初めての荷馬車
翌日、ライナス達は早朝に目を覚ました。ライティア村にいたときの癖だ。ほぼ同時に起きた3人は、体を洗うべく手ぬぐい片手に裏庭の井戸へ向かった。
「おぉぅ、さすがに冷えるなぁ」
最初に外へ出たロビンソンが思わず呟く。吐く息が白くなるのを見てそうなんだろうなとしか俺は思えない。
「うわ、たまんねぇな!」
「ドミニクさん、薪をもらってきませんか?」
「そうだな。冷水は厳しすぎる」
ライナスの提案を受けたロビンソンは、一旦中に入って宿の主人に薪代を支払うと、火打ち石と1束の薪を抱えて戻ってきた。
「よし、水を沸かすから汲んでこい。俺は火を点ける」
「「はい」」
一刻も早く暖まりたかった3人は急いで準備をした。役割分担としては適切なんだろうけど、ライナスとバリーは冷たそうだな。
割と大きな鍋が釜戸の上に置いてあったので結構な量の水が入る。2人が水を入れ終わる頃には火は燃え盛っていた。
「はぁ~、あったけぇ」
「生き返るなぁ」
冷水に濡れてかじかんだ手を2人は釜戸の奥で盛んに燃える炎にかざして暖をとる。
水の量が少し多いせいか沸くのに時間がかかったが、それでもやがて水は沸騰し始めた。
「お前ら、鍋から自分の平桶に1杯ずつ湯を取れ」
そう命じると、ロビンソン自身は井戸に向かう。不思議に思いつつも、2人は指示通りに手桶で湯を洗面器くらいの大きさの平桶に入れてロビンソンを待った。
「お、入れたな。それ、熱すぎるだろ。今水を汲んできたから、ちょうどいいところまでぬるめたらいい」
「ああ、なるほど」
「おお!」
ようやく納得のいった2人は笑顔で湯温を調整すると、手ぬぐいを浸して絞り、半裸になって体を拭き始めた。
それを見たロビンソンは自分も同じように適温の湯を作ると、残りの冷水を鍋に入れた。そして元の量になるまで井戸から冷水を運ぶ。
「こうすりゃ薪がなくなるまで湯を好きなだけ使える。新たに湯を使うときは俺と同じようにしろよ」
そう言うとロビンソンも体を拭き始めた。
体をきれいにした後の3人は、昨日と同じように宿の食堂で朝飯を食った。今度は1人前だ。さすがに起きたては無理らしい。
そして短い食休めの後、ロビンソンの指示で昼飯用の硬いパンを買ってからすぐに宿を出た。
「ドミニクさん、どこに行くんです?」
「町の北外れだ。そこに外へ出る馬車が集まってる。うまくいけば王都方面へ行く荷馬車に潜り込める」
次第に明るくなっていく周囲を気にもせず、ロビンソンは歩きながら説明をした。なるほど、歩くより速いし楽だもんな。
町の北外れ──北壁の門の周辺──はちょっとした広場になっていた。憩いの場ではなく、馬車が往来しやすいように整備されていたのだ。そこには何台もの馬車がひしめき合っている。
「どれに乗るんすか?」
「それは今からの交渉次第だ」
物珍しそうに周囲を見ているバリーに手早く説明すると、ロビンソンは目星を付けた荷馬車の御者に近づく。
「よう、旦那! おはよう。ちょっと話があるんだが……」
「知らない奴は乗せられないよ」
くたびれた御者は、ロビンソンが本題に入る前に素っ気なく断った。この様子からすると、こういう頼み事というのは当たり前のようにあるんだろう。
その御者の態度から取り付く島がないことを悟ったロビンソンは、そのまま次の荷馬車に移る。
「おはよう、旦那! いい朝だな」
「寒すぎるけどな」
「はは、違いねぇ。それでよ、空いた場所に俺達を乗っけてってくれねぇか?」
「俺達? 後ろの2人もか?」
「ああ、そうだよ!」
「どこまで?」
「できるだけ王都に近づけるところまでなんだ」
「あー、そりゃ残念だな。俺はこれから西に行くところなんだ」
「ちっ、そうか……邪魔したな」
ロビンソンは目についた荷馬車に片っ端から話しかけてゆく。素っ気なく断られたり、条件が合わなかったり、先約があってダメだったりといずれもうまくいかない。しかし、6回目の交渉でなんとか荷馬車にありつけた。
「それじゃ、パルワの町まで乗せてってやるよ」
「ありがてぇ! 恩に着るよ!」
「はは、そうかい。なら、パルワでの荷運びをその分頑張ってくれ」
大豆を運んでいる荷馬車に乗せてもらえることになったロビンソンは、すぐにライナスとバリーを連れて荷台に乗り込んだ。
「ドミニクさん、どうして馬車じゃなくて荷馬車なんですか?」
「……まぁ、知らないようだから言っとくが、馬車に乗れるのは金持ちか王侯貴族だけだ。俺達のような奴が楽をしようと思ったら、荷馬車に乗せてもらうしかないんだよ」
俺も何となくそう思ってたけど、やっぱりそうなんだな。だから金がない奴やうまく交渉できなかった奴は歩くしかないのか。町から町への移動って思ったよりも厳しそうだ。
それにしても、ライナス達にはその辺のことがぴんとこないらしく、ロビンソンの話を聞いても呆然としている。もしかして、金、貨幣の価値がわかってないんだろうか。そういえば、ライナスやバリーが貨幣を使ったところなんて見たことないな。そこんところは大丈夫なんだろうか。
(なぁ、ライナスやバリーって金を使ったことはあるのか?)
俺の質問にライナスとバリーは首を横に振った。やっぱりそうか。村にいたら物々交換で大半が用を足せるからなぁ。
「そうか、これも教えないといけないんだな……」
どんどん教えることが増えるロビンソン。2年間の見習い期間って社会常識を身につけるという意味合いの方が強そうだな。
まぁ、とりあえず、今回の脚は手に入ったから、道中ロビンソンが教えていけばいいだろう。
そうしてしばらく待っていると、やがて荷馬車がゆっくりと動き始めた。
荷馬車の荷台は屋根のないむき出しで、そこに大豆が積み上げられていた。その上から雨よけの丈夫な布が掛けられている。今日はいい天気だが、いつ通り雨に遭ってもいいように最初から用意しておくのだ。
3人はその大豆の入った袋の上に座り、ゆっくりと動く荷馬車の上で流れる風景を眺めていた。
「おお、こりゃ楽でいいなぁ!」
じっとしていても前に進むことに感動しているバリーが独りごちる。ライナス共々生まれて初めて自分の脚以外で移動しているからだ。そういえば、俺っていつ初めて乗り物に乗ったっけ? 覚えてないなぁ。
ただ上から見てると、馬車は道に凹凸がある度に酷く揺れている。スプリングなんてなさそうだもんな。3人とも平気そうだけど、俺は多分無理っぽい。
周囲の風景は昨日と変わらない。町周辺には畑がたくさんあって、しばらくすると原野が広がる。
そして、この荷馬車の速さは徒歩のときよりも少し早い程度だ。思っていたよりも遅いな。荷物が重いからかそれとも荷馬車ならこんな程度なのかはわからない。まぁ、ライナス達が楽できるんだからそれでいいけどね。
「俺なんかは早く王都に着きたいんだがな……」
ロビンソンはそう呟きながらライナスとバリーを眺めている。その表情は悪くない。
2人は周囲の風景を眺めていたかと思うと、大豆の袋を叩いてどんなものなのかを確かめようとしていた。何もかもが初めてということもあって、見るもの触るものが楽しくて仕方ないんだろう。
「はは、珍しいか。だがな、王都はもっとすごいぜ」
どや顔でそう言うロビンソンにライナスとバリーは目を輝かせる。俺なんかはもやもやしたものを感じたりするが、これは日本の都会の規模を知ってるからだろう。同じ珍しがってるにしても、俺の場合は中世ヨーロッパの風景みたいだからだしな。
「そうだ、今のうちに王都までの旅について言っておく」
ロビンソンは一旦言葉を句切ってライナスとバリーを見た。2人は何事かと振り向く。
「これから王都までの旅路は、こうやって荷馬車を乗り継いでいく。そのとき引っかけられる荷馬車がどこまで連れて行ってくれるのかはそのとき次第だ。そして、タダで乗せてもらう代わりに、何かしらの仕事を手伝うことがあるからな。今回はパルワの町までこの荷馬車で行く。そして、そこで大豆の積み卸しをしてから次の荷馬車を探すぞ」
多分あの表情だとあんまり理解していないようだな。とりあえず荷馬車を乗り継いでいくことと、運賃代わりの労働があるってことくらいわかってたらいいんだが。
「わかったか?」
「何回か荷馬車に乗るってことと、荷物の積み卸しを手伝うってことでいいんすよね?」
お、珍しくバリーがちゃんと理解してる。
「そうだ。ライナスはどうだ?」
「言ってることはわかりましたけど、もし乗せてもらえる荷馬車がなければどうするんですか?」
まぁ、間違いなく歩きだな。本来ならそうしないといけないんだから。でも一旦楽することを覚えると、以前は当たり前のようにやっていたことでもやりたくなくなるんだよな。
「そのときによる。基本的には歩くことになるが、雨が降ってたり何らかの悪条件があったりすると、その町でそのままもう1日待つ」
そうか、路銀に余裕があるなら無理に歩く必要はないのか。まだ冒険者にすらなってないもんな。無理をすることはない。
「あ、ドミニクさん、ライティア村から王都まではどのくらいあるんでしたっけ?」
「400オリクだ」
どれくらいかぱっと思いつかないな。確か新幹線の東京名古屋間よりも少し遠いくらいか?
「今はどのくらいまで来たんすか?」
「まだ始まったばかりだぞ。ライティア村からさっきのレティスまでで30オリクだ」
まだ10分の1未満か。先は長いな。
「はは、これからですね」
「だからそう言ったろう?」
俺ならそれを聞いてげんなりするところだが、ライナスとバリーは特に気にした様子もない。むしろ、まだこれからいろんなことが楽しめるといった表情だ。
「お、めげないな、お前ら」
「へへ、楽しいことばっかっすからね!」
「そうだよな」
嬉しそうに顔を見合わせる2人を見てロビンソンは苦笑する。あ、若いっていいなぁって顔してるな。
「まぁいい。せいぜい楽しんでおけよ」
「「はい!」」
ロビンソンはそんなライナスとバリーの手綱をしっかりと握って一路王都を目指した。




