最北の森での修行
最北の森とは、レサシガムから真北へ直線距離で470オリク程度のところにある。そこは大北方山脈の西の端で、かなり広大な森であることが知られていた。しかし、大森林や小森林のように特別な何かがあるという話は聞いたことがない。ある意味ごく普通の森といえる。
ただし、魔王軍の王国侵攻後、王都方面やイーストフォート方面と同様にこの森にも魔王軍が進軍してきた。ところが、侵攻直後に森を更に南下して準備不足の王国軍と戦って敗北してからは、ずっとこの森からは出てきていない。正確には小競り合い程度に襲撃されることはあるが、それ以上の本格侵攻はその兆候すらなかった。そのため、王国はこの地域の戦力を他の方面へと回している。
王国の危機といってもその程度でしかないことから、西方地方全体における魔王軍侵攻への恐怖はあまりない。何しろ敵は20年近く引き籠もっているのだ。そんなに強い相手だとは思えなかったのである。
レサシガムから真北へ歩くこと18日でライナス達は最北の森へと着いた。目の前には広大な森の入り口が広がっている。
「それで、検問所と警備兵はどこにいるんだ?」
バリーが不思議そうに周囲を見渡した。どこにもそれらしき物はない。というより、周囲に人間も人工物も見えない。全くのノーガードじゃないか。
「本当に警備されてないのか」
ライナスは驚いて呟いた。
『本当に』というのは、実を言うとこの最北の森の状況についてペイリン爺さんから聞いていたからだ。何でも、魔王軍は最北の森の東側にしかいないため、王国軍の警備もそちらに偏っていると説明されたのである。初めて聞いたときは魔王軍も王国軍もやる気ないだろうと思ったが、どうやらじーさんの説明は正しいらしい。
「王都方面はあんなに大変だっていうのに……」
「なんか、気が引けてしまうなぁ」
メリッサは西方地域出身だもんな。他の地域は血みどろの戦いをしているのに、こっちは暢気なもんだ。戦力がどんどん東側に移されるわけである。
「なぁ、もっと東に行かねぇか? 森の中は歩きにくいだろ?」
「確かにな。幸い、通行許可証はあるんだし、王国軍の陣地があるところまで行こう」
正面から森の中へ入れるのなら、わざわざ苦労する必要なんてない。
俺達は森に沿って200オリク程度東へと歩いた。
1週間後、俺達は西端にある王国軍の陣地へと到着した。50人ほどの小さい部隊だ。
「あれ、お前ら冒険者なんか?」
メリッサと同じ方言を使う兵士が声をかけてきた。ただその様子から、誰何というよりも興味があるから声をかけてきたという感じだ。
ライナスは代表してこれから最北の森へ入ることを伝える。すると、その兵士は呆れた表情をした。
「何やお前ら、この森には魔王軍がおるんやぞ。何の仕事かは知らんけど、やめとけって」
「そういうわけにはいかないんですよ」
「はぁ。真面目なんか好奇心旺盛なんかわからんけど、危なくなったらさっさと帰ってきぃや」
「あの、通行許可証は見ないんですか?」
「こんな森に入るのに許可なんぞいるわけないやろ。森の西側からは誰でも入れるんやぞ?」
兵士は笑いながら手を横に振った。緩いってレベルじゃないよなぁ。
俺達も苦笑しながらその兵士と別れて森の中へと入った。
森の中は、かつて入ったことのある小森林の北側と似ていた。暦はちょうど6月に入ったばかりなのでそろそろ暑くなってきてもいい頃なんだが、大陸の北側にあるためか意外と涼しい。
「さすがに森の中は視界が悪いな」
「でも、足場は小森林ほど悪くねぇぜ」
周囲を警戒しながらライナス達は思ったことを口にする。
今回は新しい武具に慣れるというのが目的なので、ひたすら保存食を背嚢に詰めてきた。計算では1ヵ月以上修行できるはずだ。問題は、こっちの思うように魔王軍が小分けでやってくるかだが。
「けど、魔王軍って軍隊なんやから集団で行動しとるはずやろ? よう考えたら、うちらの都合通り少数で行動してくれるとは限らんのと違うんか?」
「巡回中の魔王軍兵を襲うしかないんじゃないかしら」
今のところローラの案しか思いつかない。いくら他と比べてここの魔王軍が小規模といっても、4人で全員を相手にはできないだろう。
「でも、何組か襲ったら向こうだって警戒するはずだぜ」
「その後はよりまとまった兵士達を相手にすることになるのか」
修行が順調に進んでいる場合はそれでもいいだろう。しかし、うまくいっていない場合は逆に重荷へと変わる。
(もし相手にするのか大変だとわかったら、一旦引き下がるしかないな)
他に方法がない以上、俺の言う通りにするしかない。魔王軍将兵を求めて俺達は更に森の中へと進んでいった。
たまに出くわす森の獣を狩って食べながら、俺達は森の中を真北に進む。敵と戦うということ以外に目的がないため、とりあえず大北方山脈に向かって歩き続けていた。
すると、いた。森に入って5日目に魔族2人と黒妖犬4匹だ。向こうもこちらに気づいているらしく、まっすぐ向かってくる。
「祝福」
(祝福)
ローラと俺はライナスとバリーに防御魔法をかけた。今回、真銀製武器の素の威力を知るために魔力付与はわざとしていない。しかし、さすがに防具の性能を試すために怪我はしたくないので、身を守る行動だけは今まで通りとしている。痛いのは嫌だからな。
「吹雪」
先行して駆けてくる4匹の黒妖犬に対して、メリッサは範囲魔法を仕掛けた。
吹雪はその名の通り、一定の範囲内に吹雪を発生させる水と風の複合魔法だ。霜によって冷却された空間内の水分が霜や雪となって地面を急速に覆い、それを嵐刃によって発生させた強風によって巻き上げる。体の動きが鈍るほどいきなり冷やされた上に、全身を切り刻まれるのだ。これはたまらない。
真っ正面から突っ込んできた黒妖犬4匹はまともに魔法の効果を浴びる。1匹は悲鳴を上げながら走る勢いそのままに脚をもつれさせて転がった。白い地面に赤黒いものが飛び散る。
「いくぞ!」
「おう!」
ライナスとバリーは、吹雪の範囲から出てきた傷だらけの黒妖犬3匹に向かって走り出した。
「我が下に集いし魔力よ、暗き弾を持って敵を滅せよ、闇散弾」
「我が下に集いし魔力よ、暗き槍となりて敵を討て、闇槍」
後方にいた魔族2人が魔法で攻撃を仕掛けてきた。魔法が使えるんだから近づく必要なんてないよな。
放たれた闇散弾はライナスめがけて飛んできた。回避はできないと判断したらしいライナスは、そのまま黒妖犬に向かって走り続ける。適度に散開した闇の弾はライナスを中心とした範囲に着弾した。
「うぁっ!」
地面にぶつかった闇弾は次々と暗い光を発して破裂する。しかし、ライナスに向かったものについては、逸れたり威力が減じたりしていた。祝福の効果だ。
「あれ、思った程じゃない?」
(真銀の板金も防いでくれたんだ。前から来るぞ、注意しろ!)
気を逸らしかけたライナスに俺は注意する。殺す気で放たれた一発を食らってほとんど怪我をしてないのか。祝福の効果もあるが真銀も大したもんだな。
一方、同時に放たれた闇槍は後衛のメリッサに向かっていた。しかし、黒妖犬に気を取られていたメリッサは、それに気づくのが遅れてしまう。
「ふん、上等や!」
避けられないと判断したメリッサは覚悟を決めた。硬い表情ながらも不敵に笑う。恐らく身につけている魔法の服の効果を信じているんだろう。
闇槍がメリッサの胸に当たる瞬間、その穂先から黒い煙が霧散してゆく。じーさんの話では魔力を分解しているらしい。
「くっ!」
それでも全てを無効にするわけではないため、闇槍に強く突かれたメリッサは後方へ何歩か踏鞴を踏んだ。
その様子を見ていた魔族は驚く。思った以上に効果がなかったからだろう。
「はぁっ!」
魔法による遠距離攻撃が続いている間にも、互いの前衛の距離は縮まり続けていた。
最初にバリーが正面の黒妖犬の頭に槍斧を叩きつける。すると、黒妖犬の頭はすっぱりときれいに切断された。前なら頭が潰れていたのに、真銀製だと切れるのか。
「ははっ、すげぇ!」
もう1匹の黒妖犬の噛みつきを槍斧で防ぎながら、バリーは喜ぶ。
ライナスの方は、突っ込んできた黒妖犬の頭に対して、真銀製の長剣を横凪に払った。すると驚いたことに、黒妖犬の頭は上下にきれいに切断されてしまう。
次は俺だ。
(拘束)
次の行動に入ろうとしていた魔族のうちの1人を拘束する。前から思っていたんだけど、これ2人以上拘束できたらなぁ。
俺の愚痴はともかく、指定した魔族はこれで動けなくなった。
「嵐刃」
そこへメリッサの範囲魔法がかかる。動ける1人は何とか範囲外へ出たが、動けないもう1人は悲鳴を上げて耐えるしかなかった。
「光散弾」
何とか嵐刃の範囲から逃げ出した魔族は、息をつく間もなくローラの魔法で吹き飛ばされる。
そこへライナスが長剣を振りかざして突撃してきた。魔族は腰の剣を引き抜いてそれを受けようとする。しかし、身を守るように突き出された剣ごと腹の辺りまで切断されてしまった。
「ライナス、切れ味はどうだった?」
「すごいよ。素の状態でもこれだけの切れ味があるなんてな」
2匹目の黒妖犬を倒したバリーがライナスの元に寄ってきて、ライナスと武器について意見を交換する。俺が端から見ていても今までとは段違いだ。実際の戦闘でこれだけの威力を発揮できるのなら本物だ。やっぱり真銀は凄い。
「いやぁ、一発食ろうてしもうたわ。痛かったぁ」
「メリッサ、平気なの?」
「棒で強く突かれたような感覚やったわ。一瞬息ができひんかったけど、それくらいやな」
さすがじーさん謹製の服だ。これなら多少の魔法攻撃もしのげるだろう。
(武具の性能が信用できることがわかったのは良かったな。これからはしばらくここで魔族と戦って色々と確認しておかないとな)
俺とライナスはまだ星幽剣も試していないしな。他にも知りたいことがある。今も言ったように、しばらくはこの辺りで修行するとしよう。
ライナス達は俺の言葉に頷くと、更に森の奥へと入っていった。
 




