日は魔物とも遭ってないし、このまま終わってほしいよなぁ」
「たまにはそんな日があってもいいわよね~」
昼飯として干し肉を囓りながら今後の無事を期待するライナスとローラ。
「けど、1回くらいは戦ってもいいんじゃねぇの?」
「バリーは平穏無事に仕事が終わるんがそんなに嫌なんか?」
相変わらずバリーはぶれない。メリッサは半目で睨むが効果はなかった。
それでも、ここまで何もなかったことに全員は安心していた。そして、なんとなくこのまま終わるんじゃないかとも思っていた。
短い休憩中に食べ物を胃に収めた4人は、軽く食休みをした後に再出発した。そして、ようやく提供された情報にあった場所──海漂林の南端──にたどり着く。
「よし、着い……た?」
先頭を歩いていたライナスは、生い茂る草をかき分けて湖の岸辺に再度たどり着いたとたんに固まる。
「ライナス、どうした?」
「何があったの?」
「なんや、どうしたんや?」
次々と岸部に出てきた他の3人は、最初にライナスを見て、次にその視線の先を見る。するとそこには、薬草パピスの穂先から材料となる実を取ろうとしている半人半漁の幼女──恐らく女人魚──と、その幼女を湖からパピスの自生しているところまで抱えて連れてきている水の塊──人型だからたぶん高位の水の精霊──がいた。
普段なら魔物だということですぐに臨戦態勢に移る4人だったが、何しろ、薬草を採りに来た幼い女人魚とそれを支える水の精霊などという珍しい光景を目の当たりにしてしまい、どうしていいのか戸惑っていた。
一方、幼い女人魚も目を全開にしてライナス達を見ていた。もちろん、体は完全に固まっている。あれは息もしてないんじゃないだろうか。
しばらくお互いに固まっている状態を俺は見ていたが、いつまで経っても埒が明きそうになかったので声をかけることにした。もちろん、ライナス達にも聞こえるようにだ。
(君もその薬草を採りにきたの?)
精神感応で話しかけてみたんだが通じるかどうかはわからない。何しろ、人間以外との対話なんてライティア村で先生達としかしたことがなかったからだ。通じなければ戦いになる可能性が高いが、幼女を倒したいなんて思わない。だから話し合いで問題を解決したかった。
(ダレ?!)
見た目にもはっきりとびくりと震えた幼い女人魚は、ライナス達を驚いたように見る。
そういえば、あの子、何も身につけてないから全部見えてる。幼すぎて色気も何もないんだが、倫理的にどうなんだろう。魚類扱いということで問題ないんだろうか。
(目の前の人間じゃないよ。俺はユージ。わけあって人間と一緒にいるんだ)
(ドコニイルノ?)
不安そうにきょろきょろ周囲を見るが、もちろん幼女人魚には見えない。このままじゃ信用できないよな、やっぱり。
あー、これは、いよいよ俺の姿を公開するときがきたか。長らく姿を現しそびれていたんだが、まさかこんな形で見せることになるとはな。
(ここだよ)
そう言うと、俺は自分の半透明な姿を現した。もちろん、服はトレーニングウェアのズボンとロングティシャツのままだ。威厳も何もありゃしない。
4人の後方頭上に現れた俺の姿を見た幼女は、一瞬驚いたがすぐに不思議そうな顔をする。
(ナニカ、ヘン……)
子供は容赦ないな。とりあえず警戒を解いてくれたので良しとするか。
しかし、ライナス達の方はそう簡単にはいかなかった。幼女人魚の視線を追っかけた先に半透明な俺がいたんだから驚くだろう。
「え、ユージ、やっぱりその姿だったの?!」
「うお、透けてるじゃねーか!」
「初めて見た……」
「なんやけったいな姿してんなー」
反応はまちまちだが、異世界情緒が溢れるこの姿を見てその程度の驚きというのはちょっと寂しい。
それはともかく、とりあえず話を進めないとな。いきなり敵認定せずにとどまっているということは、話し合いの余地はありと見た。
(とりあえずみんなはそのままで、まずは俺が話をする)
みんなの了解を得ると、俺は幼女人魚の目の前まで進む。
ライナス達を見ていたときよりも安心してる? 人間にだけ警戒心が高いのか。
(俺の名前はユージ。君は?)
(パム)
(それじゃ、パム、もう1回聞くけど、君もその薬草を採りにきたの?)
(ウン)
(どうして?)
(オカアサン、ビョウキ。コノクサ、タベル、ナオル)
なんか重い話が出てきたぞ。それにしても、パピスを食うのか? 人間にとっては塗り薬だが、人魚にとっては飲み薬なのか。何の病気に効くんだろう。
(お母さんはどんな病気なの?)
(ズット、オナカ、イタイ)
腹痛か? 食あたりの可能性もあるな。それにしても、動けないほど痛いのか。
(この薬草はどのくらい必要なの?)
(ゼンブ)
おぅ、こりゃまた厳しい。ということで一旦仲間と相談だな。
(わかった。仲間と話をしてくるね。終わるまで待ってて)
(ウン)
俺は振り向いて皆のいるところに戻る。
(今の話は聞いていた?)
(いや、ユージの声しか聞こえなかったよ)
あれ、そうか、パムは俺にしか精神感応の設定をしてないんだな。
(あの小さい子はパムっていうんだけど、パムのお母さんが病気でパピスの実が全部必要らしい)
(どんな病気なんや?)
(お腹が痛いって言ってた。ただの腹痛なのか、それとも人魚特有の病気なのかまではわからん。ただ、あの実を食べるって言ってたな)
(私達人間とは使い方が違うのね)
誰も人魚の診察なんてしたことがないから、例え母親を実際に診てもわかることなんてないだろうな。
(で、問題はパピスの実なんだが、パムは全部いるって言ってたぞ)
(それじゃ全部やったらいいじゃねぇか)
随分と男前な意見がバリーから出てきた。なんだろう、ちょっとかっこいい。
(いいのか?)
(母ちゃんが病気なんだろ? だったらしょうがないだろう。俺達は金稼ぎのためにやってるだけなんだからよ)
(そうだね。それにここが駄目でも、湖の岸に沿って歩いてたらまた自生しているパピスを見つけられるだろうし)
妖精の湖の辺にしか自生していないパピスだが、逆に言うと湖の岸に沿って歩いていたら絶対にそのうち見つけられるということでもある。そう考えたら、ここで採れなくてもいいような気がしてきた。
(それじゃ、全部あげるって言うよ?)
(うん、いいわよ)
(親が病気なんか。しょうがないな~)
全員の意見が一致したところで、俺は再びパムの目の前までやって来た。
(パム、人間達もこの薬草をパムにあげるって言ってたよ)
(ホント?)
(うん、俺達はここからもっと奥に生えてる薬草を採りに行くよ)
俺の言葉を理解したのか、パムは尾ひれをぴちぴち動かしながら嬉しそうに笑う。水の精霊の中の水がかき回されていた。
(ウン、エット……アリガト)
ということで、俺達は最初に見つけたパピスの薬草を諦めることにした。
俺達が薬草を譲ってくれたことがわかると、パムはすぐに幼い手で薬草を摘む。水の精霊に抱かれながら薬草を摘む姿は実に愛らしい、のだが、俺はここで1つの疑問を口にした。
(パム、それ水の精霊に採ってもらったらダメなの?)
(?!……トッテ?)
一瞬全身をびくっとさせたパムは、遠慮がちに水の精霊へお願いすると、すぐにまとめて採ってくれた。
(……アリガト)
なんだかかなり複雑そうな顔をして礼を言う。
うん、まぁ、自分で採りたかったんだろうな。あれ、ということは俺は邪魔をしたのか?
目的を果たしたパムは早く母親の所に戻らないといけない。水の精霊はくるっと反転すると、そのまま湖に戻っていった。
「さて、それじゃ俺達も行くか」
しばらく湖を眺めていたライナス達も、依頼を果たすために歩き始めた。
 




