地味に悪化する状況
魔物の集団が去った後も、俺達はしばらく呆然と破壊された野営場所を見ていた。しかし、いつまでもそうしているわけにはいかなかったので、まずは生存者の確認から始める。とはいっても、魔物が人間に容赦するはずもなく、最終的には戦死した兵士の遺体を並べるだけだった。
そして次に遺体を埋めるための穴を掘る。こういうときは遺品として一部を持ち帰り、他は現地で埋めるのが一般的だ。身分の高い貴族なんかだとこの限りではないが、ただの兵士だから習慣に従って差し障りのない場所に埋める。
そうやって作業をしていると、昼過ぎには本隊が戻ってきた。距離と時間のことを考えると魔物の討伐が終わって帰ってきたと考えられる。はずなのだが、誰の顔もその表情は優れない。
「なぁ、ライナス。なんか本隊の連中ってあんまり戦ったように見えないよな?」
「そういえば……みんな出て行ったときと変わらない」
俺はそれを聞いて不思議に思った。どういうことだろうか?
(ライナス、バリー、どういうことだ?)
(普通戦ったら、泥だらけになったり返り血を浴びたりして汚れるものなんだけど、本隊の兵士や聖騎士の鎧が汚れてないのはおかしいって言ってたんだよ)
ああ、なるほど。だから首をかしげていたのか。
よし、それならまた冒険者の集団で情報を収集してこよう。
ということでまとまりのない集団の中をふわふわと漂っていると、大体のいきさつがわかった。
本隊は朝一番に野営場所を出発した後、魔物に全く遭わずに魔物の巣と呼ばれる地域に入った。予定ではそこで魔物の大軍と戦うはずだったのだが、いたのは小鬼40匹と鬼8体だった。さっさと片付けたのはいいものの、事前の報告とあまりにも数が違いすぎるので周囲一帯を捜索し始めたらしい。
しかし、いくら探しても何も見つからない。一体どうなっているのかと焦り始めたところで、雑役夫が大挙してやって来た。そして、野営場所が魔物の集団に襲撃されたことを知ったそうだ。そして先程戻ってきたというわけである。
全体的に見て、討伐隊はいいようにあしらわれているな。初日の夜襲を阻止したので一矢報いているのかもしれんが、それ以外は相手の予定通りじゃないだろうか。
(あれ、みんなどこに行くの?)
俺が冒険者の集団から戻ってくると、ちょうどライナス達3人が別の場所に移動するところだった。
(ユージか。こっちの事情が聞きたいから本部まで来るように指示があったんだ)
歩きながらライナスが教えてくれる。そうか、本隊はまだこっちで何があったのかしらないもんな。
破壊された野営場所を見て呆然とする兵士達の脇をすり抜けるようにして進み、偉い人のいる大きなテントの中に入った。そこには、警固を担当していた兵士の生き残りのうち2人が既に直立不動の姿勢でいる。ライナス達はその隣にローラを中心に据えて横一列で並んだ。公式上はローラが代表で他の2人は警護役だからである。
「よく来た、聖女殿。実は今、この野営場所で何があったのかボリス伯爵の兵士に尋ねていたのだ。大体のいきさつはわかったのだが、念のため聖女殿のお話しも聞いておきたくてね」
「はい、わかりました」
ということで、ローラが代表して知っていることを話す。とは言っても、俺の存在を隠しつつ説明するとなると話の内容は兵士と大差ないはずだ。現にボリス伯爵もウィリアム団長もローラの説明で反応を示すことがなかった。
「他には何かありませんか?」
「いえ、これで全てです」
ローラは首を振って否定する。すると、ボリス伯爵とウィリアム団長は軽くため息をついた。
「裏で誰が糸を引いているのかはわからんが、いいように踊らされておるの」
「全くです。恐らく魔族なんでしょうが、恐ろしく知恵の回る奴ですな」
たぶん、相手の情報がほとんどないというのが致命的なんだろうな。黒幕の存在がいるとだけでもわかっていれば他にもやりようがあったんだろうけど、もうこうなるとどうにもならない。
「わかりました。ご協力ありがとうございます。下がってお休みください」
ウィリアム団長がそう告げると、兵士も含めて5人は退出しようとする。そのとき、意外な人物から声がかかった。
「ローラ殿、それとライナス、バリーよ」
「はい? なんでしょうか、ボリス伯爵様」
「魔物が襲撃してきたときに機転を利かし、領民である雑役夫をすぐさま逃がしてくれたこと、そして、我が兵士と共に戦ってくれたことに礼を言う。そなた達のおかげで、兵士も全て失わずに済んだ」
代表して受け答えしたローラも驚いて目を見開いた。貴族が平民に対して礼を言うことなど滅多にないからだ。もちろんライナスとバリーも固まっている。ついでに言うとウィリアム団長もだ。
「……申し訳ありません。こちらこそ、伯爵様の兵士の方々には咄嗟に守っていただきました。同じ討伐隊の戦友として当然のことです」
そう言うとローラは頭を下げる。それに遅れてライナスとバリーも同様に頭を下げた。
それからようやく大きなテントから出ることができた。
首脳部のいる大きなテントから出てきて、ローラ達が光の教徒の僧侶のところへ戻るために歩いていると、ちらほらと3人に視線を向ける者達がいることに気づいた。
好意的な視線はボリス伯爵軍の兵士からだ。聖女とそのお供が全滅必至だった警固兵を助けたことが大きいらしい。それに対して冒険者からの視線は微妙だ。散々歩かされて戦果なしなのだからかなり不満があるはずなのだが、話を聞いている限りこちらにその矛先は向いていないようだ。ローラに文句を言うのはお門違いだし、ライナスとバリーは同郷の幼馴染みを護衛しているという話が伝わっているので、運のいい奴らという受け止め方をされていた。運も実力のうちといったところか。
一方、これが聖騎士団になると更に微妙だ。同じ教団から派遣されているにもかかわらず、聖騎士団は今だ大きな功績を立てていない。それなのに、僧侶のローラと冒険者の2人が既に2回も手柄を立てているのだ。これでは聖騎士団の立場がない。しかも聖騎士団を出し抜いてまで手柄を立てたわけではないので、恨むのも筋違いである。そのため、聖騎士からの視線は非常に複雑なものだった。
「はぁ、やっと終わったぁ」
ローラがため息をつきながら首をこきこきと鳴らす。まだ人目が多いんで、そんなはしたない真似をするとまずいんじゃないでしょうか?
「けど、伯爵様からお礼を言われるなんて思わなかったな」
「俺なんてどうしていいのかわかんなかったよ!」
こちらも緊張で体が凝り固まっていたらしく、ローラ以上に体全体を伸ばしたりしていた。
(それにしても、不自然な魔法攻撃についての話が出なかったな)
先程の呼び出しで俺が最も気にしていたのは、俺があちこちで派手に魔法攻撃をしていたことだ。いくら何でも詰問の1つくらいはあると思っていたのに、結局最後までその件は話題にならなかった。
(乱戦で誰も気にしている余裕なんかなかったんじゃないのかな?)
(俺もそう思うぜ。警固の兵隊は自分の身を守るのに精一杯だったしな)
なるほどな。俺も姿を見せないまま魔法を使っていたので、気づかれにくかったというのもあるんだろう。まぁ、結果よければ全て良し、ということにしようか。
「しっかし、これからどうするんだろうな」
体の凝りをほぐし終えたバリーがライナスとローラに聞く。物資ごと野営場所を破壊された以上、もう討伐隊を維持することはできない。そうなると一旦退却するしかないはずだ。
「食料がなくなったんだから、一旦領都まで退却するしかないよ」
「そうね。魔物討伐どころじゃないわ」
それじゃ何も稼げなかった冒険者の不満が大きくなるなどの問題はあるが、そもそも食べる物なしで人の集団を維持することはできない。
「ぎりぎり1日で領都まで戻れるのは不幸中の幸いだったな」
ライナスの言う通り、ここから領都までは約25オリクだ。討伐隊のような600人以上の集団でも朝一番に出発すると日没までに領都へ戻れる。
「領都まで1日か……何ヶ月も魔物が暴れていたのに、領都はよく魔物に襲われなかったよな」
距離を見ると約25オリクと結構離れているように思えるが、旅人なら1日もかからずに歩けてしまう距離だ。人よりも肉体的に強い魔物なら1度くらい襲ってもいいように思える。
「確かにね。でも、今回の魔物が誰かに操られていたとすると、わざと襲わさなかったのかもしれないわ」
あーもう、頭のいい奴を相手にするってのは、本当に厄介だな。
そうやって雑談をしながら、俺達はローラの仲間である僧侶の集団に戻っていった。
その日の夕方、討伐隊全体に領都まで退却するということが伝えられた。理由は野営場所ごと必要な物資を破壊されたからだ。
この決定に最も不満の声を上げたのが冒険者である。魔物を討伐できないまま戻るとなると、この依頼のために費やした金が無駄になってしまうからだ。戦って返り討ちにあったのならばまだしも、1度も戦わずに歩いただけという冒険者も多い。しかも、冒険者は基本的に自弁で参加しているため、野営場所に保管されていた物資を失っても関係ない。それだけに士気は大きく下がった。
そろそろ日没ということで、退却は明日の朝一番からするということになっている。野営場所は破壊されたここだ。どうせ明日は引き上げるんだから他の場所を探す必要はないだろうということである。
「あ~、今日はあったかい食い物はなしかぁ」
持参していた干し肉を囓りながらバリーはぼんやりと呟いた。どうせ食べるなら暖かくて柔らかい肉入りスープの方がいいのだが、討伐隊は食料も失ってしまったので作ることができない。
それでも冒険者はいつも持ってきている非常食を食べられるだけましだ。これがボリス伯爵軍と聖騎士団だと飯抜きだった。冒険者とは別の理由で士気ががた落ちである。
「バリー、食えるだけましだろう」
「そりゃわかってるけどよ」
他方、今回の討伐隊でローラの所属している僧侶の集団は、ライナス達と同様に非常食を食べている。冒険者として活動していた人も多いので、万が一のときのためにと用意していたそうだ。
ただ、さすがに光の教徒である聖騎士団が何も食べてないので公に食べるのは憚られた。見かねた僧侶が自分の持ってきた非常食を分けていることもあったが、雑役夫も含めると僧侶全員の持ってきた分ではとても足りない。そうなると、食べられなかった者が更に不満を募らせる。悪循環の始まりだった。
(食べ物の恨みは恐ろしいってよくいうけど、実際その通りなんだな……)
討伐隊の雰囲気が次第に悪くなっていくのを目の当たりにした俺は、暗澹たる気持ちになった。何をするにしても食い物を切らすわけにはいかないんだな。
ただ、思ったほど雰囲気が悪くならなかったのは、まだ1食目だったということと明日には領都に戻れるということ、それにすぐ日が暮れて寝るしかなくなったことが大きい。
しかし、寝ることにさえも格差が発生していた。冒険者は自分の装備一式を常に持ち歩いているのでいつもとかわらないが、ボリス伯爵軍と聖騎士団はテントも寝具もない状態で野宿だ。これは地味に堪える。
「う~ん、まさか何も考えずに持ってきた寝具が役に立つとはな……」
「私も持っていけって言われたときは結構迷ったけど、本当に使うときがくるなんて思わなかったわ」
寝具といっても毛布なのだが、それでもないよりはずっといい。
「これで夜襲があったら最悪だな」
バリーが毛布にくるまって目を瞑った後にぼそりと呟いた。誰かに言ったというよりもただの独り言のようだ。すぐに寝息が聞こえてきた。
「さて、ローラ、俺達も寝ようか」
「そうね。早く帰りたいわ」
日没後、夜襲を受けないように討伐隊の北側が光明で照らされる。これは灌木地帯からの奇襲を防ぐためだ。
その光をまぶた越しに感じながら3人は眠りについた。




