まさかの夜襲
長期に対陣している軍でもない限り、こういった出征では軍の将兵や聖騎士は飯を食い終わるとすぐに寝る。暇を潰せるような遊びがないのが最大の理由だが、明日に備えて体を休めるのも仕事のうちだからだ。特に不寝番を途中でしないといけないので、翌日に体調不良にならないためにもできるだけ休んでおかないといけない。
そのため、今の魔物討伐隊では不寝番以外だと起きているのは俺だけである。別に見張りをしたいわけではない。霊体に睡眠は必要ないからだ。しかし、単に起きているだけだと暇なので、こういったまとまった時間を取れるときはすっかり習慣付いた勉強をすることにしている。まぁ、やることもないので仕方なくという側面も強いが。
ということで、ライナス達の眠るテントの横で俺は霊体でも触れる本を取り出して読んでいる。大抵は以前勉強したところばかりだが、村を出てからは何かある度にこの本へ書き込んでいる。物理的な制約がないのでいくらでも書けるのはすばらしい。
(よしっと。はぁ、今日の分は書けた)
今日あった出来事を本に書き込み、読み直しておかしなところがないかを確認し終わると本を閉じた。さて、一区切りついたんで、次はどうしようかな。
とりあえず、休憩も兼ねて野営場所を徘徊することにした。こうしていると端から見たら犠牲者を求めて幽霊が彷徨っているようにしか見えないが、ただの散歩だ。相変わらず姿は見えないようにしているので誰かを驚かせるようなこともない。たまに誰もいないところで姿を現したり消したりして遊んではいるが。
(あれ、なんだありゃ?)
俺は野営場所の外周を当てもなく彷徨っていると、南にある南方山脈の麓から何かの集団がこちらに向かってきているのが目に入った。遠方でも当たり前のように見えるのは、霊体だと夜でも昼のように周囲が見えるからだ。
不寝番が反応を示していないのは暗くて見えないからだろうな。よし、それなら俺が行って確認してこよう。
俺はふわふわ浮きながらその怪しい集団に向かって進む。魔物にしては割とまとまって動いているようだな。
そして、相手との距離が更に縮まるとその姿が明確になって俺は驚いた。
(うわ、小鬼の大集団?!)
何十匹といやがる。しかも小鬼祈祷師や見慣れない奴もいる! 背は人間よりも高く、太ってるのか腹が出っ張ってる。そのくせ四肢はやたらと筋肉質なんだよな。そしてばかでかい棍棒を持っている。なんだろ、あいつ。ともかく、俺は驚いて捜索をかけた。すると、やはり目の前の大集団が魔物であることがわかる。そして、その周囲にも魔物がいないか探してみたが、幸いこいつらだけのようだ。しかし、簡単に数えられないくらいいるぞ。100匹はいるんじゃないか?
そいつらが一塊になって討伐隊の方へ歩いてゆく。夜襲を仕掛けようとしているのは明らかだ。
(早く知らせないと!)
俺は反転してライナス達の眠るテントへ向かおうとした。が、すぐさま止まって再度魔物の集団を見つめる。
(何かおかしい……?)
小鬼を中心とした魔物の集団は一塊になってこちらに進んでいる。小鬼祈祷師を先頭にして。それはいい……いや、よくない。おかしい。普通は小鬼祈祷師が後方に控えて小鬼が突っ込んでくるものだ。なのにこの小鬼の集団は小鬼祈祷師を先頭に進んでいる。そして、小鬼の知能は低い。だから、一旦何かすると集団で決まっても、連携を考えて動くことはない。攻撃するときは必ず我先にと突っ込んでくる。なのにこいつらは一塊になって歩いている。あの時折混じってるでっかい人型の魔物が操ってるのかとも思ったが、どうも違うようだ。
俺のいる場所から野営場所まではまだ充分に距離がある。だから例えあの魔物の集団がここまで来ても急いで戻れば充分に間に合う。だから俺はもう少し観察してみることにした。
魔物の集団との距離は50アーテムを切った。相変わらず小鬼祈祷師が何かを呟きながらこちらに近づいてくる。そのすぐ後ろにいる小鬼も何か声を出しながら歩いているようだが、その声は聞こえない。
(何も聞こえないな。もう少し近づいて……え?!)
距離は30アーテムを切った。相変わらず何も聞こえない。そう、魔物の声どころか、装備の擦れる音や足音さえもだ。夜だから何も見えないということはあっても、これだけ近づいて全く音がしないというのはおかしい。
距離は20アーテムを切った。霊体の俺ならはっきりと見える。どうも小鬼祈祷師は何匹かで1組となり、順番に何か呟いている。
(何を呟いている?)
距離が10アーテムを切ると、突然騒がしい不快な声が聞こえた。いや、それだけじゃない。装備の擦れる音や足音も当たり前のように聞こえる。その瞬間、小鬼祈祷師が何をしているのかわかった。
(こいつら、防音で音を遮断してる?!)
何のために? 奇襲を成功させるため、自分達の出す音を消すためだ! 闇夜を利用しつつ音を遮断して近づいているわけか。小鬼ってこんなに賢かったか?!
とりあえず、手品の種はわかった。後は知らせるだけだ。
俺は目と鼻の先にまで迫ってきた小鬼に背を向けると、全力でライナス達のテントに戻った。
俺は急いでテントの中に入るとライナスを揺すり起こそうとしたが、当然霊体なので触れない。しまった、忘れてた。そして俺もかなり焦ってる!
(ライナス、バリー、起きろ!)
精神感応を使って2人に呼びかけるが反応はない。くそ、物理的な接触ができないのはこういうとき不便だな!
(ちっ、しゃーない。我が下に集いし魔力よ、水の球となれ、水球)
俺は小さめの水球を2つ作ると、ライナスとバリーの顔にぶつけた。突然冷たい水を顔に浴びせられた2人は慌てて起きる。
「「なんだ?!」」
よし、起きた!
(ライナス、バリー、魔物の襲撃だ! 外へ出ろ!)
(魔物?!)
最初に反応したのはバリーだった。革の鎧は身につけたままだったので槍斧を片手に外へ飛び出す。それを見たライナスは長剣と短剣を手にして外に出ようとして一旦止まり、バリーの短剣もついでに取ってから外に出た。
「バリー、短剣!」
「え? お、ありがと!」
バリーはライナスから短剣をもらって急いで腰に吊す。その横でライナスも剣を二差し吊して長剣を抜いた。
「で、敵は?! 暗くて見えねぇぞ?!」
しまった。人間じゃ夜は視界が利かないんだった。
(バリー、とりあえずローラを起こせ! ライナスは目の前の500アーテム先を中心に捜索をかけろ! 小鬼でな!)
珍しく俺が急いでいるのがわかった2人は言われた通りにする。
「おい、ローラ、起きろ! 敵襲だ!」
バリーの遠慮のない怒鳴り声が闇夜に響く。不寝番の兵士や聖騎士がその声に驚いて反応する。
(ライナス、検知できたか?)
(うわ、何だこれ?! 一塊になってる?!)
(他にも小鬼祈祷師や人間よりもでかい奴が何体もいるぞ!)
ローラがテントから飛び出してきた。それだけじゃない。他のテントからもバリーの声に反応して兵士や聖騎士が出てくる。これで嘘でした、何て言ったら大変なことになるな。
「おい、敵ってどこにいるんだ?」
不寝番の兵士の1人がライナスに向かって声をかけてきた。闇夜で見えない上に音も聞こえないんだから当然だな。
だんだん騒ぎが大きくなってくる。
それをとりあえず置いておいて、俺はこれからどうするか考えた。
まずは状況を整理する。魔物の集団は小鬼祈祷師の防音で自分達の音を消している。この防音は一定の大きさの膜を作って、それを境に音を遮断する魔法だ。恐らく小鬼祈祷師は地面以外を防音で覆っているんだろう。だからかすかな音さえも聞こえてこない。だか逆に、それは向こうも同じだ。音の伝達を遮断してるんだから、こちらの音も向こうには伝わらない。つまり、魔物の集団もこちらが奇襲に気づきつつあることに気づいていない。そしてもう1つ。それは、相手は今一塊になって行動しているということだ。ここの中央に1発でかい魔法を撃ち込めば大きな被害を与えられる。混乱というおまけ付きで。これを活かさない手はない。
しかし、問題がある。それは距離だ。500アーテムを既に切ってるとはいえ、まだ相手との距離は400アーテム以上ある。ここから魔法で攻撃したとしても視覚的に発見されてしまうと散開されてしまう恐れがあった。そうなると、敵に発見されないで攻撃できる魔法を使わないといけない。
そこまで考えをまとめて、俺は現実に目を向ける。すると、ライナスが捜索で小鬼の大集団を発見したと説明しているが、なかなか信じてもらえないようだ。そうか、防音で音を消してることを説明してなかったな。しまった。
野営場所は既に起きてきた兵士や聖騎士が右往左往していた。敵襲の声を聞いたはいいものの、どこにも敵がいないのだ。そして、次々と光明が唱えられる。状況確認のために視界を確保するためだ。いかん、もう時間がない。早くしないと、魔物の集団に気づかれてしまう。
(ライナス、前に向かって剣を突きつけろ! そして土石散弾を唱えろ!)
説明を一切抜きにしてやるべきことだけを伝える。驚いたライナスであったが、俺の指示とあってとりあえず従ってくれた。俺もそれに合わせて呪文を唱える。
「我が下に集いし魔力よ、土石を持って敵を穿て、土石散弾」
(我が下に集いし魔力よ、土石を持って敵を穿て、土石散弾)
400アーテム辺りを前進していた魔物の集団の一帯に、俺は思いきり魔力を込めた土石散弾を発動した。
次の瞬間、地面が強烈な破裂音と共に爆発する。魔物の集団を中心に直径50アーテムの地面から石や土砂が天に向かって射出された。
魔物の集団をすっぽりと覆った俺の土石散弾は、しばらく辺り一帯に土埃を撒き散らし続ける。
「おい、今のはなんだ?!」
もちろん防音よりも遥かに広い範囲で土石散弾は起動したから、強烈な爆発音は野営場所にも届いた。それにより討伐隊の面々が蜂の巣を突いたようになってしまう。
(ユージ、今のは……?)
(ごめん、やり過ぎたかもしれん)
爆発音のした方向に光明が集中すると、収まりつつある土埃が照らされる。それと同時にライナスが土埃のある方向に剣を突きつけてる姿もあらわとなった。
「お前が、やったのか……?」
目の前でライナスが呪文を唱え、その瞬間にあの爆発音がしたのを見聞きした不寝番の兵士と数名の聖騎士が呆然と視線を向けてくる。もちろん、ライナスだって事情はほぼわかってない。
(ユージ、どうしよう?)
(とりあえず、お前がやったってことにしておいて)
何か濡れ衣を着せるようで罪悪感があるんだが、ここまで来た以上はできるだけ俺の存在を隠し通したい。どうせ魔王を倒すとその名声は全部ライナスのものになるんだから、これくらいは我慢してほしい。と心の中で言い訳をする。
「ライナス、お前すげぇな」
「え、本当にあれ、ライナスがやったの?」
あ、バリーとローラも誤解し始めてる。後で説明しないと。
などと、風に運ばれてきた魔物の悲鳴や呻きを聞きながら、俺はぼんやりと考えていた。
ちなみにこの後だが、ライナスが土石散弾を発動したということが知れると、将兵達が傷ついた魔物の集団に突撃していった。生きている魔物に止めを差さないといけないからだ。そして、当のライナスは討伐隊の副指揮官である聖騎士団団長ウィリアムなどから事情聴取を受けることになる。俺はそれを後ろで謝りながら眺めていた。
尚、バリーとローラの誤解は俺の方から解いておいた。さすがにこれくらいはしないとね。
こうして、予想以上に慌ただしい1日目の夜は明けていった。
 




